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ヲタヲタ草紙

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マニアックな性質ながらも、その性質を生かして、なんとか人生の半分ぐらい生きてきました。 けっこう貴重な体験もあるので、せっかくなのでボケる前に書き留めておこうと思い立ちました。 … もっと読む
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記事一覧

転身、とお~!

転身、とお~!

 2年間続いたアニメシリーズが終わり、ふと気づくと仕事が
な・・・い・・・・・。
 お腹を空かせた「孤独のグルメ」の井之頭五郎氏のように、途方に暮れる展開ではあったが、思ったより安易に次の仕事にありついた。
 なんと、いきなり"小説家"に転身することになった。
 そんな仮面ライダーのようにあっさり転身できるものかと思うけど、事実は小説より奇なり、ってことで。

 前にも書いたが、たまたま兄の知人の

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ロボットアニメからの起承転・・・

ロボットアニメからの起承転・・・

 本格的にアニメライターとしてデビューした作品が1年で終了。
 でも自分は、その後もシナリオライターとして仕事を続けられた。
 アニメブームとスタッフの頑張りのお蔭で、前作と同じシリーズの新作がほぼ同じスタッフで製作される事が決定。自分もまたシナリオ担当として仕事が続けられる事になったのだ。
 しかし年齢層が高く重い内容だった前作とうってかわり(オモチャの売れ行きが悪かったせいか?)、次作品は視聴

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進みだしたシナリオ・・・だけど

進みだしたシナリオ・・・だけど

 そうしてなんとか新しいアニメ番組のシナリオライターの仕事を手にし、放映も開始・・・けれど視聴率は思うように上がらず、おもちゃもあまり売れず。それでもすべてが逆風の中だった前作より状況はマシだったのか、製作は予定通りに進んでいった

 ただ脚本陣については、かなりの変動があった
 当初予定していたライターさんの大部分がこの作品から離脱したのだ。
 個人的な理由はわからない。ただあらかじめ詳細なプロ

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ふたたび目指す道へ

ふたたび目指す道へ

その時の事は、正直あまり記憶がない。
が、ただめちゃくちゃ緊張していたのは間違いない。
目の前にいるのは、当時すでに有名だったアニメ監督様。
そして私はノドから手がでるほど欲しい脚本の仕事を得る為に、そこで"面接"に挑んでいたのだ。
しかもその仕事は、過去に自分が好きだったアニメ作品の続編。
ただ自分は、その監督さんが一筋縄ではいかない人だ、というのも知っていた。ここで「前作品のファン

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パラサイト~半地下で門前の小僧となった日々

パラサイト~半地下で門前の小僧となった日々

とても良いご縁で入ったアニメ会社を先のあてもなくやめてしまった自分
ただでさえ四卒女子の就職がまだまだ難しい時代だったというのに・・・。

当時、イマイチな私立大人文系卒四卒女には、ろくな就職先はなかった。
有名企業に行ける人はよほど優秀か縁故あるかのほんの一握り。あと学校の成績もよく各種資格をしっかり取り、教員等の公務員になる、とか。そうそう、しっかり者の友人Cも在学中に大学でとれる限りの資格を

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アニメの現場へ

アニメの現場へ

とてもマイナーなアニメ講座に通い、そこの実践勉強体制で実際に放送中のアニメ設定で脚本を欠かされ、あれよあれよという間にそれが放映されアニメ脚本デビュー!
というわけで、アニメ講座に通いながら、数本とはいえ脚本を書いた・・・とはいえ、あまりプロになった自覚もないし実績もなかった自分。
そのあとの仕事とは言っても、仕事をさせてもらったアニメ製作会社は、どちらかといえばロボットアニメが主流。子供向け30

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昭和の☆アニメーター

昭和の☆アニメーター

昭和の☆アニメーター
※作品については昭和のTVアニメ関係をメインに紹介しています
※こちらに紹介したのは魅力的な昭和のスターアニメーターのごく一部の方です。実際にはもっとたくさんの活躍されたアニメーターさんがいらっしゃいますが、自分の語れる範囲の中で選びました、あしからず

〇大塚 康生-おおつか やすお(1931~)島根県出身
代表作「白蛇伝」「わんぱく王子の大蛇退治」「ホルスの大冒険」「侍ジ

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アニメみたいなシナリオデビュー

アニメみたいなシナリオデビュー

大学3年になりって、私は六本木へと通い始めた。
当時の六本木は、今より大人でDeepな雰囲気が漂っていた。
私の行先は、当時六本木のシンボルだったアマンド・・・を通り過ぎた裏道にあった。そこに見えてくる武骨な警察署を通り過ぎると、古い灰色の雑居ビルがあり、そこが私の目的地だった。
そこにあったのは放送作家協会。そして私の目的は、その放送作家協会が運営していた放送作家教室だった。
そう、私はとうとう

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昭和のアニメ雑誌

昭和のアニメ雑誌

▢FANTOCHE(1975年10月創刊)(アニドウ→BARQUE)
日本初?のアニメーション専門誌
アニメーターたちが中心となっていたアニドウ(東京アニメーション同好会)で並木孝氏らが中心となり創刊。季刊だった。
TVアニメというわけでなく幅広いアニメーション作品をとりあげていた。
7号(1977年)まで刊行し一時休刊。
その後、改めて広瀬和好氏が中心となり1979~1980年に4号(不定期)を

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アニメ業界への第一歩?

アニメ業界への第一歩?

SFの世界に足を踏み入れ、SF大会やらSFショウやらで忙しかった大学の1、2年。
しかしその他にも大学生らしい事は一応やっていた。
授業はわりと真面目に出席していたが、当時の文系大学生はわりとヒマだったので、小遣い稼ぎのバイトもしてた。
そして2年の頃に、私はとあるバイトを始めた。
バイト先は、とある編集プロダクション。
そこではアニメ関係の仕事をしていた・・・。。

その前から幾つかのバイトはし

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昭和(まで)のSF事情概説

昭和(まで)のSF事情概説

かなりいいかげんにですが、昭和の頃までのSF作品やカテゴリーをまとめてみました。
多分異論反論多くあるかとは思いますが・・・、

日本における昭和のSF
〇昭和を代表するSF作品と作家
・1952「鉄腕アトム」手塚治虫
ロボット三原則を土台に、アトムのロボットと人との間の葛藤も描いた
・1967「百億の昼と千億の夜」光瀬龍
壮大な時間の中で繰り広げられる光瀬ワールド、萩尾望都さんもマンガ化
・19

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SFとの遭遇(大学編1)

SFとの遭遇(大学編1)

未来のことは予想できない。だからこそ面白いのだけれど、当事者は振り回されている。

「二次募集してる大学を探さないといけないかなあ」
国語教師で担任のC先生は困り顔だった。今は偉いけど、当時は初の高三担任、受けた大学全て落ちていた私の進路に頭を悩ませていた。
まあ、マンガやアニメばかりか野球にもはまり、勉強がおろそかになっていた自分、想定内の成り行きだ。
そんな事態に陥っても、自分は割と平然として

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昭和のアニメ制作会社概説

昭和のアニメ制作会社概説

かなりざっくりまとめています
個人的な見解も多いので、あまり信用しないでください、よろしくです。

〇ディズニー(1923年10月16日~)
アメリカのディズニー兄弟がアニメーションスタジオを設立し、商業アニメ映画界のドンとなり、今や総合エンタメ企業に(細かい説明は省く)
日本でも「ディズニーランド」というTV番組を1958年~1972年に放送
1時間ぐらい?の放送枠で、ディズニーならではのアニメ

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ハガキからはじまったシナリオ

ハガキからはじまったシナリオ

たいした才能なんてない、って思ってた自分が、もしかしら少しはこんな才能があるのかも、と思いはじめた出来事。
振り返ると、それはラジオの投稿でハガキが取り上げられた時。
さらに雑誌で投稿が取り上げられた時。

自分は、産まれてこのかた、これという特技のない子だった。
どれもまあまあ、中ぐらいの成績。スポーツもそこそこ。
それも兄や小学校の頃は近所に男子が多く、一緒に遊んでたおかげで、体育も普通にはこ

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