忘却の為の美しい記憶として、私があなたを思い出す時、いつもあなたは果てしなく遠い、遠い───余白だった。 狭い部屋でEarth, Wind&Fire「September」がBGMのホームビデオを観ていた。熱っぽい冬のディスコソングが眼前を通り抜けていく。この曲は九月の歌ではなく、十二月の曲だ。それは稲垣潤一「クリスマスキャロルの頃には」がクリスマスソングでは無いのと同じ様に、時々思い出しては妙な気分になる事実として存在する。 九月生まれの母を想って、曲名で安直に
反戦映画をどう観たらいいのか分からない。 と言うより正直なところ、反戦映画が好きではない。 理由は「死者たちに代わって」もしくは「死者たちのために」死者の言葉を語ろうとすることは不可能でしか無いからである。 噛み砕いて言えば、戦争の悲惨さを想起させる装置としての映画は誠実でない、というわけである。 それゆえあらゆる反戦モノを観てこなかったのだが、先日授業中にアラン・レネの『ヒロシマ・モナムール』を観ざるを得なかった。 これが案外面白い。 被爆地広島県広島市を舞台にし
眼球舐めプレイ(Oculolinctus)は一種のフェチズムだろう。 ちょうど私が中学生の時に流行っていたので聞き覚えのある人も多いのでは無いだろうか。センセーショナルな報道により、多くの小学校で眼球舐めをする生徒の有無が確かめられたということを耳にした記憶がある。 当時、私は素知らぬ振りを突き通していた。 しかし「眼球を舐める」という行為に対しての興奮があったことは間違いではない。 10代のはじめ、私の眼球に対しての鬱屈とした美意識は、近視乱視による視生活改善器具の着
フェデリコ・フェニーニの『甘い生活』を流し見していた。彼の映画は余りにも長すぎるし、古臭い。申し訳ないけれど。ただ映像が美しいということだけが色褪せない、そう思っていた。 「ときどき、夜中にこの静けさが私にのしかかってくる。平和ってなんて恐ろしいんだろう……」 アラン・キュリー演じるスタイナーの台詞が、遠のいた意識の外側を抉る様にして鼓膜を叩く。途端に私はこの角部屋で、身震いしてしまう。 不幸だ!あんまりにも、あんまりにも不幸だ!……不幸だ。部屋の中でさえ休息出来な
松田聖子を聴き始めたのは、確か高校生の頃だった。 他人よりも遅いであろう彼女との出会いの理由は「母親が聖子ちゃんを好きじゃなかったから」ただそれだけ。 家にある膨大な80年代アイドルグッズの中に、松田聖子はいなかった。 斉藤由貴も薬師丸ひろ子もWinkも工藤静香も、ついには、おニャン子クラブのポスターすらあったのに。 一度好きになったアーティストは大体3年周期で再度はまり出すという習性を持つ私は、ふと思い出したように彼等を聴き出す時がある。 そして2019年の夏
ドライブのためにデリヘル嬢をやっている友人がいる。 私はみうちゃんと呼んでいるが、源氏名は知らない。聞いた気もするが、覚えていない。 何にしろ、デリヘル嬢が友人になった訳ではなく、友人がデリヘル嬢になった。それ故に、私にとって彼女を言い表す言葉は他にもある。 だけども、今の彼女を取り立てて言い表すとしたら「デリヘル嬢の」という形容が一番しっくりくる。なんにせよ、彼女は好きでこの仕事を選んでやっているのだ。 「私ね、デリヘルの仕事で車で運ばれている時間が一番好き。
四歳の頃から、独り寝をしている。 ぬいぐるみを30体くらい敷き詰めた、100cmほどの私には大きすぎるロフトベッドが、幼稚園の年長さんの頃には聖域だった。 あともう少しで生まれるはずの妹を孕んだ母親が、「一人で寝られるようになろうか」と言ってきた訳ではない。 私が、四歳の私が、自ら望んで一人で寝ようとしたのだ。 「明日から、一人で寝たいです。」 そう母親に伝えた日の、数日前のことである。 (私は親に敬語で話すことを半強制されていた) 午後七時には、お風呂に入るこ
私はアカウントを何度も転生しながら、かれこれ5年ほどTwitterを使っている。 高校生の頃も、現在運営しているようなアカウントの内容を呟いていた。 周りに馴染めていない自覚はあったが、時折直接「自分に酔ってそう」「何が言いたいのかわからない、Twitterの使い方間違えてるよ」と笑われることがあった。 それでも自分の趣味嗜好や読了感想を話す場はそこしか無く、アカウントを分けて呟くほど器用でもなかったのでそのまま呟き続けるしかなかった。 私の高校から少し離れたところに
Twitterで人気が勃興している「ちいかわ」と「モルカー」に対して、ずっと思っていたことがある。それは、製作者による我々の「キュートアグレッション」の突き方が非常に巧みであるということだ。 キュートアグレッションという言葉を知らない人に対して説明すると、「可愛いものへの攻撃性」を抱く心理的な衝動である。 これは、可愛いものを見た時に強く締め付けたくなったり、潰してしまいたくなったり、食べてしまいたくなる衝動である。それらを傷つけたり、害を与えたいというものではない。人は
一月某日、私は友人と新宿三丁目を酩酊しながら歩いていた。 大晦日に長く付き合っていた恋人に振られ、どうしようもなく落ち込んでいた時に、彼女が「飲み行こ!」と誘ってくれた。 友人と遊ぶのは楽しいが、約束の時間までに準備をするのに気が進まなかった。 というか、準備をする気力がなかった。 飯田橋で彼女と落ち合って、駅に溢れる人の波を見ながら「コロナどうでも飯田橋!」と笑っている彼女の数歩後ろを歩いていた。 そんなバカなことを言う子ではなかったから、彼女なりに励まそうとし
11歳、合唱コンクールの真っ只中で私の祖父は亡くなった。膵臓癌だった。超してきてまもなくで、友達もいなかったから途中退場して駆けつけたのを覚えている。 祖父は銀行の頭取を退職してから、クラシックと文藝と、畑仕事に精を出すような穏やかな人だった。見合い結婚でも浮気一つせず、毎日夜は自宅で祖父から晩酌してもらうのを楽しみにしているようなその時代には珍しい人だったと思われる。 私は親との折り合いが悪かったので、幼い頃から祖父の家にいた。小さな音でクラシックを聴きながら本を