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【読書メモ】「絶望を希望に変える経済学: 社会の重大問題をどう解決するか」アビジット・V・バナジー・エステル・デュフロ

原題は「困難な時代のための優れた経済学」。2019年ノーベル経済学賞を受賞したバナジーとデュフロ2人の経済学者による、格差や貧困などの現代社会が抱える問題に、経済学と社会政策はどのような役割を果たすことが出来るか述べた本。条件付き現金給付(CCT)や卒業アプローチなど、開発学で有名な手法についても検証している。国際協力に関心がある方は必読と言える一冊。

【目次】
序文
第1章 経済学が信頼を取り戻すために
第2章 鮫の口から逃げて
第3章 自由貿易はいいことか?
第4章 好きなもの・欲しいもの・必要なもの
第5章 成長の終焉?
第6章 気温が二度上がったら…
第7章 不平等はなぜ拡大したか
第8章 政府には何ができるか
第9章 救済と尊厳のはざまで
結論 よい経済学と悪い経済学


以下、抜粋

貧困は減っている

もしかしたら絶対貧困ラインの定義(1日1.90ドル)が低すぎるということはあるかもしれない。だが過去30年間振り返って見えると、単に貧困が減っただけではないということがわかる。 貧しい人々の生活のクオリティを大幅に改善する出来事がいくつも起きているのだ。1990年以降、乳児死亡率と妊婦死亡率は半分まで下がった。その結果1億人以上の子供の死が回避されている。今日では、大規模の社会的混乱さえなければ、子供たちのほぼ全員が小学校教育を受けられる。また成人の識字率は86%に達する。HIV/AIDSの死亡数でさえ、2000年代前半にピークを打ってからは減少に転じた。このように、貧困層の所得増は単に数字のことではない。
新たな持続可能な開発目標では、極度の貧困(1日1.25ドル未満で生活する人々)を2030年までに撲滅することが掲げられている。この目標を達成することは十分可能だと考えられるし、少なくとも現在のベースで成長を続けるなら、目標にかなり近づくことは可能である。

263

条件付き現金給付(CCT)

こうした条件付き現金給付(CCT)は、中南米全域さらには他の地域(ニューヨーク市にまで)に普及していった。CCTプログラムの多くは当初同じような条件付きで開始され、併せてRCTが実施された一連の実験で2つのことが判明している。第1に貧しい人に現金を渡しても何も恐ろしいことは起きないということが確かめられた。次章で詳しく取り上げるが、働くなるとか、全部飲んでしまう、という懸念は杞憂に終わっている。このことは、開発途上世界における再分配について認識を改める景気となった。2019年に行われたインドの総選挙では、二大政党がどちらも初めて、貧困層への現金給付を公約の柱として掲げている。第2に、各国がメキシコを手本にして試験的導入に取り組み、いろいろなバリエーションが出てくる中で、当初の制度設計で予定してこようなこと細かな指示や手伝いを貧しい人々は必要としないことが判明した。こちらもまた、再分配をめぐる議論の転換点となっている。 プログレッサ実験とその後継プログラムは、現金給付型貧困削減策に大きな貢献をしたと言えよう。

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卒業アプローチ

フランスとは遠く離れたバングラデシュでも、有名なNGOのBRACが同じ結論に到達していた。BRACは貧しい村で活動を展開してるとき、貧困層の中でも極貧の人々は多くのプログラムから除外されていることに気づく。この問題を解決するために彼らが考えついたのが「卒業アプローチ」だ。 村で最も貧しい人々を特定すると、BRACから彼らに生産的な資産(多くは牛のつがいか数頭のヤギ)を与える。そして18ヶ月にわたって精神的にも金銭的には社会的にも何かと支援し、また資産の最適活用法を指導する。このプログラムについて行われたRCTでは、多大な効果が確認された。またインドでは、私たちは類似のプログラムの評価サンプルを10年にわって追跡調査することができた。その地域では全体的に経済が拡大し、多くの世帯の所得水準が上がったのだが、それでもプログラム参加者には、参加しなかった人に比べて多くの点で長期にわたるちがいが認められた。参加者は消費が増え、資産が増え、健康で幸福になった。この人たちは社会から見つけられていた集団から「卒業」し、「普通の貧困層」になったのである。 単なる現金給付プログラムは期待を裏切る結果に終わることが多いが、それに比べて卒業アプローチは有望と言って良いだろう。窮乏した世帯を生産的な労働へと導くには、お金を渡すだけでは足りないのである。彼らは人間として扱い、それまで払われたことがなかった敬意を払い、可能性を認めるとともに、極貧によって受けた数々のダメージを理解することが必要だ。

454-455

結論

ここから、2つの結論を引き出すことができる。1つ目は、取り憑かれたように成長を目指すのはやめるべきだということだ。 レーガン=サッチャー時代の成長信仰以来、その後の大統領も成長の必要性をつゆ疑わなかった。成長優先の姿勢が経済に残した傷跡は大きい。成長の収穫を人握りのエリートが刈り取ってしまうとすれば、成長はむしろ社会の厄災招くだけである(現にいまも私たちはそれを経験している)。すでに述べたように、成長の名を借りた政策はどれも疑ってかかるほうがいい。成長の恩恵がいずれ貧困層には回ってくるといった偽りの政策である可能性が高いからだ。成長は少数の幸運な人々に恩恵を持たらすだけだとすれば、そのような政策がうまくいくと考えることのほうを恐れるべきである。
2つ目は、この不平等な世界で人々が単に生き延びるだけでなく、尊厳を持って生きて行けるような政策を今すぐ設計しない限り、社会に対する市民の信頼は永久に失ってしまう、ということだ。そのような効果的な社会政策をの設計し、必要な予算を確保することこそ、現在の喫緊の課題である。

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(2024年3月7日)


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