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烏賀陽弘道 ~フクシマからの報告~

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京大卒の元朝日新聞記者が、フクシマの今をレポートしています。 福島の一部地域は、もう人の住める場所ではありません。マスコミが報じない衝撃の事実が沢山レポートされております。 記事…
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#浪江町

フクシマからの報告 2019年春    原発から8キロ            6年間強制避難区域だった浪江町を再訪 解除2年で帰還した住民はわずか4%  町並みは今なお荒廃が続く

フクシマからの報告 2019年春    原発から8キロ            6年間強制避難区域だった浪江町を再訪 解除2年で帰還した住民はわずか4%  町並みは今なお荒廃が続く

 福島第一原発事故で強制避難の対象になった20キロラインの内側だった町村はいま、どうなっているのだろう。

 今回は、その一例として、原発から4キロ〜30キロの地点に広がる「浪江町」の現状を報告する。

 福島県浪江町は、原発立地自治体である双葉町の北隣。いわば「原発に一番近い市町村」のひとつである。町役場は原発から北に8キロの位置にある。6年もの間、強制避難区域に入り、無人になった。

(浪江町

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フクシマからの報告 2020年秋    廃墟の街に出現した「伝承館」     外に広がる現在進行形の       原発災害に来館者は無関心

フクシマからの報告 2020年秋    廃墟の街に出現した「伝承館」     外に広がる現在進行形の       原発災害に来館者は無関心

2020年9月20日、福島県双葉町に「東日本大震災・原子力災害伝承館」が開館した。私も同年10月上旬に訪問して展示を見てきたので、今回はその報告をしたいと思う。

新聞報道などで、この「伝承館」開館のニュースをご覧になった方も多いと思う。概略は記事のとおりだ。

「原発事故直後の混乱と復興の歩みを後世に受け継ぎ、記憶の風化を防ぐ」
「地上3階建て。総工費は約53億円」(注:国の予算)
「六つのエリ

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フクシマからの報告 2020年秋    沿線30㌔廃墟が続く 山街道を行く  人口帰還率6% 浪江町を歩いた   写真ルポ(下)

フクシマからの報告 2020年秋    沿線30㌔廃墟が続く 山街道を行く  人口帰還率6% 浪江町を歩いた   写真ルポ(下)

前回に続いて、福島県浪江町からの報告を書く。

上巻は同町の平野部・海岸部の市街地の様子を書いた。今回は方角を東から西に反転して、阿武隈山地の山間部を訪ねる。 

前回のおさらいをしておこう。

浪江町は東西に長い。西の町境から太平洋岸まで35㌔ある。東京圏でいえばJR東京駅から八王子駅の距離に近い。福島第一原発のある双葉町の北隣。町の中心部は原発からは約8㌔しか離れていない。

2011年3月1

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フクシマからの報告 2021年春    震災10年目の3月11日 被災現場に行った  津波犠牲者の墓参者に群がる     新聞テレビ記者の狂騒を目撃した

フクシマからの報告 2021年春    震災10年目の3月11日 被災現場に行った  津波犠牲者の墓参者に群がる     新聞テレビ記者の狂騒を目撃した

 東日本大震災から10年の2021年3月11日、福島県浜通り地方(太平洋沿岸部)のかつての「強制避難区域」の現場に立ってみた。そこでどんな光景が見えるのか、この目で見て、歴史の記録に残そうと思ったからだ。

2011年3〜4月、福島第一原発から半径20㌔の半円が描かれ、中にいた住民9万6561人に国が強制的に避難を命じたのはご記憶かと思う。

半円形に飛び地の飯舘村を加えた面積は858.4平方キロ

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フクシマからの報告 2021年夏    「あれはすべて幻だったのか」      帰りたくても帰れないふるさと     「文字盤のない時計」が回り続ける    俳人・中里夏彦さんの原発事故の物語(上)

フクシマからの報告 2021年夏    「あれはすべて幻だったのか」      帰りたくても帰れないふるさと     「文字盤のない時計」が回り続ける    俳人・中里夏彦さんの原発事故の物語(上)

 福島県・双葉町出身の俳人・中里範一さん(64)と知り合ったのは偶然である。

 福島第一原発が立地する双葉町の北隣に「浪江町」という街がある。そこの中心部に「サンプラザ」というショッピングセンターがあった。福島第一原発から8キロほどの距離だ。

 中里さんはその総務部長だった。

下は同社ホームページから。

 サンプラザがある浪江町中心部の強制避難が解除され、中に入れるようになったのは、201

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フクシマからの報告 2021年夏    俳人・中里夏彦さんが語る原発事故・下 頭では帰れないとわかっていても    心は帰りたいと願い続ける       奪われたふるさとの記憶

フクシマからの報告 2021年夏    俳人・中里夏彦さんが語る原発事故・下 頭では帰れないとわかっていても    心は帰りたいと願い続ける       奪われたふるさとの記憶

前回の本欄で、福島県・双葉町出身の俳人・中里夏彦さん(64)のお盆のお墓参りに同行した報告を書いた。

中里さんが生まれ育った家は、福島第一原発から西に5キロ(道路沿い。直線距離で3キロ)にある。噴き出した放射性物質の雲(プルーム)の直撃を浴び、10年後の現在も立ち入りが禁止されている。いやそれどころか、双葉町全体が人口ゼロの無人地帯である。

 2021年8月13日に撮影した冒頭の写真でもわかる

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フクシマからの報告 2020年秋    商店街・モール・ボウリング場…     町がまるごと消えていく        3年で住民の帰還率6%        原発から8キロの浪江町 写真ルポ(上)

フクシマからの報告 2020年秋    商店街・モール・ボウリング場…     町がまるごと消えていく        3年で住民の帰還率6%        原発から8キロの浪江町 写真ルポ(上)

今回は2回に分けて、福島県浪江町の現状を写真を中心に報告したいと思う。

2011年3月11日の福島第一原発事故で、全住民が強制避難させられた原発20キロ圏内の市町村のひとつである。町の中心部から原発までは、南へ約8キロほどの距離だ。

原発事故当時は2万1434人の住民がいた。強制避難の対象になった11市町村の中では、人口最多の大きな町だった。

避難が解除されたのは6年後の2017年3月。しか

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