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村の昔の生活史

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昭和43年から続く小さな村の広報誌。ページをめくると大野見の歴史や民話、暮らしぶりが記されている。 そこには歴史の教科書に出てくる偉人など一人もいない。
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#田舎暮らし

高知県中土佐町大野見、ここに始まる。

高知県中土佐町大野見、ここに始まる。

今を去る1380年ぐらい前(600年ごろ)、 用明天皇の頃、仁井田の川の内の百姓に長左衛門という人がいました。ある日、伊勢川と川の内の境にある若目山にあがって、山の上の高い木によじ登り、はるかに北の方を眺めました。(地図下部)

大野見を発見した長左衛門。

そこには黒々とおいしげった大きな山波が続いていました。が、その中に、広い平原と思われるものを発見したのです。長左衛門は喜び勇み、あくる日、若

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宴と殺人と祈りの神社。

宴と殺人と祈りの神社。

蝉時雨のなか、松葉川温泉を後に併用林道、さらに営林署の専用林道(鈴が森へと続く)を上ると三ツ又部落の飛地、高山へ到着した。 藩政時代から昭和三十年代まで生活を営んで来たこの部落も無言の里となり約二十年を数え、耕すことなくして十余年を経る。かつての住居跡も耕地跡も、葛(くず)と竹とに覆われて、いずこか定かではない。

本広報九十八号(昭和四十九年 五月号)での高山の部落探訪には耕地面積一町五反とある

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農民にひかれた生産技術が文化を作る

農民にひかれた生産技術が文化を作る

私は大野見に来てから米を作っている。
およそ半年、手塩に掛けて主食を自給するのは、野菜を育てたり、
野生動物を狩るのとはまた違う気持ちよさと安心感がある。

と、同時に米作りが他とは違い、いかに協働的な活動で、
地域のつながりを要するか思い知らされた。

それが心地よいか悪いか。

ともあれ、昔からこの村で脈々と営まれてきた稲作が
この土地の雰囲気や村民性を構成する濃い要素なのではないかと実感した

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生きるための狩猟と楽しむための狩猟。

生きるための狩猟と楽しむための狩猟。

現在、人口1000人を切る旧大野見村にも、かつて狩りの名手がいた。
狩猟を生き甲斐とし、狩猟を愉しみつくしたその猟師の姿は
現役の地元猟師にも重なる。
狩猟を経験している私自身の感触とともに、
娯楽としての狩猟を、どうとらえたらいいのか考えてみた記録。

幕末の土佐藩主に認められた猟師
 東の空が白みかけた朝まだき、凍てつくような霜柱を「サク、サク」ふみしめながら、西に向って進む狩り姿の一行があっ

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嫉妬深さに向き合う

嫉妬深さに向き合う

昭和43年から続く大野見の広報誌に編まれている、
昔話「悲劇の神童 庄三郎-前半-」。(後半はこちら)
たかが昔話、されど昔話。
人間の嫉妬の恐ろしさを伝える、ある少年の悲話である。

13歳の少年、盗みを犯す
落合の橋を渡った時一ばんどりが鳴いた。

静寂の空に星が桑田山(そうだやま:中土佐町の東に位置する標高770mの山)にむかって走っても今朝の庄三郎は少しも恐怖をおぼえなかった。彼はただ夢中

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つながりが断たれる心地よさ、つながりを感じる安堵感

つながりが断たれる心地よさ、つながりを感じる安堵感

悲劇の神童 庄三郎①に続く後半。
奇才がゆえに皮肉にも、悲運を辿ってしまった庄三郎の最期はどうなるのか。
そして、改めて思う、「何でもない土地」に昔話が残っている愛おしさを言葉にしてみた。

逃げ続ける庄三郎が見たもの
 どこをどう行ったのかただ夢中であった。
喘ぐような庄三郎のはく息と落葉をふみしめる音が交差しながら、上へ上へと登って行った。

どれだけたったかはじめて振り返った時、神母野の人家

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