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【第2章】ヴィルフェーダ大阪トライアウト当日編・振り返り

第2章 ヴィルフェーダ大阪トライアウト編
序章として、第1章 デサフィアンテ編にて回収されなかった伏線、

「なぜ流川楓は日本にいたのか?」
「三田良佑の改革とワイドなショーで交わされた松田雅志への提案」

が明らかとなる。

三田良佑はUJBリーグ開幕を正式に宣言し、自らがオーナーとなり新規参入チーム「プレパラシオン東京」を立ち上げる。
その目玉選手として「流川楓」獲得を発表する。

一方、古本興業、お笑い界のレジェンド松田雅志も三田良佑がワイドなショーに出演後に

「選手達は不安よな     
         松田動きます。」

とツイートし注目を集めていた。


その松田雅志が古本興業と実質的オーナーとなり、新規参入チームを立ち上げたのが

「ヴィルフェーダ大阪」
            である。

日本に帰国後、コツコツと準備を重ねていた桜木花道は、代理人、花形透の推薦状を持ちトライアウト参加が決定。

https://note.com/tyimage/n/n759daaff6043

花形が推薦したのは、桜木だけではなかった。民放放送が実現し日本バスケットボール界の盛り上がりを見せた、デサフィアンテで激闘を演じたシルバフレンズ「ボアノイチ」のメンバーとして桜木花道とマッチアップしたセバス・ベノンのプレーに目につけトライアウト推薦状を託す。

セバス・ベノンはブラジル出身、サッカー王国ブラジルにおいて当然のようにストリートでサッカーに明け暮れ、足で稼ぐプロを夢みている少年だった。レベルの高いブラジルサッカーにおいてベノンがついていくのがやっとだったが辞めることはしなかった。
ある日、片腕のバスケット少年ジウと出会いバスケットに導かれるベノンは、ジウの慕っていたバスケットのアニキ、ダニエル・シルバにバスケットを教わり面倒を見てもらうことになる。シルバの図らいによってデサフィアンテでの試合に出場したベノンはヴィルフェーダ大阪トライアウトのチャンスを得たのだ。


その他の注目選手は、豊玉高校出身、南烈である。
インターハイ広島大会、湘北に敗退した南は、恩師北野との再会
「バスケットは好きか?」と問われた南は
「バスケットが好きです。」とこたえる。

「が」という一文字が南の新たな決意を物語る。
その後、大学で順調なキャリアを築き、CBAリーグでプレー。

再び、エースキラーの呪縛を背負い、アンチも抱えた南は停滞なキャリアを送るが、
ライバルとなった三井寿、安西光義の助言を受け「真のエースキラー」になるべく南烈にしかできないチャレンジを続ける。

しかし、日本バスケット界の停滞とともに好転させることが出来ず、戦力外リストに。
三井寿と安西光義の意志を継承し、トライアウトに参加。


もう一人は、消えた天才、仙道彰である。
自分の代となった仙道率いる陵南はインターハイ、ウインターカップ本戦に出場。国体では、主将に抜擢された。
将来を渇望された仙道彰であったが高校卒業後、バスケットから離れてしまう。

https://note.com/tyimage/n/n8f139dca9945

日本バスケット界の環境が有望選手に夢を与えられない、ある種の日本バスケット界の環境の被害者、ドロップアウトを選択した仙道は世界中を旅をする。
青年海外協力隊で活動する赤木晴子と偶然出会うが、
「バスケットをやらない理由はない」
「やらない理由よりやる理由が重要」だと語る。

仙道の旅は続き、ハリー・テーヒルという異国の友と出会う。二人で様々な活動をする中、雪山に遭難し、命の危険を経験する仙道は、ハリーに助けられるがハリーには後遺症が残る。仙道はハリーに車椅子バスケを紹介し、バスケットを教えることなったがそれ以上でもそれ以下でもなかった。

https://note.com/tyimage/n/n09e69623fee1


月日が流れ、新たなプロリーグの発足、流川楓の日本復帰、日本バスケット界も盛り上がりを見せていた頃、晴子は、ヴィルフェーダ大阪の新規参入を発表した松田雅志の番組である「探偵ナイトスクープ」に仙道彰の調査を依頼する。

調査は車椅子バスケ関連からハリー・テーヒルからつながりアメリカに滞在している仙道に晴子、松田が直接交渉する。車椅子バスケオーストラリア代表に招集されたハリー・テーヒルも仙道のもとに訪れ、説得。日本で開催が予定されている
「オリンピックを目指せ」「次に会うのは日本のコートだ」と約束を交わす。
松田雅志の交渉、流川楓の挑戦状を受け、トライアウト参加を決意した。

トライアウト当日に帯同したのは、職を面倒みた高宮望とYouTube活動でともに動いてきた宮城リョータ、花形透、そして大阪の週間バスケットボール記者となった相田彦一。要チェックな1日が幕を上げる。

大阪のJBAリーグチームが母体となっているヴィルフェーダ大阪が中心として担う選手、それが大栄学園出身の土屋淳。
その実力はベールに包まれているものの、南烈擁する豊玉をおさえて大阪予選を優勝。当時、彦一にも仙道タイプだと要チェックされた選手である。

トライアウトに集結したがけっぷち軍団。
桜木花道、セバス・ベノン、南烈、仙道彰との再会を果たした一同は午前に行われたファンダメンタルテストをクリア。午後の試合形式のテストへ。

午前の体力測定では、ブランクの長い仙道が苦戦したが、試合形式で苦戦したのは、思いが強かった南だった。
空回りする様子を察知する桜木が南をけしかける。
会場に響きわたる声で、内定選手と試合して勝てば合格、負けたら不合格で帰ると南が言っていると宣言。
巻き込み事故のように引きづられた結果、
桜木、南、ベノン、仙道が同チームでの条件をのみ試合が行われる。
試合はトライアウト組が実力を発揮しリードする。

終始、プレーに参加せず俯瞰して場内で視察する土屋淳を驚かせ、予定外に土屋も試合に参加する。土屋の登場で内定組も息を吹き返す。

とりわけ注目された土屋−仙道のマッチアップ。

ブランクも長く、午前に体力測定をおこなった現時点の仙道には負けないと土屋は積極的に攻め、ディフェンスでは仙道を抜かせなかった。

分の悪い仙道であったが、その表情は悲観するものではなかった。かつて練習試合で初めて流川楓、桜木花道とダブルチームでマッチアップした時に見せた、純粋にバスケットを楽しむ笑顔がそこには存在した。そしてコート外に出るルーズボールには、陵南高校田岡監督に叩きこまれたボールへの執着心を見せ、体を投げ出してつなげる姿に土屋のみならず、宮城、彦一、花形をも驚かせる。

ボールを繋いだトライアウト組は得点しリード、内定組に土をつけた。

条件、そしてそのプレーぶりに準じ、

桜木花道、セバス・ベノン、南烈、仙道彰

のヴィルフェーダ大阪トライアウト合格が発表された。
そして初代主将となる土屋淳の挨拶を持ってトライアウト当日は幕を閉じる。

後日、チーム、サポーター、トライアウト合格者向けのイベントが行われ、イベント内で監督が発表された。
ヴィルフェーダ大阪監督には
安木松太郎 が就任。

イベントは盛り上がりを見せ、安木松太郎監督は

「過去は変えられる」
「挑戦にはネガティブな結果はつきもの」
「成功まで続ければあの時の失敗が必要だったということを知る」
「失敗など存在しない」

とチーム、選手、サポーターともに挑戦すると言葉を投げかけ、求心を得る。

ヴィルフェーダ大阪が始動する。


第3章 へ続く

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