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鹿児島では薩摩なのに唐芋で全国的には薩摩芋と呼ばれるようになった経緯がこれ!

お芋といえばサツマイモ!でも鹿児島ではカライモが当たり前の呼び方でしたが、今日のオヤツ代わりに蒸かしたサツマイモを食べたので、今回はサツマイモに関する話題を取りあげてみたいと思います。🤗

焼き芋や蒸かした芋は和菓子なのか、それとも洋菓子なのか・・・ま、そんなことで悩む人もいないだろうけど、メイプル楓さんの見出しのイラストを見たら、やっぱり和菓子でいいんじゃないのっていう気がしますね。🤣

スイーツという括りであれば、和菓子だろうと洋菓子だろうと和洋折衷だろうとかまわないと思うので、ここはお茶に合うスイーツということで決着を付けましょう。😆

そのサツマイモの名称はもちろん薩摩で産した芋という意味で、薩摩芋さつまいもと呼ばれているのだけど、この鹿児島では中国大陸から渡来した芋ということで唐芋からいもと呼ばれているのですよ。(^_^)b

その唐芋が唐の国から来た芋という意味か、それとも唐人が持って来た芋という意味かは不明なんですが、ね。🤔

ちなみに当時の渡来人である中国大陸からの人々を、鹿児島では総称して唐人とじんと呼びならわしており、彼らが住む区域を唐人町とじんまッと呼んでいたんですよ。

鹿児島の各地にこういった地名が残っていますが、私の住んでいる町にも正式な行政区画ではなく、昔からの地名としてこの唐人町という呼び方がされている地域がありましたが、その地域特有の踊りもあって異国情緒たっぷりの行列踊りでしたね。🤗


さて、カライモの話に戻りますが、実際の唐芋の原産地は中南米らしくヨーロッパや中国に広まり、日本にも入ってきたわけですが、渡来の時期や経由地が当時の中国の唐の時代か、その由来からカライモと呼ばれていたんでしょうね、たぶんだけど。🤔

その唐芋が脚光を浴びるのは、諸国を巡っていた下見吉十郎あさみきちじゅうろうという巡礼僧が、たまたま一夜の宿を借りた薩摩伊集院村の農民土兵衛に振る舞われた唐芋を食べたことが、きっかけになっています。

シラス土壌でも栽培できる唐芋を、飢饉被害に苦しむ郷里に広めたいから種芋を譲ってほしいと頼み込んで、藩外持ち出し禁止の種芋を薩摩から持ち帰り故郷の瀬戸内海の島々に、その栽培を広めたことからなんですね。

その当時は唐芋が藩外に出ることを薩摩藩は厳しく禁止していて、下見吉十郎も仏像をくりぬいて、種芋を隠して密かに持ち出したくらい、厳重に取り締まっていたようなんですよ。😅

その下見吉十郎の必死の種芋持ち出しのおかげで、享保の大飢饉で西日本が飢えに苦しみ多くの犠牲者を出した際に、ただの一人も餓死者を出さずに済んだという、伊予松山藩のことが世間に知れ渡ったというわけです。

その唐芋が薩摩芋として全国的に認知されるのは、伊予松山藩の成功事例を知った当時の江戸幕府八代将軍・徳川吉宗が、飢饉対策として青木昆陽あおきこんように薩摩芋の栽培を命じたことから、関東や離島で薩摩芋の栽培が盛んになり、サツマイモの名称も広く認知されたという経緯があるからなんですね。(^_^)b

ちなみに呼称の変遷はこんな感じです。
中国・⇒薩摩(薩摩では唐芋)⇒伊予松山藩(薩摩から来たから薩摩芋
伊予松山藩⇒江戸幕府(伊予松山藩での呼称、薩摩芋を引き継ぐ)⇒関東・離島に薩摩芋の呼称が広がる、ということで全国区になったのです。

それがあって青木昆陽は甘藷先生かんしょせんせいと呼ばれるわけですが、甘藷かんしょは薩摩芋の別称であり、現在でもJAなどでは薩摩芋の生産について甘藷栽培とか、甘藷農家なんて表現しているので、唐芋の方言に対して甘藷は言わば標準語みたいな使い方をしていますね。🤣

最近でこそ、薩摩芋の生産農家も一般的な呼称として「サツマイモ」と呼ぶようになってきたようですが、生産者同士やJA担当との会話では甘藷と呼び昔話や思い出話で語るときには、やっぱりカライモなんですよね。(^_^)b

それとお年寄りは今でもカライモと呼んでいます。

まぁ、唐芋、サツマイモ、甘藷の話はここまでにして。

私たちの幼い頃は、オヤツという概念がない時代でした。😥
もちろん腹を空かしていた子どもだらけだったので、お昼と晩ご飯の間につまみ食いはするけれど、オヤツの時間・・・というような上品なものじゃなかったですね。

当時のオヤツと呼べるのは、学校から帰って薪で焚いたご飯釜の中の、お米や麦に混ぜ込んで焚かれたカライモが、オヤツと言えばオヤツだったと思います。

始終腹ぺこでお腹のすいた子どもにとって、カライモは何とか子どもたちの腹を満たすご馳走ではあったけど、あまり美味しいとは言えず、どちらかと言えばパサついて不味かった印象が強く残っています。🤣

思い出というのは年数が経つごとに少しずつ事実が風化して、よりデフォルメされる傾向があるわけですが、当時のカライモは確かにあまり美味しくなかったんですよ。🤔

なぜかっていうと品種改良の技術も進んでいなかったので、芋焼酎の原料になっていた農林1号という白っぽい芋が、当時のカライモの主流でこれを食べていたわけですが、ボソボソパサパサしてホントに不味かったという印象だけが残っています。😅

胸焼けもしていましたし、ね。🤣

最近は品種改良のおかげでしょうが、とても美味しいサツマイモが食べられるわけですが、今日のオヤツ代わりに食べたオイモさんも、ほどよい甘みもありしっとり感もあって、とても上品な味のカライモ・・・サツマイモでしたよ。(^_^)b

こんなに美味しいサツマイモを食べると、スイーツなんて食べなくてもいいわってなるくらいで、普段からあまり甘いものを食べない私にとっては最適なスイーツでしたね。🤗

ほんのり甘くてしっとりとしており、まるでスィートポテトの甘さを控えめにしたポテトケーキでしたが、昔の、学校から帰ってきてランドセルを放り出して、真っ先にお釜の蓋を開けた幼い頃を思い出してしまいました。

あの当時は、私の家だけじゃなく、回りもみんな貧しい時代でしたが、今よりも濃厚な思いやりや助け合いのコミュニティが、日本中のあちらこちらに存在していたんですよね。(^_^)b

そんな大事なものを思いながら、美味しいサツマイモに舌鼓をうったひとときでした。


ってことで、今回は
鹿児島では薩摩なのに唐芋で全国的には薩摩芋と呼ばれるようになった経緯がこれ!」という薩摩芋の歴史と由来など話題にしてみました。🤗
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。


では!

おいも食い  老いも若きも  のほほんと


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