見出し画像

サン=テグジュペリ「星の王子さま」を読んで、SNS時代の生き方を知る|読書場所:気仙沼市 K-port|読書記録

2月とは思えない温かな日がある一方で、2月らしい気温の日もあり、寒暖差が尋常でない日々が続いている。気持ちは既に3月だが、そう思って外に出ると冬の洗礼を受けるので油断ならない。

気仙沼市内湾

今日という日は、2月らしい気温の日寄りだった。しかしながら、春を彷彿とさせる快晴である。そのせいか、春めいた服装で歩いている人々をいくらか目にした。きっと寒かったに違いない。


渡辺謙が気仙沼市につくった喫茶店・K-port

今日は久し振りにK-portを訪れた。

渡辺謙が作った喫茶店

久し振りといっても3-4ヶ月振りくらいだろうか。年末にも立ち寄ったのだが、タイミングが悪く休業であった。K-portは、言わずと知れた喫茶店である。何せ、世界的に有名な渡辺謙が作ったのだから。

本noteでも一度取り上げている。現在は冬季だから整然とした佇まいだが、夏期になるとお店の外にもテーブルと椅子を出し、外の陽気と浜風を浴びながら飲食を楽しめる。

現在は木曜日を除く11時-16時の営業であるが、時と場合によって若干変動するようだ。そのため、遠方から訪れる方など、どうしても来店したい方は、予め営業予定を確認するに越したことはないかもしれない。

とりわけ年末年始などは変動が見られる。また、たまに貸し切りで利用できないときもあった。なお、会計はクレジットカードを利用できる。価格帯は食事(飯物・ピザ)1,500円前後、ドリンク・ケーキ500円前後(物による)な印象である。

田舎の喫茶店と考えると若干高めに思われるかもしれないが、内湾エリアだと標準的な価格帯である。とはいえ、価格相当のクオリティは確保されているため、大きく不満に感じることはないのでなかろうか。

HOTミルク
エビ出汁カレー

今日は、エビ出汁カレーを頂いた。HOTミルクはセットである。まかない丼をそろそろ食べたい気持ちであるが、どうにも最近は食べられる日に出会えない。今日も提供が行われていなかった。

さておき、エビの出汁が利いたカレーは絶妙なマイルドさ、甘さがあり美味であり、スパイスのトッピングで引き立つような辛さを堪能できる素晴らしい逸品である。満足度は高い。

海鮮を楽しみたいならまかない丼になるが、食べられる幸運を掴まないといけないようである。といっても、そもそも内湾エリアには海鮮を堪能できるお店は多く存在する。そちらで食べれば良いだけと言える。

数多くの真理を詰め込んだ傑作「星の王子さま」

K-portを訪れたのは、洗練された喫茶店で一冊の本を読みたかったためである。といっても流石に短時間で一冊すべてを読み切るのは難しかった。何事にも限界はあるのでやむを得ない。

星の王子さまとK-port

今回選んだ本は、サン=テグジュペリの「星の王子さま」である。知らない人は中々いないだろう有名な名作であり、数多くの小説や漫画、ドラマなどにおいて引用され続けている作品でもある。

https://amzn.to/3utWQwX(広告)

「星の王子さま」を選んだ理由は、そんな数多くの引用を受けている作品でありながら、今の今まで一度として読んだ経験を持っていなかったからだ。一度は読んでおきたい、そう想い続けていた。

「星の王子さま」は特異な作品

一度でも「星の王子さま」を読んだ経験を持つ方々の中には同様の感想を抱いている方がいるかもしれないが、本作は特異な作品だと感じる。たとえば、数多くの創作物において引用されている事実に鑑みれば、『それだけインパクトのある作品なのか』と考えるのが普通に思える。

しかしながら、本作は詩的な作品であっても刺激的な作品ではない。確かに印象深い言葉が数多く詰め込まれているが、強烈な読後感を催すような作品とは言い難い。物語はどこか淡々と進んでいくため、あっさりとした読後感がある。

それでいて一つ一つの言葉が印象に残るのだから、特異と言わざるを得ない。それが技術によってもたらされているのではなく、作品の雰囲気や登場人物の在りようによってもたらされているのだから、なおさら特異である。

「星の王子さま」で最も印象的な言葉

ありきたりな感想ではあるが、「星の王子さま」を読んで印象に残った文章は以下である。

『ものは心で見る。肝心なことは目では見えない』

星の王子さま」(リンク先は広告)

「星の王子さま」には、至るところに真理と言って良い言葉や考え方が数々散りばめられており、その多くがどこか筆者たちが生活している現世への皮肉のように感じられる。

その中でも、目で見るのではなく心で見るのが肝心だと語るキツネの言葉は、非常に考えさせられる指摘であり、的を射た言葉である。本作の中においては、王子さまの住んでいた星の”花”を思い浮かべる読者が多いのでなかろうか。

彼女の言動は、まさに目で見てしまったら嫌な言動である。だが、彼女自身が語ったように、その言動は彼女が王子さまを愛している故の言動だった。ツンデレと言うのか構ってちゃんと言うのか、素直じゃないと言うのかは人それぞれに思われる。

いずれにしたところで、彼女の言動は心で見なければ真意を汲み取れず、肝心な想いは心で見なければならなかった。王子さまが最初から彼女を心で見ていれば、王子さまが後悔めいた悲しいを思いをしなくて済んだと考えれば、ある種、本作において最も重要な言葉と言えるかもしれない。

尤も、王子さまが最初から彼女の真意に気付いていたら、王子さまがその後出会う人々から気付きを得ることはなく、何より心で見ることの肝心さを知ることもなかったわけである。上手くできていると言えば上手くできているが、ままならないと言えばままならない。

人間は誰しもすれ違い、そして後悔する

浅薄ながら「星の王子さま」を愛の物語として見たとき、花と王子さまを取り巻く話は、とてもリアリスティックで、だからこそ胸を締め付ける。愛し方を理解できない人間、素直な言葉を伝えられない人間、そうした人間が後悔を抱える話は、筆者たちの過ごす日常においても枚挙に暇がない。

それは往々にして人間の気持ちが目では見えないものであり、杳として知れないものだからである。また、愛の形は人それぞれ大きく異なり、素直な言葉を伝えた結果が必ずしも好ましい結果になると限らない現実が、複雑性や難解さを引き上げている。

一方で、砕ける覚悟で当たっていく人間が愛を成就させるケースは多い。秘すれば花などといった言葉はあるが、結局のところ人間の気持ちは言葉にしなければ伝わらないし、直接愛を伝える以上に愛を感じさせる方法を見つけるのは難しい。愛し方にしたところで、

言葉じゃなくて花のふるまいで判断すれば良かったのに。(中略)あの小細工の陰にかくれた優しさを察してやればよかった。

星の王子さま」(リンク先は広告)

王子さまは(恐らくキツネから教えてもらった”秘密”を受けて)上記のように悔恨の念を口にしているが、事はそれほど容易ではない。現実問題としてふるまいから相手の愛を理解できるケースなどエスパーでもなければそうそうない。

恋は駆け引きと語る向きもある。確かに恋は駆け引きかもしれないが、愛が駆け引きであっては堪ったものでない。愛とは愛おしむ行為であって、騙し合いや探り合いではないのである。とはいえそうした愛は、愛人よりも恋人の方に強く結びつくのだから、何とも困ったものだ。

愛人という言葉を生み出した人間は罪深いと言わざるを得ない。といっても、愛人という言葉に不貞の色がつくのは、日本国内における日本人ならではの話かもしれないが。

SNS全盛の時代に問われる心の視力

それはそれとして、なるほど確かにキツネの言う”秘密”は含蓄に富んでいる。つまり言葉という表層だけに目を向けては、ふるまいに秘められた想いを見つけられない。目で見るのではなく、心でふるまいを感じ取れるならば、そこに秘められた想いを察せられるわけだ。

何せ『心で見る』とは、つまるところ『相手を心から理解しようと気持ちを傾ける』を意味する。それは自分の内側に相手を感じる行為に外ならない。愛だの恋だのというものは、畢竟心と心のパスの繋がりであり、互いの心の秘められた部分を感じ取れている状態である。

そしてそんな状態について、互いに嫌だと思っていない、寧ろ心地良さを感じている状態だ。互いの表層を目で見ているだけでは絶対に辿り着けない境地であり、キツネの語る、心で見る肝心さが分かる真理に違いない。目で見える程度の範囲では、大切を捉えるのは難しい。

ここまでの話を踏まえてふと考えるのは、筆者たちが生活している現世、現代の状況についてだ。とりわけ新型コロナウイルスによって生じたパンデミックを経て、筆者たちの世界のコミュニケーションは、従前とは比較にならないほどの速度で電子化の道を進んでいる。

公私ともにチャットツールやSNSを通じたコミュニケーションが主流になり、対面で言葉を交わす機会が大きく減っている。地方に至っては少子高齢化・人口減少の深刻化で、他者と出会う機会さえ減る一方である。都市部にしたところで、人間の数が多いだけで、交流できる人間が増えているわけでない。

結果的に、コミュニケーションの多くはテキストを中心とした電子の世界が舞台となり、”現実には知らない人々”との交流が拡大している。驚くことに結婚さえ、電子の世界で”現実には知らない人々”との出会いによって成立する割合が増えているほどだ。

そんな世界において、王子さまの言う『ふるまいで判断すればよかったのに』は、成立させるのが困難になっている。何せ、姿形が分からない人間との間でコミュニケーションが行われるのだ。存在しているのは”目で見える”文字だけである。

一見すると、キツネに言わせれば”肝心なものが見えない見方”しかできない状態に等しい。だが、本当にそうだろうか。筆者は違うと考える。確かに一見すると、キツネに言わせれば”肝心なものが見えない見方”しかできない状態に等しい。

けれども、目で見るテキストの裏側にはちゃんと人間がいる。つまり目で見るテキストにもしっかりと人間の気持ちが存在しているのである。気持ちが存在しているのであれば、心で見られるはずだ。一見すると目で見えるテキストしかないように見えるから難しいだけで、それは心で見られるものに違いない。

王子さまが花のふるまいから花の真意を心で汲み取るよりも、SNSやチャットから相手の心を汲み取るのは難しいだろう。何せ目で見えるものに筆者たちは囚われてしまう。見えない心よりも、見えるテキストの方が、筆者たちにとって分かりやすい。

分かりやすいは、とても強力な敵である。打ち勝つのは中々難しいし、より強力な心を必要とする。だが、決してその分かりやすさに屈してはいけないのだ。分かりやすさに屈すると、コミュニケーションを取っている相手が居なくなってしまう。

目の前にあるテキストがすべてになる。それは、空っぽの殻であり、テキストにテキストを返しても、誰とも繋がれない。愛だの恋だの以前に、人間との交流さえできなくなる。だから、心の視力を上げて、心で見なければいけない。テキストの内側、あるいは裏側にある人間の心を見るのだ。

「星の王子さま」はSNS時代を生きる我々に大切な真理を教えてくれる

現代において、「星の王子さま」はSNS時代の生き方を教えてくれるように思う。それはとても浅薄な読み方であり、浅慮な話かもしれない。しかしながら、目で見えるテキストがすべてになりがちな筆者たちにとって、テキストを心で見ることの大切さは、示唆に富む話である。

目で見えるだけのテキストに囚われては、王子さまや花のように、悲しい後悔を抱える羽目に陥りかねない。目で見えるテキストの内側、あるいは裏側にはちゃんと人間がいて、心がある。だから目で見えるものがすべてだと思わず、心で見るのが大切だ。本作を読んで、その真理を知られたのは、とても嬉しく感じられた。


以下は広告です。興味が湧いたら読んでみてください


この記事が参加している募集

読書感想文

皆様のサポートのお陰で運営を続けられております。今後もぜひサポートをいただけますようお願い申し上げます。