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現代の格差是正は間違っていると考えさせられるオスカー・ワイルドの「幸福な王子」|読書場所:K-port|読書記録

富める者に批判的な感情を向けがちな昨今だが、その結果もたらされるのは貧しい者の更なる貧困化である。オスカー・ワイルドの「幸福な王子」に編纂された童話の数々を読んだとき、最も強く印象に残ったのは、その教訓めいた一つの現実である。


「幸福な王子」を読みながらK-portでまかない丼を頂く

まかない丼

今回の読書場所は、K-portである。渡辺謙氏がオーナーのカフェで知られる。本noteの読書記録では2度目、本note全体では3度目の登場となる。前回は、「星の王子さま」を読んだときに訪れた。

「王子」繋がりを意図したわけではない。たまたま被った形である。今回の来店では、前回品切れで食べられなかったまかない丼を食べている。海鮮とだし汁のマリアージュを楽しめる丼である。

比較的薄味で食べやすさのある丼なので、海鮮丼にありがちな塩辛さやお腹に溜まるような重さを感じず、スルスルと喉を通っていくような軽い食べ心地がある。海鮮丼が苦手な人でも食べられるかもしれない。

オスカー・ワイルド作「幸福な王子」から格差是正の間違いを思考する

オスカー・ワイルド「幸福な王子」

本書「幸福な王子」は、オスカー・ワイルドの童話が編纂された一冊である(リンクは広告)。写真中の物はヨルシカによるカバーであるが、新潮文庫本来のカバーはリンクの画像である。本書には以下の物語が収録されている。

  • 幸福な王子(The Happy Prince)

  • ナイチンゲールとばらの花(The Nightingale and the Rose)

  • わがままな大男(The Selfish Giant)

  • 忠実な友達(The Devoted Friend)

  • すばらしいロケット(The Remarkable Rocket)

  • 若い王(The Young King)

  • 王女の誕生日(The Birthday of the Infanta)

  • 漁師とその魂(The Fisherman and His Soul)

  • 星の子(The Star-Child)

多くの物語が教訓的であり、また世の真理めいた事象、展開を美しい文章で描いている。よく言われるように、オスカー・ワイルドの童話は子どもに読み聞かせて感動を呼び起こすような分かりやすく、優しい物語ではないかもしれない。

しかしながら多くの学びや思索を喚起する素晴らしい物語ばかりである。大人が読んでも魅力的であり、何よりある種の哲学的な思慮の機会を与えてくれるため、読んでいて唸らせられる。読んだ経験のない人々にはぜひ読んでもらいたい。

オスカー・ワイルド「若い王」が教えてくれる”富める者のおかげで貧しき者が生活できている現実”

オスカー・ワイルドの童話が収録された「幸福な王子」の中で、特に印象的だったのは「若い王」である。若い王が、民の犠牲により自身の富が築き上げられている凄惨な様子を夢に見、王らしからぬ貧しい姿で暮らすことを選んだ結果、臣下からも人民からも非難を浴びることとなった物語である。

最後には、神に選ばれたかのような姿となり、臣下からも人民からも畏怖されるに至る。本作は、人民を想って選んだ貧しい姿が誰からも非難される現実が印象的な話であり、その際に若い王に向けられる臣下や人民の言葉の数々が、世の真理を突いていて考えさせられる。

陛下、富める者の豪奢から貧しき者の生活が出てくることをご存じありませぬか? 陛下の虚飾によってわれわれは養われ、陛下の悪徳がわれわれにパンを与えるのでございます。主人のために汗水たらして働くのは、つらいことではありますが、しかし仕えて働くべき主人を持たぬことは、なおいっそうつらいことなのでございます。

若い王

とりわけこの台詞は印象的である。簡単に言えば、仕事を生み出してくれる存在がいないと貧しい者はより一層貧しくなるといった話である。昨今の世の中は、格差是正の名の下にとかく富める者を締め上げ、貧しい者への所得移転を図ろうと躍起になっている。

しかしながら、本作はそうした世の在り方に一石を投じるが如く真理を突いている。つまり、富める者が富みを謳歌することで、貧しい者の生活が成り立つ。そういうわけである。『そんなわけはない』と思うだろうか? ならば、一度現在の日本を俯瞰して欲しい。

たとえばインバウンド政策。国も地方の自治体もインバウンドを増やそうと日々様々な施策を投じている。このインバウンドは、まさに富める者の虚飾によって貧しい人民に仕事を生み出す存在である。富める外国人の娯楽によって、貧しい地方の観光業に仕事を生み出しているわけである。

そもそも現代の地方の生活が成り立っているのは、東京都等の富める数少ない都市部によって創り出された金を財源に、地方の自治体を通じて仕事を生み出しているからと言っても過言ではない。東京一極集中是正と地方の知事は盛んに語るが、その先に待っているのは一億総貧困であり、地方の崩壊である。

何せ、『富める者の豪奢から貧しき者の生活が出てくる』のが現実であり、富める者の豪奢が消えれば、貧しき者から消えて行くためである。その点に考え至らない地方の知事たちは、まさに愚かな若い王そのものと言える。そして、現実の若い王は、その愚かな美徳によって神に祝福されることはない。

何せ彼等は若い王ほどには人民のことを真に想っておらず、豪奢に身を染めた富める者でしかないからである。その豪奢が貧しき者の生活を生んでいないのだから、一体全体誰が為の富める者なのか甚だ疑問を抱かずにいられない。

今取り組まれている格差是正は正しくない

格差是正が正当性を持つのは、本来的に富める者が貧しき者を搾取している場合である。現代において行われているような、汗水たらして働いた正当な対価によって富める者を搾り取り、働かずに自ら貧しき者へと身を転じている者に金品を渡す格差是正に正当性はない。

怠け者の再生産がもたらすのは健全な社会ではなく、社会の崩壊である。だが、そうした誤った歩みに全力を尽くしているのが現代なのだから、嘆かわしさしかない。仕えて働くべき主人がいないことが、汗水たらして働くよりもつらいのが在るべき社会像であるにもかかわらず、主人が消える社会を目指しているのである。

そんな社会において、一体全体誰が貧しき者達に仕事を生み出し、彼等彼女等の生活を支えられるのだろうか。一人、また一人と主人が消え、残るのは仕事を持たずに生活を築けない貧しき者達だけになっていく。その先にあるのは人類の滅亡に違いない。

「幸福な王子」は、自身の富を分配し続けた王子が、分配し尽くした後にみすぼらしい像だと処分されてしまう(もっとも神に讃えられ神の街で過ごせるようになる)。富の分配の末、朽ち果ててしまう姿は、誤った格差是正に突き進む現代社会の未来を暗示しているようにすら感じられる。

「若い王」「幸福な王子」の2作は、富める者・貧しき者の存在が日々議論を呼ぶ現代社会において、強烈なアンチテーゼとして大きな価値を持つ物語であるように想われる。未来に現代の過ちの結果を残さないように、現代の人々が改めて読み、考えていく必要のある物語でなかろうか。


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