見出し画像

沈殿物



2021年11月某日

大学の喫煙所で「DELTA9KIDって、何時の季語?」と聞いてくれる友人がいてよかった。
「DELTA9KIDって、何時の季語?と、友達が聞いてきてね」と話すと「大学に友達いたんだね」と拍手までして喜んでくれる恋人がいてよかった。

「メガネをかけているから冬だろ」というのが、彼の言い分なので、中学生の私という固有名詞は冬の季語になるのだろう。

あの頃の私の涸れた思い出は、どこかに沈んでしまって、夏のプールサイドから恐る恐る飛び込んで、だらだらと拾う赤・青・緑・黄・紫のダイブボールみたいにずっと鈍く光っている。

これも全て甘い感傷だけれど、だとしても人生にトルコ菓子のような甘さがあってはならない。


2015年1月某日

雪って、真横に降るんだね。と彼は呟いていた。
「真横だね。一直線の真横。」
日本海を通り過ぎ、凍ついた空気が激しく頬を撫ぜている。1時間に2本しかない電車を待ちながら、私たちはずっと立ちすくんでいた。ホームの自販機には水を含んだ雪が張り付いていて、暇を潰すようにスマホでそれを剥ぎ取りながら、私は頭を縦に振った。寒さを口に含みたくはなかった。そういう怠惰で、舐め腐ったところは直した方がいいものだと、母親は言っていた。

東京には行かないんだね、ここの高校受けるんだってね。てっきり、東京でお受験するものだと思ってた。

君のお母さんは「教育熱心」なんだって母親が言ってたから、と彼は付け足して、手元のコンポタの缶の底を叩き始めた。


叩くより、円を描くように振るといいんだよと言いかけて、そういう蘊蓄じみたことは嫌われそうだとまた口を噤む。直後、彼は唐突に降ってきたコーンの粒が喉に直撃したのか咽せていた。


あの日曜の朝、真冬の駅のホームで、私たちはずっと正しかった。
ずっと正しくあり続けると思っていた。



2021年10月某日

母親と共に、父親の仕事場を出た。
彼女が何かお肉が食べたいというので「なに、焼肉が良いですか、それともステーキとかですか。」と尋ねると「厭だ、焼肉が食べたかったら焼肉って言うでしょう」と答えられた。

こいつァ訳のわからない女サンだわぁ!としみじみ思いながら、近くのステーキハウスを探すと、ルースズクリスステーキハウスがあった。
そこに寄ることにした。歩いて10分もかからなかった。

お店の横には霞が関ビルがあった。

上京する前に、近所のお爺さんが教育会館から、霞ヶ関ビルを眺めると綺麗だと話してくれたことを思い出す。彼の記憶は、昭和40年代から止まったままなのだろうか。

教育会館はもう取り壊されてしまったし、霞ヶ関コモンゲートが行われてから超高層ビルは幾つも増えて、もう何れかすら即座には分からないというのに。

それでも、ビルとビルの渓谷の藍色は好きだ。都電荒川線沿いに歩いて明治通りに交わる時の池袋に向かうあの低層ビル群の煌めきも好きだから、何でも良いのかもしれないが。

まあ、ともかく、私がもし帰郷する時は「綺麗でしたよ」と答えるつもりなのだ。

母親に、恋愛について話すことができるようになったのはつい最近のことだった。つまり、私たちにとって、私の恋愛事情と言うのは「恋バナ」ではなく「将来設計」の話に近しいものなのだ。一頻り近況を話すと母親は私に呆れた目を向けた。
私は彼女を前にして、ひたすらに手を動かして、肉塊を切っていた。

肉塊を切って、口に運び、咀嚼をし、また指先に力を込めながら肉塊を切る。私は水飲み鳥の様に、そう、それは永久機関の成り損ないとしての水飲み鳥だとして、そう、そこに佇んでいるよりほかに無かった。

「厭だ、人間のことを好きになったら苦しいから、早々と嫌う為に恋愛しているんですよ(笑)」

身を引き裂かれるような、体をナイフで削り取るような、そんな恋愛しか出来ない僕らだった。僕ら、と言うのはこんな安直な思考回路は崇高なものでないからだ。

愛のために死んだ人間は、神の中に葬られると知ったあの日からずっとそうだよ。ねえ、ナヒテノルト。君に狂わされて久しいですよ。

つまり、他人を好きになるなんて苦行を、馬鹿みたいに何度も繰り返して僕らは、此処に立っている!
此処がロドスだとして、此処で飛ぶしかないのだ。勇気のない僕達は、何度も何度も死ぬほかない。

そうやって仙台の、駅前群衆集まるペデストリアンデッキから飛び降りたはずなのに、今だって生き抜いてやがるこの身体。日々の不調は脳髄のまどろみに留まらず、甲状腺や胃腸にまで発展しているが、負ける訳には行かんのだ。

「恋はもしかすると死より強いかもしれぬ。しかし、病気は死より一層強い。」
マルセル・プレヴォ



2021年11月某日

あれから母親からよく電話が掛かってくる様になった。母親とは仲が良いだろうが、電話というものがつくづく嫌いになった。私が「悪魔の辞典」に項目を追加するとしたら〈電話:無作法な侵入者〉と書き込むだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?