ひとりじゃない | #一人じゃ気づけなかったこと


言葉遊びをするつもりも、戯言を言うつもりはない。

ただ、私の中で、"一人じゃ気づけなかったこと"は、

(私は) ひとりじゃない

ということだった。


振り返れば、そう気づかせてくれる人との出会い、そして、言葉の連続。


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祖母とてんかんが導いてくれた先生

私は、15歳の時、ちょうど、高校入学前、

神経疾患 (脳の疾患) の1つであるてんかんを発症した。

てんかんを発症する約1年前、私をとても大切にしてくれた祖母が亡くなった。

当時の私には、祖母の死を到底受け入れることができなかった。

それが、私にとっての、てんかん発症のトリガーとなってしまった。


二度、意識を消失したため、精密検査をした。

訳も分からないまま、医師から、

「あなたは、てんかんという病気です。」

と告げられた。


私は、その当時、てんかんを知らなかったから、インターネットで調べた。

"100人に1人と、誰もがかかる可能性のあるありふれた病気"

当時の私には、100人に1人というのが、酷く小さな数に見えた。

受け入れがたい事実を突きつけられ、私は、深い孤独を感じた。


そんな私に、さらに追い打ちをかけたのは、悲しくも私の母だった。

「あなたの病気のことは、他の誰にも話さないで。」

田舎の小さなコミュニティに住んでいた私を、

差別・偏見から守るための言葉のつもりだったのだろうけれど、

ある意味、この言葉も差別・偏見から来ている。


だから、誰にも相談できなかった。

服用した薬の副作用は、当初、酷く私の脳を侵食するあまり、

授業もまともに受けられなかった。

そして、私の心まで蝕んでいった。


てんかんを発症した約1年後、祖母の三回忌をすることになった。

私は、できないかもしれないけれど、心の整理をしたかった。

だけど、その日は、数学の補講日だった。

私は勇気を振り絞って、母に言った。

「三回忌に参加させて。数学の補講なんて、どうでもいいから。」

すると、母は、私に強く言った。

「補講に出なさい。」

そう言われた瞬間、非常にショックを受けて、何も言い返せなかった。

同時に、受け入れてもらえないように思えて仕方なくて、

高校生活も、大学受験も、投薬治療も、生きることも、

もうすべてがどうでもよくなりかけていた。


だけど、そんな私の中に、たった1つのわずかな望みがあった。

『あの先生に、全てを相談してみよう。』

以前、記事にした、当時、化学を教えてくれていた先生だけ、私は信じていた。


12月14日。雪が少しちらつく日。泣きながら、全てを話した。

先生は、静かに言った。

「お前はお前でいい。ただ、それだけでいい。苦しいなら、苦しいでいい。」

この言葉は、今でも私の心を静かに照らす。


こんな私の悲しみを受け止めてくれる人がいる事実に、

当時の私は、とても温もりを感じ、

そして、ひとりじゃない、と初めて思えた瞬間だった。


その後も、先生は、弱気な私を、強引に励ますような言葉をかけて下さった。

「お前はこだわりが強いな。だけど、そのこだわりを捨てるな。こだわり抜けよ。」
『はい、先生。私は、これからも私のこだわりを貫きます。』


ノートテイクで出会った仲間

私は、大学生になったら、

障がいを抱えている人を支援したい、と思っていたので、

自らの意志で、進んで、志願しに行った。

それは、少しでも、多様性に対する理解を自分なりに深めたかったから。


そこでは、主に、聴覚障がい、身体障がい、知的障がいの学生の支援をした。

特に、聴覚障がい学生の耳となって、支援するノートテイクでは、非常に苦心した。

・授業中の全ての音を拾わないといけない

・ただただ、音を文字に起こすのではなく、可能であれば、感情も分かるように記載しないといけない

「"(うん、)いいよ!"と"(もう、)いいよ..."とは違う。」

実際に、聴覚障がいの学生から言われた言葉。


また、この支援は、ボランティアではなく、アルバイト扱いであった。

そうでないと、支援してくれる学生(ノートテイカー)が集まらない、という。

だけど、その割には、ノートテイカーのスキルが未熟なままだったりと、支援の質が良くない、と感じていた。

その違和感を、私と同じくノートテイカーだけど、他学部の人に伝えた。

すると、すごく親身になって聞いてくれ、

そこから、徐々にノートテイカー同士の輪が広がっていった。

私は、中でも、他学部の同期3人のノートテイカーと、

思いや考えをお互いに打ち明けたことで、親密になり、

プロジェクトチームを立ち上げた。

結果的に、チームは自然消滅的になってしまったのだが、

一緒に、良くしていこう、という同じ姿勢、同じ思いを共有できたことが、

私にとっては、宝物だった。


研究室で出会った同期と先輩

これも以前に記事にしたこと。

研究室内のある出来事をきっかけに、2人の同期と、先輩と出会い、繋がった。

「苦しくて、苦しくて、仕方がない。」

この同期の言葉を聞いていなければ、

私は、同期の心の闇に気付くことができなかっただろう。

また、私も少し感じつつあった、研究室の闇を再認識できなかっただろう。


そして、今の道へ進むか悩む私の背中をそっと押して下さった、

「もし、迷っているのなら、進学を選んでほしい。」

先輩の言葉を聞くことはなかっただろう。


あの時は、苦しかったけれど、

知らず知らずのうちに、互いに、

ひとりじゃない、と心で支え合って、乗り越えられた、と今では思える。


博士後期課程へ共に進学した親友

私が学部生の時から、親しい友。

生まれも、育ちも、年齢も、研究室も、違うけれど、

少し似ている部分があって、

困ったことやイライラしたことがあったら、

昔から、互いに言い合う仲。


偶然、一緒に博士後期課程へ進学した。


彼女がいるだけで、ひとりじゃない、と思える。

たぶん、彼女も、私のことをそう思っていると思う。


私も、彼女も、

博士後期課程学生としての、

悩み、葛藤、苛立ち、苦しみ、悲しみ、孤独を感じながらも、

どんなことでも話し合える友がいるだけで、

ひとりじゃない、と感じ、勇気づけられている。


noteで出会った様々なクリエイターの方々

私が、最近、ひとりじゃないと強く思えたのは、

noteで出会った様々なクリエイターの方々と出会えたことが大きい。


私も、あなたも、ひとりじゃない、と、

皆様の記事を拝見し、

いつも勇気づけられています。

ありがとうございます。

これからもよろしくお願いします。

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先述した様に、私は、つい先ごろまで、

雨ばかりが降り続き、

体温を感じなくなるほど、ずぶ濡れで、

周りを見渡せば、水たまりばかりでした。


そんな中、とても幸せなことに、

素晴らしい方が、私に傘を差して下さいました。

そして、隣にいて下さいました。


その時に、強く思いました。

私も誰かに傘を差せる人でありたい。

それは、私の中で、

あなたはひとりじゃない。

と伝えたい一心からです。


今の私は、未熟なあまり、

まだ、そんな人になれていないと思いますが、

人との出会い、縁を大切にし、

人に寄り添える、

特に、悲しみや痛みに寄り添い、支えられる人でありたい、

と改めて思います。


これも、一人じゃ気づかなかったことだと思います。


長くなりましたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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