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山際響:短編集

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山際響の短編まとめです。
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#ショートショート

イリュージョニスト

イリュージョニスト

「イルカなど、消さない」と彼は静かに、断言した。
 ベッド脇の電気スタンドのような駅前のパブで、彼はベルギービールを飲んでいる。ピンク色の象が描かれているデリリウムという名の奇妙なビールの瓶だった。
 彼はもう一度言った。
「イルカなど、消さない」
 彼は満足げに、ビール瓶を傾け、ゆっくりと、ビール瓶の象ではなく、その不思議な文字をなぞる。
「デリリウム、というのは、せん妄状態の事だよ」
 彼は言

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ばななむーん

ばななむーん

満月の光が、ビルの表面や谷間、そして控えめに生えている街路樹の根本など、理子が目にする全てに降り注いでいる。駅からだいぶ歩いた。人通りも建物のシルエットも無くなってくる。
 そして、このあたりに、あの人の家があると考えると、急に喉が渇き、気管のあたりがざわつき、空咳がいくつか出た。あの人の家は記憶にしっかりと残っている。ここ一年は記憶があいまいだった。何処か遠いところをさまよっていて、気が付くと、

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ドライブ

ドライブ

 海に来るつもりは無かったが、ふいに胸の内にこみ上げてくる懐かしさに引き寄せられ、妻を説得して車を浜辺へと向かわせた。
 この辺りはだいぶ変わってしまった。昔はもっと錆びついたトタン屋根の平屋で埋め尽くされた町だったのだが、今では茶色と白の南欧風の家が立ち並び、すっきりと整理されたリゾート地のようである。たった今通り過ぎた場所はバス停だった。今でもそうであるが、私の知っているバス停とは違った。昔は

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湾岸タクシー

湾岸タクシー

「就活生ですか?」
 そのタクシー運転手は言ったが、私は眼を向けることすらせず、この自動車は無人で動いているかのように、その声を無視した。
 女性だから馴れ馴れしいのかと、私は警戒していた。外に眼を向けると一日の終わりの風景が、私の意思とは無関係に眼に入ってきた。空の夕日から遠い部分は、藍色に染まり星を待っていて、空と海の交わる境界には、溶鉱炉のような橙色が、荒くて太い筆で描かれたように水平線と平

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雨のち晴れ

 一年のうち、七割は雨の日なんだって!
 この地域の話さ。信じられない。雨が降るからここら辺は森だらけで林業が盛んなんだよね。
 僕は奴の車に乗って、港町へと向かっているんだけど、今も雨が降っている。
 道路の両側には、大きなモミの木がいっぱい生えている。曇り空だから薄暗いし寂しい道さ。ものすごい大きな木を乗せたトラックが一分ぐらい前に、僕らの車を追い越してから、車なんて見てないね。
 僕らの住ん

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