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崇拝と、ほんの少しの敵意

私はアカウントを何度も転生しながら、かれこれ5年ほどTwitterを使っている。

高校生の頃も、現在運営しているようなアカウントの内容を呟いていた。

周りに馴染めていない自覚はあったが、時折直接「自分に酔ってそう」「何が言いたいのかわからない、Twitterの使い方間違えてるよ」と笑われることがあった。

それでも自分の趣味嗜好や読了感想を話す場はそこしか無く、アカウントを分けて呟くほど器用でもなかったのでそのまま呟き続けるしかなかった。


私の高校から少し離れたところに、芸術系の私立の大学があった。

住んでいた場所は、生活には十分であるが何とも活気のない地方都市であったので、そこに通う大学生は色のないシャッター街で浮いているような身なりの人が散見された。

俗に言うような「垢抜けた」身なりという訳ではなく、雑誌で言ったら、FRUiTSのスナップ写真に掲載されそうな身なりの人間だ。

私はその隔りを偏愛していて、駅までの道のりで時折華やかな彼らを見つけた日には少し気持ちが昂ってしまった。

ある日、その大学に通っていると思われる男の人が、なぜかしがない高校生の私のアカウントをフォローしてくれた。

私は当時東京藝大に行きたくてしかたがなかったので、なんの関わりもない人だったけれども、ひどく嬉しかったのを覚えている 。

ある日その人からDMに連絡が来た。

「あなたのツイートの意味は何もわからないんだけど.なぜかすごく惹かれるから一度会ってみたい」といった文面だった。

その頃は今広く認知されているような「どしたん?話聞こか?」というような画像も出回っておらず、私も世間知らずだったため、特に構えることもなく連絡をとり始めたのを覚えている。今だったらある程度名前を知らない限り無視してしまうかもしれない。

でも、中学や高校の頃からインターネットを使っていた人は割とそのようにネット上の相手と会うことに 抵抗がなかったのではないかとも思う。

私も単純にインターネット上で興味のある人と話をするという程度で連絡を取っていた。

たわいもない会話を続けて数週間後、突然その人から、付き合ってほしいと言われた。

その時にはちょうど恋人がいたし、私は大学進学後郷土に残るつもりはなかったので、交際には至らなかったが、一度食事に行くことになった。

高校の近くの洋食屋さんが指定されたので、私のような日陰者がふらついているところを見られたらどうしようかと少し焦ってしまったのを覚えている。

高校二年生の時分は、ちょうど世紀末美術に凝っていたので、ビアズリーの画集を持っていって、彼に貸した。

初めて会った人間とは思えないほどすんなりと会話が始まった。
私達はお互い、自分たちの込み入った話をすることは避けていた。そうすることが適切だと思っていた。
自分の背景を話すということは心を許してしまうということで、何かを介した、刺激を貰うための友人でいたい場合にはそうすべきだと、私達は知っていたはずだ。

食事を終えた後、近くの喫茶店で彼はビアズリーの絵を見ながら、とても素敵な黒だと言った。

私も本当にそう思った。そう思っていた。

自分の好きな作品に対して、同じような意見を持っているというだけでこんなにも嬉しいのかと思った。その喜びを初めて知ったのが、多分この瞬間だと思う。

私はそのあとも拙い知識ではあったが、彼にいろんなことを話した。捲し立てる話し方は、店の静寂によって遮られた。本当に有り難かった。


その日に知ったのだが、彼は日本画専攻だということだった。

1週間程経つと、彼から連絡があった。
見せたいものがあるから下校途中にアパートに寄ってほしいという内容であった。

塾に行く前の1時間程度なら大丈夫と返信をした。

次の日に彼のアパートに向かうと、玄関に布が掛けられたキャンバスがあった。

彼は微笑を含んだような形容し難い表情で突っ立っていた。

「絵を描いたんだけどね」

彼はそういって布を払った。ビアズリーの絵を日本画調にオマージュしたような作品をキャンバスに描いてくれていた。

「暇を持て余したから」と笑って私にみせてくれたけれど絵がとても下手だった私から見れば、卒業制作かと思わされるような出来栄えで足がすくんでしまった。

私はこういう時に、どう褒めたらいいのかを知らなかった。美術館に行くのも、本を読むのも、音楽を聴くのも、私はずっと一人だった。感情の共有という経験が欠如していた。


私は彼にこの作品を学校で使うかどうかを聞いた。

学校で使うという表現が正しいかわからない。

ただ学校の課題に出すかどうかが気になったのだ。
彼は単純に自宅に飾るだけだと言った。

「それなら」

「それならキャンバスの裏を貸してくれないかな」


何か書くの、と彼は怪訝な顔をして聞いてきた。


私はオスカーワイルドがすごく好きで、その中でも「サロメ」が特に耽美的でよく読んでいた。

その「サロメ」の本の挿絵は、かのオーブリー・ビアズリーである。

私は彼のそのキャンバスの裏にサロメのフランス語原文を書きたいとお願いした。彼はすぐに了解してくれた。

彼から細い筆を受け取ったとき、途端に脂汗が浮き出てきたことを覚えている。

キャンバス地はひどくボコボコしていて、筆先がふるふると振動を描いてしまう。

彼の画いた作品を汚してしまったのではないかと 不安に思いながらも、後ろから「字、上手いね」と声をかけられているのを、なんとなく嬉しく感じていた。


今、彼がどうしているのかは全くわからない。

私は浪人が決まってから数ヶ月後、かなり重度の鬱病になってしまい、人との交流をほとんど絶とうとしてしまったからだ。


私が浪人を決めた時にはまだ彼と連絡を取っていた。関西の某旧帝大学に行こうと思っていたので、目指している大学を口にすることは少し憚られて、何も話せなかった。

浪人をするためにもしかしたら単身で引っ越すかもしれないと彼に言った。

彼とは、美術や音楽や文藝の話しかして来なかったので、(それに私の高校が進学校だとも伝えてはいなかった)これはてっきり美術大学の予備校に通うと思ったのだろう。

一頻り曇った顔をしてから、彼は淀んだ熱を含んだ口調で話し始めた。

東京藝大を目指すも、予備校に数年通うだけの余裕がなく現在の大学に落ち着いているということ。

現状で学べていることに感謝はしているが、この場所の文化資本が少なすぎることに対して少し不満を持っているということ。

やっぱりアルバイトをしてでも、一度藝大を受けて、きっぱりと諦めをつけてみたかったということ。

私も、藝大受験は多浪してもおかしくない修羅の道だと言うことは当時から知っていた。


君なら一年あったらどうにかなると彼は言ってくれた。騙しているようで、心苦しかった。


駅前には画材屋さんがあって、そこで彼が1番好きな色だという、岩絵具黒群緑の11番を貰った。


「その色、ビアズリーの絵の色に似ていると思うんだ」と彼は笑いながら私にそれを手渡した。





先日、私の友人がこんなことを言っていた。

「自分が聴いた音楽や読んだ本や観た映画、その感想を真っ先に伝えたい人がいるということはすごく幸福だよね」


私は高校の時に学内にそういう友人を持てなかった。

私生活において支えとなってくれる友人は居たが、自分の好きな文化について語れるような友人がいなかった。
そうなってくれたであろう先輩はいたが、学年の違いを顕著に感じてしまう高校時代には、彼らにそんな話を軽々としに行くようなことはできなかった。


私は彼にその幸福を見出していたのだろう。

自分が全く知らない分野について、しっかりとした教養があり、そして私の知っていることを話しても、馬鹿にせず、興味をもってくれるということはなんて有り難いことだったと、最近になってやっと気がついた。


あの時に付き合って居なくて本当によかった。


オスカー・ワイルドは、「Between men and women there is no friendship possible. There is passion, enmity, worship, love, but no friendship.(男女の間では友情は不可能だ。情熱と敵意と崇拝と愛はあるが、友情はない)」という言葉を残している。

私と彼の関係性を喩えるなら、崇拝と、ほんの少しの敵意だ。私は彼の知識と技術を尊敬していたが、対話する相手として幻滅されたくないという気持ちもあった。会う日の前には何冊も画集を舐めるように眺めた。



彼が今どうしているかわからない、名前を調べればもしかしたら出てくるのかもしれないが、私は彼の本名しか知らない。

「本名しか知らない」これは、芸術を志す人にとってひどく悲しいことである。

私も彼に、私の本名しか教えていない。

もし彼がどこかで私のことを気にかけてくれたとしても、私の存在は検索欄には引っかからない。彼は「白い喪服」という存在を認知する事はないのかもしれない。

だからあの時に私の好きなことを呟いていることを肯定してくれたこと、他者から潰されそうになって居た時に、自分の個性を認めてくれたということが、上京してからありがたいほどわかる。

彼がいなかったとしたら私は人前で芸術について あれやこれやと語ったりすることはなかっただろう。

こんなにも人との関係性を続けるということが恐ろしいと感じているのに、私の周りの人間はあまりにも魅力的で、圧倒されてしまいそうで、どうしたらいいかわからなくなるのだ。本当に、いじらしくなる。



それでも、続けていこうとは思っている。このいじらしさを発見できたのも彼のお陰なのだから。


生活費に充てます。困っているので。よろしくお願いします