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中沢新一著『レンマ学』『精神の考古学』『構造の奥』などを読む

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中沢新一氏の著作『レンマ学』『精神の考古学』『構造の奥』『精霊の王』『アースダイバー神社編』などを読み解きます。
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#読書の秋2020

「生命」と「言語」をレンマ学的に理解する ー中沢新一著『レンマ学』を精読する(7)

「生命」と「言語」をレンマ学的に理解する ー中沢新一著『レンマ学』を精読する(7)

中沢新一氏の著書『レンマ学』を読む連続読書noteである。

今回は107ページから、第五章「現代に甦るレンマ学」を読んでみよう。

レンマ学は、仏教の華厳の思想を考え方のモデルとして、人間の存在をロゴス的知性とレンマ的知性がハイブリッドになったシステムの運動として記述してみようという試みである。

私たちが日常いろいろと考えたり感じたりしているときの意識は「ロゴス的知性」の働きが前面に際立ってい

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レンマ×ロゴスのハイブリッドは「脳」から始まる −中沢新一著『レンマ学』を精読する(6)

レンマ×ロゴスのハイブリッドは「脳」から始まる −中沢新一著『レンマ学』を精読する(6)

中沢新一氏の『レンマ学』を読む連続noteも6回目である。

前回の記事はこちらであり、締めくくりに次のように書いた。

私たち人間が、区別と差別で煩悩に苛まれるのは「生滅心」の働きのせいなのだけれども、人間の心は実は生滅心だけでなく、生滅心と心真如との「和合」によって成り立っている。ここに人間が煩悩に苛まれつつそこから脱する道がある。

人間はロゴス的知性によって、ものごとを整然と分けることがで

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中沢新一著『レンマ学』 × 岩田慶治著『コスモスの思想』を並べて読む −コスモスの生成とレンマ▷ロゴスへの写像

中沢新一著『レンマ学』 × 岩田慶治著『コスモスの思想』を並べて読む −コスモスの生成とレンマ▷ロゴスへの写像

文化人類学者 岩田慶治氏による「コスモス」の考え方について、前にこちらのnoteにまとめたものの続きである。

コスモスを生成し成り立たせる「反復」岩田氏は『コスモスの思想』の終盤に次のように書かれている。

人類の文化は「コスモス」としてある。

いや、「ある」というか「なる」、成り立っている、といった方が良いかもしれない。

コスモスとしての文化は偶然できあがるものでもなく、必然的に決まったか

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アーラヤ識とは? −中沢新一著『レンマ学』を精読する(5)

アーラヤ識とは? −中沢新一著『レンマ学』を精読する(5)

ひきつづき、中沢新一氏の『レンマ学』を読む。今回は88ページの「大乗起信論による補填」を紐解いてみよう。この節は「レンマ学」の構想の核心部分であると思われる。

今回のキーワードはアーラヤ識である。

アーラヤ識とは何だろうか?

アーラヤ識アーラヤ識とは、人間の心の構造、運動のパターンが形成される場である。アーラヤ識という言葉を用いて、人間の心の不思議に探りを入れることができるのである。

人間

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「レンマ」とは −中沢新一著『レンマ学』を精読する(4)

「レンマ」とは −中沢新一著『レンマ学』を精読する(4)

中沢新一の『レンマ学』を引き続き読んでいる。今回は50ページから80ページあたりまでを読んでみたい。

『レンマ学』で中沢新一氏はロゴス的な知性とは異なる「レンマ的な知性」の姿を描き出す。

知性というとロゴス的な知性とイコールで考えられることが多いようである。ロゴスを超えたところ、ロゴスの「外」に知性などあるのだろうか?というわけだ。

ここで出てくるのが「粘菌」である。粘菌は脳を持たないし、ロ

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般若、空、否定でもなく肯定でもない。 −中沢新一著『レンマ学』を精読する(3) 40-50ページ

般若、空、否定でもなく肯定でもない。 −中沢新一著『レンマ学』を精読する(3) 40-50ページ

ひきつづき中沢新一氏の『レンマ学』を丁寧に読んでみる。

『レンマ学』が探求するのは人間の知性である。

人間の知性とはどういうものか?古来からの哲学や宗教、近代の科学まで、人間の知性とは何かという問いに答えようとする様々な思考が繰り広げられてきたが、実はまだこれという正解はない。

人間の知性がどういうものだか、実はよく分かっていない。

分かっていないのに、いまや人工知能(AI)の時代である。

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中沢新一著『レンマ学』を精読する(2)ー「縁起の論理」より、私は他者であり、他者は私である

中沢新一著『レンマ学』を精読する(2)ー「縁起の論理」より、私は他者であり、他者は私である

中沢新一氏の『レンマ学』を読む。

互いにはっきりと区別された物事を、並べて積み上げたものとして世界を理解するのが「ロゴス」的な知性である。通常「知性」というと、明確に定義され互いにはっきりと区別された言葉を理路整然と積み重ねていくことのように思われているが、ロゴスはまさにそうした知性のあり方である。

◎私は私であって他の誰でもないし、他の誰かは私ではない。
◎私と他者は最初から、完全に分かれて

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