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新宿巡礼 

 フェデリコ・フェニーニの『甘い生活』を流し見していた。彼の映画は余りにも長すぎるし、古臭い。申し訳ないけれど。ただ映像が美しいということだけが色褪せない、そう思っていた。

「ときどき、夜中にこの静けさが私にのしかかってくる。平和ってなんて恐ろしいんだろう……」

 アラン・キュリー演じるスタイナーの台詞が、遠のいた意識の外側を抉る様にして鼓膜を叩く。途端に私はこの角部屋で、身震いしてしまう。

不幸だ!あんまりにも、あんまりにも不幸だ!
……不幸だ。部屋の中でさえ休息出来ないなんて。


 午前3時だった。眠られないから睡眠薬をかぷかぷと飲んだのに、やっぱり今日も眠られなかった。

 大隈講堂を左手にして、都電荒川線の線路を手繰る様に進み、ビックカメラが右手に見えたら左に曲がる。そうやって副都心線を踏み均すように歩いていけば新宿三丁目に到達する。それまでの道のりはあまり良く覚えていない。ただ真っ直ぐに歩けば着く。
伊勢丹ビルが見えるほどまで歩けば人が疎らに在るのが分かる。
泥酔しているか眠りこけているか、或いは…の人々は「居る」より「在る」と表現する方がよっぽど正しい。


 新宿三丁目に来ると思い出すことが幾つかある。どれも口惜しいものばかりなのが腹立たしい。幸せな記憶はどれも同じ色味をしているので際立つことがないのかもしれない。そのうちの一つは、友人と飲んだ帰りにDUGで求人を見かけて電話をしたらホールで働けそうだったのに、面接の日に精神科でおめおめと泣いていたことだった。

 確かこんなやり取りをしていた。

「薬がしっかり飲めないんです」
「大学の勉強が出来てるなら、薬くらいちゃんと飲めるはずだよ。飲まないとプライベートが危なくなってくるって、分かるよね。」

 本来為されるべき問答はこうだった。

「薬をしっかり飲みたくないんです、薬でまともになっていると思いたくないんです、私は薬なんか無くてもまともだと思いたいんです。」
「それは君が少し生命倫理を齧ったから出てくる迷言みたいなものだとしか思えないのだけど。」


 ああでも、そもそもで飲食のバイトが向いていない。19の時に働いていたサーティワンは1週間で辞めてしまった。小さい頃サーティワンに並んでいる時に可愛い制服を着たお姉さんがテイスティングをさせてくれるのが好きだった。それであのピンク色のスプーンでかたいアイスを何遍も掬ってお客さんに差し出したら先輩に怒られた。腱鞘炎にさえなってしまった。

 村上春樹を愛している訳でもないから特に不都合がある訳ではなかった。村上春樹で思い出すのは、「色彩を持たない田崎つくる」とかいう名前の軽い小説を高校の図書館で読んでいた時に、知らない先輩から「ねえ、村上春樹って最初はライトノベルの棚に置いてあったんだよ」と話しかけられたこと。

 見下ろす様にして声をかけられたので、それなりに不満げな顔を向けると「どうしてだと思う?」と彼が問いかけてきた。

「擬音語と擬態語が特徴的だから?私はそんなに村上春樹を読んだこと無いですけれど。」

彼は目を一瞬見開いて、不思議そうに笑っていた。
「童貞臭い性行為の話書いているからって答えると思った。」
 それから放課後の図書館で見掛ければ少し話す仲になったけれど、それだけだった。

それだけだったからちゃんと彼を覚えている。


 ああ、新宿!
食う寝る遊ぶを入力すれば忽ちに膨張するこの街で、私はひたすらに平和を味わっている。土地の匂いが相応しい店を惹き寄せて、店の値段が相応しい客を惹き寄せるのだ。食べ物にしろ宿屋にしろピンサロにしろ総てその論理から逃れられないとありありと解る。手を加えられるのは、店の空気だけだ。


 酔うのに必死になっている区役所通りに座り込んだ輩を眺めては捨てる様に歩く。疲れたので一旦書くのをやめる。


 身に染みるような貧困すら感じたことの無い私が何故苦しむのか、そもそもの根源は存在することただ一つだった。

 中国語では他動詞とされるこの〈to be〉を、この街は簡単に覆してしまう。
雑踏の中に消え去ることは出来ないが、群衆に成り代わることは出来る。その中で、私は若い女という仮面を被っていることしか求められない。トー横までの道のりで何人もの男たちに声をかけられようが、それは私の女性性を召喚されたに過ぎない。新宿!
永遠にここで、私がわたしである必要はない。

それは1669年に新宿が宿場として生まれたその日から決まり切ったことなのかもしれない。

 そういえば、男女が愛し合わない限り、誰だって幸福に生きられるとオスカーワイルドが書いていた気がするが、本当にそうなら幸福を追求しなかった罰みたいだ。

 愛のために死んだ彼らは神様の中に葬られる。アパ歌舞伎町タワーも、第六トーアビルも、三経ビルも、全部磔刑の十字架みたいなものだ。彼らにポンペイ遺跡の抱き合う二人ほどの緊急性は感じられない。彼らに詩情があると同情出来るほど私は堕落していない。新宿!
結局ここはセクシズムもジェンダーも何もかも引き剥がされて女が所有物に堕とされる場所なのだ。だから新宿にいる限り、私たちは石原慎太郎を妬み石原裕次郎を恨み、若松孝二を愛して足立正生を求める必要があるのだ。ピンク映画みたいなこの街を他に、どんな方法で歩けばいいのだろうか。

 あんまりにも出来すぎた日記だ。
雑階級のこの街に愛を叫ぶ人間なんていやしないのに、煌々とネオンサインが輝いていた。

 彼らの脚本は総て彼らの人生で汚される。
ゴジラ前で泥酔をかまして寝転ぶ背中より酷く汚される。

この新宿の雑踏の中で、休息を見つけることは容易い。

もう安住は求められない。 
この世の中は、巡礼である。


2021年1月某日

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