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式日、総ての初夏の光に
Null part trace de vie, dites-vous, pah, la belle affaire, imagination pas morte, si, bon, imagination morte imaginez. S. Beckett, Têtes-Mortes #23 -6-2023 20…
映画の中のダンスシーンという偏愛
私がこれから話すのは、22年間のかなり偏った映画鑑賞歴の中で、これから映画を趣味にしていこうとされる人に勧められる様な映画のダンスシーンについてであって、必ずしも「ダンス映画」の紹介ではない。
サブスクで観られるものに限ったつもりではあるので、気に入り次第即鑑賞して見てほしい。
サブスクにある映画は、いつでも観られるが故に、いつまでも観ないものなので。
ただ、良質なダンス映画そのものが観たいなら
遥か昔、遠い銀河系のこと
忘却の為の美しい記憶として、私があなたを思い出す時、いつもあなたは果てしなく遠い、遠い───余白だった。
狭い部屋でEarth, Wind&Fire「September」がBGMのホームビデオを観ていた。熱っぽい冬のディスコソングが眼前を通り抜けていく。この曲は九月の歌ではなく、十二月の曲だ。それは稲垣潤一「クリスマスキャロルの頃には」がクリスマスソングでは無いのと同じ様に、時々思い出し
フィクションであることの誠実さ ーレヴィナスからみる芸術作品における「死者の領有性」の回避ー
反戦映画をどう観たらいいのか分からない。
と言うより正直なところ、反戦映画が好きではない。
理由は「死者たちに代わって」もしくは「死者たちのために」死者の言葉を語ろうとすることは不可能でしか無いからである。
噛み砕いて言えば、戦争の悲惨さを想起させる装置としての映画は誠実でない、というわけである。
それゆえあらゆる反戦モノを観てこなかったのだが、先日授業中にアラン・レネの『ヒロシマ・モナム
バタイユ『眼球譚』を通じたブニュエルと丸尾末広の眼球イメージに関するフェチズムとその「無意味」
眼球舐めプレイ(Oculolinctus)は一種のフェチズムだろう。
ちょうど私が中学生の時に流行っていたので聞き覚えのある人も多いのでは無いだろうか。センセーショナルな報道により、多くの小学校で眼球舐めをする生徒の有無が確かめられたということを耳にした記憶がある。
当時、私は素知らぬ振りを突き通していた。
しかし「眼球を舐める」という行為に対しての興奮があったことは間違いではない。
10代
涙の乗車券を握り締めて
松田聖子を聴き始めたのは、確か高校生の頃だった。
他人よりも遅いであろう彼女との出会いの理由は「母親が聖子ちゃんを好きじゃなかったから」ただそれだけ。
家にある膨大な80年代アイドルグッズの中に、松田聖子はいなかった。
斉藤由貴も薬師丸ひろ子もWinkも工藤静香も、ついには、おニャン子クラブのポスターすらあったのに。
一度好きになったアーティストは大体3年周期で再度はまり出すという習性を
きっと私もタクシードライバーになれない
ドライブのためにデリヘル嬢をやっている友人がいる。
私はみうちゃんと呼んでいるが、源氏名は知らない。聞いた気もするが、覚えていない。
何にしろ、デリヘル嬢が友人になった訳ではなく、友人がデリヘル嬢になった。それ故に、私にとって彼女を言い表す言葉は他にもある。
だけども、今の彼女を取り立てて言い表すとしたら「デリヘル嬢の」という形容が一番しっくりくる。なんにせよ、彼女は好きでこの仕事を選
嗜好品としての煙草のすゝめ
マルボロ
私が最初に吸った煙草はこれです。洋モクにありがちな匂いのつきやすさは否めないけど、味のバランスが良いのでチェーンスモーキングにも合っている気がする。少し湿らせた方が吸いやすい。雨の日に吸うと妙に美味しかったりするので。サタデーナイトフィーバーの主人公が吸っていて、時代を担ってきた様子が窺える。
ハイライト
同居人が吸っているので最近よく貰い煙草で吸わせてもらっている。
クールスモ
右頬のケロイドと「リリィ・シュシュのすべて」
私の右頬には、直径8ミリ程のケロイドがある。
写真を撮られたり、横並びに座ったりする時、私は常に左頬を晒し出そうと身構える。
向かい合う時間が増えてきた相手から「どうしたの」と聞かれる時に、彼らに話していたことは、決まって「誤って彫刻刀で傷つけてしまった」の一言と、「本当に痛かったんだよね」という呟き。
それだけ。
先日、新文芸坐で岩井俊二監督特集がやっていたらしい。
何個か観にいく予定
崇拝と、ほんの少しの敵意
私はアカウントを何度も転生しながら、かれこれ5年ほどTwitterを使っている。
高校生の頃も、現在運営しているようなアカウントの内容を呟いていた。
周りに馴染めていない自覚はあったが、時折直接「自分に酔ってそう」「何が言いたいのかわからない、Twitterの使い方間違えてるよ」と笑われることがあった。
それでも自分の趣味嗜好や読了感想を話す場はそこしか無く、アカウントを分けて呟くほど器用で