雨のち晴れ

 一年のうち、七割は雨の日なんだって!
 この地域の話さ。信じられない。雨が降るからここら辺は森だらけで林業が盛んなんだよね。
 僕は奴の車に乗って、港町へと向かっているんだけど、今も雨が降っている。
 道路の両側には、大きなモミの木がいっぱい生えている。曇り空だから薄暗いし寂しい道さ。ものすごい大きな木を乗せたトラックが一分ぐらい前に、僕らの車を追い越してから、車なんて見てないね。
 僕らの住んでいる町は、アメリカ北西部にある森と切り株とばっかりで退屈な町なんだけど、これから向かう港町は楽しいところさ。
 ビールは美味しいし、シーフードも美味しい。コーヒーも美味しいんだ。ロックバンドもいっぱいいて、好きな時に好きなレコード出せたり演奏できたりするんだ。
 ぼくらは今は三十歳で、生まれは一九六〇年だから、今は一九九〇年だ。覚えやすいよね。
 ラジオではベルリンの壁が崩れたとこかどうとか言ってる。僕は良くわからなかったけど、わかれていたものがひとつになったって事だよね。だから僕は少しうれしかった。奴に言ったら、ぶっ壊すのは好きだけど、仲良くとか興味ない、とわざわざ後部座席を向いて、僕に言った。
 続いてラジオからロックがかかった。奴はご機嫌になった。名前は忘れた。お隣オレゴン州のロックバンドだ。重くて遅くて煩くて、怒っている。奴もよく怒っているから、ちょうどいいんだろう。
「ロックスターってのはキリストさ」
 奴が突然言ったので、僕は何の事だかわからなかった。
「金なんてくそったれ成功なんてくそったれって歌って、成功できないし金もない俺たちを罪悪感から救ってくれるんだ」
 僕は頷いた。僕もお金を稼げなくて負け犬でいるのは、育ててくれた父さんや母さんに悪いなという気持ちは常にある。
「でもな、俺たちを救えば救うほど、あいつらには金が入るし、成功者と言われる。だから、俺たちを騙してるって気持ちになって、苦しんだり死んだりするんだ。つまり、俺たちの罪を背負ってくれるんだ」
 僕には難しくてよくわからなかったけど、奴が妙に気持ちを高ぶらせて、今にも泣きそうになっているのはわかった。
 その時、僕は見つけたんだ。道のわきに、緑色のレインコート来た女の子が立っていたのが。
 親指を上げていなかったから、ヒッチハイクしていたわけじゃないけど、奴は車を止めたんだ。
「俺たち、港町まで行くんだ」
 奴が言った。
「あたしもよ」
 と彼女が言った。
 歩いて行くつもりだったのかな? と僕は変に思った。
「乗っていくかい?」
 奴はバドワイザーをぐいぐい飲みながら言った。サングラスかけて、カウボーイハットを被ったやつが運転してて、後部座席にはニットを帽被って髭を生やして、顔色が悪くてフランネルのシャツを着ている僕がいる。女の子がこんな車には普通乗らないだろうと思ったけど、彼女はいそいそと車のドアに飛びついた。
 助手席はビールの缶とかバーガーキングの袋とか、いろんなものが置いてあるから、彼女は後部座席に乗ってきた。僕は左に寄った。彼女はレインコートを脱いだ。ブロンドで目が覚めるような青い目、アイスブルーアイの持ち主だった。年を聞くと、十八歳だった。僕はもじもじして、頭を下げた。彼女は変に思わず笑ってくれた。奴はご機嫌になって、がんがん車を飛ばし始めた。
「いい娘だなあ。そうだろ?」
 奴が僕に聞いてきた。僕は頷いた。
「ありがとう」
 彼女はまた笑顔を浮かべ、そう言ってくれた。
「ビール、飲むかい?」
 奴が彼女に勧めた。
 僕は驚いた。彼女は首を振った。
「港町についてから飲むの」
 彼女の言うとおりだ。未成年がお酒を飲んじゃいけないと思うけど、こんな缶ビールを飲むより、港町の職人さんが作ったちゃんとしたビールの方がいいもんね。
「ところで……」
 奴が言った。
「彼女、右手と左手を逆にした方が、もっといいんじゃないかな? そう思わないか」
 彼女は何も言わなかった。奴は僕に質問したのだ。
「ええと、うんまあ」
 今のままでも全然悪くないけど、確かに右手と左手を逆につけたほうが、良いような気もする。
「そうか、じゃあ逆にしてやりな」
「えっ、でも」
 彼女の意見を聞かないと駄目だろうと思って彼女を見ると、彼女は別に構わない、と言った。
「じゃあ、そうしようか」
 右手と左手を付け替えるのは楽じゃない。難しいけど、何とかやった。
「どう?」
 と彼女に聞くと、彼女は少し頷いただけだった。嬉しくもないけど、別に気に入らないというわけでもなさそうだった。
「目も変えたほうがいいんじゃないか?」
 奴は言ったが、彼女は首を振った。
「足も逆にしたほうがいいんじゃない?」
 奴が言うと、彼女は黙っていた。
 僕は奴の命令通り、彼女の足も逆にしてやった。その後も、奴にいわれる通り、色々やった。そのせいか、彼女はあまり喋らなくなってしまった。
「ごめんね」
 僕は謝った。
「いいえ」と彼女は答えてくれた。
 奴はバックミラー越しにではなく、振り返って彼女を直に見た。そして言った。
「置いていくか」
「えっ」
「色々やりすぎてめんどくさい事になってる」
 奴はまた前を向き、言った。
「ひどい。きっとろくに歩けないよ」
「じゃあ、お前が面倒をみるのか?」
「そうだよ。そうするよ」
「一生だぞ? 一生面倒見るのか?」
「もちろんだよ」
 僕がそう言うと、彼女は僕を見た。
「あんた、優しいね」
 と彼女は言った。青い目が涙で零れていた。
 僕は奴に対する怒りを覚えたが、奴はあの町で僕のただ一人の友達なので、逆らう事はできない。
 だから、僕に出来る事は、一生かけて、彼女の面倒を見る事だ。
 彼女はもう元に戻れないし、奴も僕も、だ。
 起こった事はもう二度とどうする事も出来ないのだ。
「雨が止んだな」
 奴が言った。
 雨が止んだ空には、大きくて綺麗な虹が出ていた。
 もうすぐ港町につくはずだった。

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