【小説】スイスイ殺虫剤
2022年に書いた掌編小説。
蛆虫たちは、皮膚にまとわりつくことで、私の知覚を鈍らせて、まさか自分のいる場所が「王座」だなどと、私が気づかないよう仕向けていたわけである。皮膚のあらゆる場所で粘度のある蛆虫がうごめくのは、さながら舌で舐められるかのようで、そこにいる最中は、とても「王座」らしさなど感じられなかった。しかし考えてもみれば、自分の快さのために、舌で全身を舐めさせるだなんていかにも「王」らしい。
「さて、エレヴェーターに乗りましょう」と蛆虫の一匹が言うと、王座はスイスイと動き出すのだった。驚くほどスムーズに、王座はどこかを目指して移動する。私は驚いて、
「動くのですね!」と声を上げた。
「そう、これは車でもあるのです」と蛆虫は言った。「私達はおう……カーと呼んでいます」
あとから思えば、それは「王座カー」だったのだ。しかしそれをさとられないよう、蛆虫は言葉を濁したのだ。
騙されているとも気づかず、自分が「王」だとも知らず、私は蛆虫に敬語を使い、尋ねた。「どうやって動いているのですか?」
「かんたんですよ」と蛆虫は答える。「位の低い者たちが、貴方のいる場所を持ち上げて、スイスイと動いているのです」
「へえ、位の上下があるんですね……」私は何気なく言った。「では、一番上には誰がいるんでしょうね?」
蛆虫は目をそらした。
やがてカーはピタリと止まった。そこが、エレヴェーターの扉の前だったのだ。
一匹の蛆虫が私から離れると、扉の横の、上向き矢印のボタンを押した。扉はすぐに開いた。
「さあ、乗りましょう」と蛆虫。またカーが動き、我々はエレヴェーターに乗り込んだ。
「乗り物に乗って、更にエレヴェーターに乗るだなんて奇妙ですね」と私は言った。
蛆虫たちは、見事に一匹残らず、怪訝そうな顔をした。「なぜですか?」
「だって、すでに何かに乗っているのに、更に乗り物ごと別の何かに乗るだなんて、奇妙ではないですか」
「はあ、なるほど、まあ、そう言われてみれば……」全く理解していない様子で、蛆虫たちは相槌を打った。飲み込みの悪さに、私は呆れた。
エレヴェーターの中は狭く、壁には一面に、ざっと二千個ほど、小さなボタンが取り付けられていた。いくらなんでも多すぎる。最上段の右端のボタンを押している蛆虫に、私は聞いた。「一体何階建てなんですか」
「五階です」と蛆虫は言った。
「でも……それにしてはボタンが多すぎるでしょう」
「これは蛆虫用のエレヴェーターなので、一階につき停まる地点が何百もあるのです。何しろ我々は小さいので、一階につき一つしか停まる地点がないのでは、高さが無駄になってしまうのです」
「はあ、なるほど……」全く理解できなかったが、私は相槌を打った。確かに、ボタンに書かれた数字をよく見ると、一から五までのそれぞれが、約四百個ずつあるらしい。
エレヴェーターはスイスイと上昇し始めた。
エレヴェーターが上昇するにつれ、私の皮膚の表面で、蛆虫たちのうごめきが鈍くなっていった。皆、何かがこれから起こるのに備え、緊張を強めているらしい。エレヴェーターの中に熱気が立ち込めた。四階の途中で乗り込んできた無関係な蛆虫が、あまりの息苦しさに、四階の最後の方で降りてしまったくらいである。
五階の下の方に来るあたりで、一匹が、重々しく口を開いた。「実は、お伝えしなければならないことがあります」
「なんですか?」
「我々は、戦わなければならないのです」
「誰とですか?」
「ガスとです。五階には充満しています」
「どうやって戦うのです?」
「吸い込めるだけ、吸い込むのです」
「……危険なのでは?」
「しかし、それで少しは空気中のガスが減るでしょう」
「私は御免被りたいですね……」
「吸うのは私達だけです。貴方はそこにいらっしゃるだけでよいのです」
「まるで王様ですね」冗談のつもりで、私は言った。
蛆虫は目をそらし、「命をかけると約束します」と言った。
そしてエレヴェーターの扉が開くと、蛆虫たちは全員あっけなく死んだ。
[2022年執筆]
関連記事
過去に書いた小説(外部サイトへのリンク):
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?