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独り寝

四歳の頃から、独り寝をしている。


ぬいぐるみを30体くらい敷き詰めた、100cmほどの私には大きすぎるロフトベッドが、幼稚園の年長さんの頃には聖域だった。


あともう少しで生まれるはずの妹を孕んだ母親が、「一人で寝られるようになろうか」と言ってきた訳ではない。


私が、四歳の私が、自ら望んで一人で寝ようとしたのだ。



「明日から、一人で寝たいです。」

そう母親に伝えた日の、数日前のことである。

(私は親に敬語で話すことを半強制されていた)



午後七時には、お風呂に入ることになっていた。

母親と大きな湯船に浸かりながら、九九のお風呂シートなどを眺めて、「のぼせちゃうね」の母親の一言でざばざばとあがる。


上がったら髪の毛を優しく乾かしてもらう。母親はドライヤーの温風と冷風を順繰りに使って、本当に優しい手つきで乾かしてくれる。


その間に私は「小学一年生」の雑誌を読む。
耳に触れる彼女の指をくすぐったく思いながら、鏡台に映る自分をちらちらと見たりもする。


いつもと何も変わらなかった。


ドライヤーの熱から解き放たれて、リビングと寝室を行ったり来たりする。そろそろ眠くなって来た、とダブルサイズのベッドに潜り込むと、母親が「日本昔話」を読み聞かせしてくれる。


母親が腕を伸ばして電気を消す。


「おやすみ」
「おやすみなさい」


いつもと何も変わらなかった。


その日は何故か寝付きが悪く、とは言っても母親に泣きつくことも出来なかった。

横に座る羊のぬいぐるみの足を握って、目を瞑っていた。小岩井農場で買ってもらった、もこもこの羊。


微睡み始めたその矢先、横で眠っているはずの母親が、むくりと起き上がった。

視線は、恐らく私を向いている気がした。
でも何となく瞼を開くことが怖かった。

そう思っているうちに、彼女の柔らかい手が私の首筋に触れた。

触れて、喉元に力が込められているのを感じた。

彼女の手が、私の首を絞めている。

血圧計のカフが腕を圧迫していくように、それはゆっくりと力が込められていた。

母親の、なにやら小さいぼそぼそとした声が聞こえた気がした。

頬にぼとぼとと、生暖かい液体が降りかかって来ても、私は目を開けることが出来なかった。

痛いなあ、と思っていた。
酸素が足りないとはこういうことだったのか、とは今になって解る。
何もまともに考えられなかった。

途端

母親は首から手を離すと、音を立てずに、しかし早足で寝室から出ていった。

壁の外から聞こえる嗚咽を避けるように、布団に潜り込んだ。

そのとき、私は、もう母親と一緒に寝ちゃいけないと、どこかで確信していた。


悲しかった。

アンパンマンの映画で、ロールパンナちゃんが、メロンパンナちゃんに別れを告げるシーンを見た時くらいに、悲しかった。



母親を、恐ろしいと思ったことは、一度もない。


例え怒鳴られることがあろうと、目の前で発狂しようと、彼女の嫋やかな線で描かれた口元は、いつだって優しかった。

でも、彼女を見ると、酷く悲しくなる瞬間がある。

もしもあの時彼女が私を殺していたら、きっと彼女も死んでしまおうとしただろうと、疑ってやまないのだ。

母親が私との心中を実行していたならば

動物の形をした黄色いプラスチックの給食のおかず入れ。

名前も知らない「おともだち」の横で口をぽっかりと空けて眠ったお昼寝の時間。

友達の家で見せてもらった、クレヨンしんちゃんの、しかもかなり昔のビデオテープ。

私がいちばん最初に花を咲かせた朝顔の、青とも紫とも言えない淡い色。

折り紙を山折り、谷折りと連ねて作ったリボン。

誰かが無くしてしまったおままごとのトマトの片割れ。

近所のラーメン屋さんの、お子様用の小さな中華そば、ガチャガチャをするための少し大きな濁った金色のメダル。

フリルがたくさん付いたメゾピアノの真っ赤なワンピース、あれ、ピンクハウスだったかもしれない。


こんなにきらきらした、柔らかに絹糸を織ったような記憶しかないままでこの世界を去っていたんだ。そうだとしか、思えない。


それは、本当に不幸せなことだったのか、私は時々分からなくなる。





それならば、現在の私は、このもう一つの道筋を不幸な結末であったと結論づけるために生き続けるしかないのではないのでしょうね。



ああ、でもこんな悲しいお話、本当な訳ないじゃないですか。創作です。書く話題が無いから書いているだけ。


本当な訳、ないじゃないですか。

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