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北京語スピーチコンテストで勝ち抜く①

スピーチコンテストに参加すると、勝っても負けても語学力と表現力が飛躍的にアップする、すっごく学びが多いというお話。

私の行ってた大学は私立大で文系なのに授業料が一年で120万円もとられる超商業的な大学でした。宣伝とか知名度を上げる事にものすごく力を入れていて、カリキュラムの中にも、たくさんのイベントがありました。 

スピーチコンテスト、ボキャブラリーコンテスト的なヤツが。 

(私の在学中、大学がアメリカから元国務長官のキッシンジャー博士を招いて講演した事もありました。)

それだけ高い授業料を取っていたので、それらのコンテストに入賞すると4万円分の旅行券とか1万円分の図書券とか、学年選抜のコンテストにしてはそこそこバブリーな賞品を貰えました。 

スピーチコンテストは学年毎にあって、参加者は先生達が各学年から10名ずつを指名し、選抜された生徒は1年から4年までの代表が一堂に集まってコンテストを開催するというやり方でした。 (受賞は各学年毎ですが、聞くのは1~4年全ての代表者のスピーチを聞くという形) 

学年約70名から選ばれた私はスピーチコンテストに参加しました。 

 元々致命的レベルのあがり症、尚且つ中国語を中国語っぽく喋る事に照れを感じている、というわけのわからない状況で、私は「無難に」ただ、ちゃんと暗記した原稿を淀みなく棒立ちで発表しました。 

(何のアピールやねん。コンテストで謙虚さアピールって?) 

同じ一年生の他のメンバーも大体は、緊張しながら指定原稿をチラ見したり、途中で止まったり、ある意味一年生らしい不慣れ感を漂わせていましたが、一人だけオーバーアクションとオーバー過ぎる中国語で、コマ送りのようなゆっくりした速さでスピーチをした男子A君。

一年生は全員先生に指定された固定原稿のスピーチなので、10人全員が同じ事を喋るわけですが、決して面白い内容でもない原稿をコミカルなアクションで、何故そこまでゆっくり?という速さでスピーチ。

決して上手い中国語ではないものの、そのお調子者的な人を喰ったような彼のオーバーアクションと度胸がとても印象に残りました。  

そして、二年生の発表に移った時、女子の先輩Kさんの番が来ると、コンテストの空気がガラリと変わりました。 

それまでは、どちらかと言えば緊張感に満ちた、「新入社員が初めてプレゼンテーションをやらされている」的な「やらされている」感とぎこちなさと羞恥心駄々洩れな雰囲気でした。  

 一年生10名と二年生2,3名の発表の後でしたが、Kさんは決して大袈裟ではない身振り手振りで、しかし、うっとりするようなマンマ中国人のようなそれはそれは素晴らしい中国語で、まるで目の前でその情景が繰り広げられているような錯覚に陥るほど、流暢かつメリハリの効いたスピーチをして、会場の重苦しい、盛り上がりに欠けた空気を軽々と払拭してしまいました。

 そして私は、いつもの通り衝撃を受けておりました。(なんか人生って衝撃の連続ですね) 

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コンテストはその後も更に学年上の3年生、4年生とスピーチは続きましたが、もはや私の心には全く届きません。(失礼やなホンマに・・)

二年生のK先輩のスピーチが、ずっと頭の中でリフレインしています。

そしてもちろん優勝トロフィーを手にしたK先輩を見て私は思いました。

 そうか!ここまでやっていいんだ。ここまで突き抜けてしまえば、物真似じゃなくモノホンになってしまえば、誰もが納得せざるを得ないんだ。  よ~し、わかった! と。

 ↑ → 私は 「よ~し、わかった!」 と思ったのです。

ちなみに一年生ではA君が優勝でした。  

私は不器用で生真面目な性格なので、たくさんの事について「いい加減」というものがわかりません。良くも悪くも、どこまでやっていいか、という加減がわからない事が多かったと思います。

何の勝負にしても、決して勝てる実力がないわけじゃなく、ただ勝つ為の加減をわかっていないだけという場合もある、という事です。

一年の段階で、勝てる人のやり方、自分の理想とできる形を目で見れた事はホントに得難い経験でした。 

このスピーチコンテストの経験を活かして、これ以降、留学で留守にしていた3年生以外、2年生、4年生のスピーチコンテスト、そして香港に来てからの北京語スピーチコンテストで優勝します。

で、社会人でコンテストの予選から決勝までのプロセス、優勝するまでの練習方法公開なのですが、その前に、一旦やたらインパクトが強かったA君との謎の思い出エピソード一回挟みます。   続く→

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