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きっと私もタクシードライバーになれない
ドライブのためにデリヘル嬢をやっている友人がいる。
私はみうちゃんと呼んでいるが、源氏名は知らない。聞いた気もするが、覚えていない。
何にしろ、デリヘル嬢が友人になった訳ではなく、友人がデリヘル嬢になった。それ故に、私にとって彼女を言い表す言葉は他にもある。
だけども、今の彼女を取り立てて言い表すとしたら「デリヘル嬢の」という形容が一番しっくりくる。なんにせよ、彼女は好きでこの仕事を選んでやっているのだ。
「私ね、デリヘルの仕事で車で運ばれている時間が一番好き。自分が物になった気がするんだよ。だってね、わざとらしく丁寧なの、ドライバーの人が。そんな態度取られることなんて他に無いんだもん。…あと次に好きな時間は、彼氏の車に乗っている時。」
彼女と久しぶりに遊ぼうと待ち合わせた新宿東口の喫茶店でそう言われた。その時になって初めて、私は彼女がデリヘルの仕事をしていると知った。
私の数少ない幼馴染である彼女は、小学生から中学生の間に三年ほど、ジャズピアノの教室に通っていた時の友人である。
指が短くて、思うようには弾くことが出来ずに憂鬱だった教室で、彼女と会うことは限られた楽しみだった。
教室に通い始めて1ヶ月ほど経って「友達になってくれる?」と聞かれた時、私は即座に答えられなかった様に覚えている。
年上の人から「友達」という関係を提示させられたことの恐ろしさと、こういった言質を持って友達になるという経験の無さ故に、私は少したじろいでいた。
少し照れ臭そうに放った「いいよ」という返事に彼女が笑顔を見せてくれてから、私はずっと彼女を慕っていた。
偶然、私の母親もみうちゃんの母親も迎えに来れずに二人で帰ることになった日があった。
彼女は隣町に住んでいたので、途中までしか一緒には居られなかった。なんだかこう書いていると、好きな男の子の話をしているようだが、私は多分その時にみうちゃんの事が好きだった。
それは恐らく、ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』のハンスとハイルナーが交わした「初恋の微妙な神秘の一端」の様な淡いものでしかなかったが。
彼女と暗がりで手を繋ぎながら歩いている時、私は彼女の指の長さや背の高さばかりに気を取られていた。手汗がじっと滲んで、何か神聖なものを自分が汚してしまうようで恐ろしかったのに、何故か手を離したくなかった。
そんな彼女が、デリヘル嬢であるという事実に、私は特段驚かなかった。
その理由が私のアンチ温情主義によるものなのか、それとも離れていた間に彼女を子どもっぽいと捉えるようになったからなのか、わからない。
彼女は東京に2年も住んでいるのに未だ駅の名前を殆ど知らないし、大江戸線の恐ろしく長いエスカレーターのことも、都営新宿線の妙に高そうなシートのことも、南北線のホームには飛び込み禁止の開閉ドアがついているのも知らなかった。
喫茶店に何時間も居られる訳でもないし、お腹も空いたということで、新宿から麻布十番に行こうとした。行きたかったレストランがあったから。
その日、大江戸線が人身事故か何かで遅延していて丸の内線から四谷乗り換えの南北線を使った。
彼女は四谷駅のホームで「これ、初めて見た。こういう頑丈なドア、デパートみたいだよね。」と言った。目眩がした。
私より酷く大人びて、指が長く背の高い華奢な彼女が、子供じみたことを恥じることなく話すことは、私にとって幾らかの衝撃だった。
それが、余りに可愛らしい響きを持って聞こえることも。
電車の中で「みうちゃんが、そんなに車に乗ることが好きなら、タクシードライバーにでもなればいいじゃない」と話したら、方向音痴だから向いていないと笑われた。そもそも彼女は運転免許を持っていなかった。
「そもそもね、タクシードライバーみたいに、何時でも人に強制的に使われること、あんまり向いてないの。自分で使われたいと思った時にしか、人に使われたくないよ」
彼女の話す東京は、色んなところが抜け落ちている。夜の千代田区と、港区と、品川区にだけはめっぽう詳しかった。
何処がどの時間帯に渋滞し易いだとか、何処のデパートのBAさんが一番感じがいいだとか、そういう類いの話を、彼女は本当に楽しそうに話した。
私の知る東京と足して2で割ったら、もしかしたら大多数の人から見た東京に近いのかもしれない。デパコスのBAさんに自ら話しかけられない私は、何処の古書店のおじさんが一番話しかけやすいかといったことしか詳しくない。
彼女と一、二時間ほど共に夕食をとって、あっさりと別れてから、タクシードライバーにでもなればいいじゃないと言った言葉を酷く後悔した。
高い給料が貰えて、会話も限られた人とだけで済むからという理由で私が家庭教師のバイトをやっていることよりも、一つでも好きな理由があって彼女がその仕事をしていることの方が、よっぽど素敵なことなのかもしれない。
彼女の唐突な言葉に驚かなかったとしても、なんでわざわざそんなバイトをしているのだろうと、心の内で思いかけた自分がいたことは明らかだった。謝ることではないという事実が、私の感情の行先を阻んだ。
電車のドアに寄りかかって「また遊ぼうね」という彼女のラインを見つめていたら、幼い頃の記憶が濁流のように流れ込んできた。
例えば、彼女からトンプソンのテキストを借りたままであるが、未だに返せていないこと。
あのテキストの背表紙には、親御さんが書いたのであろう丁寧な名前書きがあった。
そして「シリアに寄せて」のページが酷く使い込まれていて、「この曲は本当は『シチリアに寄せて』なんだよ。シチリアーノだもん、曲の感じが。」などと分かったような顔で言った私の言葉を走り書きで書いてあるのだ。
「シリアじゃなくて、シチリア!シリアは人間の名前だと思ってた」
この一行を思い出す度に、私は彼女を酷く愛おしい存在だと思い出す。
みうちゃんに限った話ではないのだ。
さり気ない思い出がふと頭を過った時、無くしたお気に入りのぬいぐるみを見つけ出して抱き締めた時のような愛おしさばかりが溢れてくる。
それなのに、愛おしい女の子たちほど、どうして会いづらい存在になってしまうんだろう。
会いづらさ故に、私が彼女達を愛おしいと思っているのだとしたら、どんなに残酷なことなんだろう。
指を咥えて見つめていた来客用のケーキが、大人になった今食べてしまうとそんなに美味しいものでも無いように、彼女達を消化してしまうかもしれない。
相手の身振り手振りや、様相の変化に目を瞑りながら「私たちは変わってないね」と言い合うようなままの方が、わかりやすい安心は得られるはずだ。
でもそれに、抗いたい。
幼馴染という響きはとても甘やかなものではあるが、創作のように上手く関係性のものばかりじゃない。人生のあらゆるターニングポイントを過ぎていく中で交友関係も変わっていくのだから。
私と彼女の分岐点は会わない間の何処かにあった。それを見逃してしまったままにしたら、違和感を通り越して、憎悪にすら変わってしまう。
多分、今年も彼女に会う日がある。
その時に私は教室での思い出や、彼女をどんな角度で見つめていたのか、みうちゃんが私の中でどんな存在だったのか、きっと話してしまう。たとえそれが正解でなくても、しっかり話してしまおうと思っている。それが出来なかったら、彼女にこの文章を送りつけでもすればよい。
そして、彼女が、曖昧で、不可解な顔をすることを、望んでいるのだ。
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