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コミックから浮かび上がるアメリカの憂鬱(新元良一)

「新元良一のアメリカ通信」第2回
Sabrina”(サブリナ)by Nick Drnaso(ニック・ドルナソ)2018年5月出版

小学校のある時期を除き、漫画というメディアにほとんど縁がなかった。20年ほど前、アメリカでグラフィック・ノベルという文学性の高い漫画に注目が集まり、仕事で何冊か読んだ経験があるが、それ以降積極的に購読するほどでもなかった。
それが、アメリカの漫画家による作品を意識し始めたのは、2年前にクオリティの高いイラストを表紙や挿絵に使うニューヨーカー誌を定期購読したからだ。人物や風景の単なるスケッチでなく、絵から浮かび上がる人生などが読み取れる作品の奥深さを感じるようになったそのタイミングで、メディア各紙で一冊のグラフィック・ノベルが取り上げられ、話題を集めている。

漫画作品初のブッカー賞候補リスト入り

サブリナ(Sabrina)』がこれほど脚光を浴びるのは、ブッカー賞の候補作となったことが一因だ。カズオ・イシグロやイアン・マキューアンなどの著名なイギリス人作家も受賞経験のある、国際的に名高いこの権威ある文学賞は数年前、受賞枠をアメリカの作品にも広げたが、漫画としては、今回初めて候補作入りという栄誉に輝いた。
これに加え、ゼイディ・スミスやジョナサン・レセといった著名な作家が絶賛したのも、本作の認知度を広める強い後押しとなった。スミスなどは、「ニック・ドルナソの『サブリナ』は、自分たちの置かれる現況に関する点で、私が通読したどの媒体と比較してもベスト」とコメントするほどの惚れ込みようである。

ここまで評判が高いとやはり手に取り、内容を確かめたくなる。しかし昨年の夏に、電子書店をチェックしたところ、注文から1カ月以上も待たねばならなかった。それならと、僕が住むブルックリンはもちろん、川向こうのマンハッタンの本屋数軒を巡っても見つからず、ボストンまで出かけて、古書を含めた地元の書店をのぞいても品切れ状態だった(何人かの書店員によれば、ブッカー賞候補作の発表直後から注文が殺到し、印刷が追いつかなくなったのが品薄の原因とか)。
その存在を知って2カ月が過ぎ、ようやく手にした『サブリナ』だが、女性の肖像画を大きく使った表紙は地味な印象の上、ページを開いても、モノトーンに近い淡い色彩が暗い気分にさせる。しかし読み進めていくうちに、その“暗さ”こそが、作品に際立つ特徴をもたらしているのに気づいた。

消えたサブリナをめぐるメディアスクラム

物語は導入部分で、ふたりの姉妹が登場する。両親が不在の実家で留守番をする妹サブリナは、別居する姉の訪問を受ける。姉は近々休暇で、自転車旅行を計画しているが、これほど遠出するのは、10代の終わりに一人旅に出て以来と話し、旅先で経験したその出来事を妹に告白する。
旅の最終日、夕日を見に海岸へ向かった姉は、そこで三人組の男に襲われそうになる。命からがら、トラブルを回避できたと話す彼女だが、この時点で作品全体を覆う不穏なトーンが漂い始める。

場面は空港のロビーへと変わり、米軍の情報機関に所属するカルヴィンが、はるばるシカゴから訪ねてきた友人のテディを迎える。手荷物をまったく持たない友人に疑問を抱くカルヴィンだが、彼の恋人が突然失踪したのを事前に知らされていたため、相手の心中を察し詳しい事情は聞かず、テディ自身も口を開く様子を見せない。
同居を始めた彼らだが、カルヴィンはある日勤務先で、行方不明だったテディの恋人について衝撃的なニュースを聞く。地方の新聞局へ差出人不明のビデオ・テープが送られ、再生してみると、そこに無残に殺されるテディの恋人、冒頭に出てきたサブリナの姿があったというのだ。
悲惨な一報をカルヴィンが告げると、落胆し、精神的なショックからテディは激しく取り乱す。しかし悲嘆に暮れる被害者の恋人を世間は放っておかず、テレビ局の撮影クルーが彼らの暮らす家まで押しかけるが、玄関先で出くわしたカルヴィンは友を思い、クルーを非難し追い返した。

サブリナ殺害のニュースは、マスメディアにとどまらず、ネットでも波及し始める。警察当局により特定された事件の犯人だけでなく、犠牲者の顔写真までもが人目に晒されていく。
一方、ショックから立ち直れないのか、恋人が発見されたシカゴに帰ることなく、カルヴィンの自宅で無為な日々を過ごすテディだが、ある日ラジオのトーク番組が耳に入る。番組の司会者は視聴者に向かって、政府やひと握りの特権階級の人間により、自分たち一般市民がどれほど搾取され、ますます困難な状況を強いられているかを切々と訴える。

ここまでが前半部分だが、後半になるにつれ、物語の暗いトーンがより否定的な方向へと様相を示していく。目を覆いたくなる酷い事件だけに、遺された人間は表沙汰にはしたくない心境だが、世間は放って置かないどころか、さらにエスカレートし、カルヴィンやテディを追い込み始める。
そしてネット上では、事件に関する噂やデマが飛び交い、あろうことか、サブリナは殺害されたのではなく、どこかで生きていて、これは人々の関心を集めたいがための猿芝居だ、といった疑義がかけられる。被害者の恋人を不憫に思い、自宅に泊めてやったカルヴィンさえ、茶番劇に関わる人間と名指しされ、表に出て、きちんと釈明せよと執拗な要求を突きつけられるーー。

SNSで増幅される社会的ヒステリー

さて、先に作家のゼイディ・スミスが本作への評で、「我々の現状」という言葉を取り上げたが、物語からまずインパクトを感じるのが、今のアメリカ社会全体に暗雲が立ち込める原因となる、“怒り”である。
もっともこの国民感情は、今に始まったことではない。1960、あるいは70年代には、ヴェトナム戦争やウォーターゲート事件という国を揺るがす歴史的出来事が起こり、政治不信が高まり、時の政権に憤りを示す大規模な抗議運動が展開された。また経済が低迷した結果、自分たちの生活に悪影響を及ぼされ、怒りの矛先を政治に向け、選挙での投票などで反映されたこともある。

だが現在の問題は、こうした感情がどんな形態で伝播されているかだろう。そして言うまでもなく、これを考察するにあたって、インターネットの存在は極めて大きい。
ソーシャル・メディア(SNS)の出現とその普及により、有名無名を問わず、個人の意見が飛躍的に拡散されるようになった。より良い社会へと変わるため新しい言論の登場を促す点において、それ自体は喜ばしいものだが、一方で、2016年の大統領選結果に影響を与えたと言われるフェイクニュースを筆頭に、いくつかの弊害も生まれてきている。
誰もが自由に意見交換でき、賛同できる場であるソーシャル・メディアは、参加者の大半が「一般人である」ことで社会に広く浸透してきた。そこには、自分たちの身に降りかかる出来事や問題が、テキストやイメージによって紹介され、これに同意や共鳴をし、信頼関係、つまり“同胞意識”が醸成される構造がある。

そうした中、本作はソーシャル・メディアに限らず、社会の様々な方面でこれらの信頼関係が築かれた結果、怒りが助長され、プライバシーや人権の侵害まで進む危険性を提示している。前述した、ニュース番組の撮影クルーが自宅へ押しかけたり、事件そのものがデマで、カルヴィンが茶番劇に加担していると問い詰められたりと、人々がヒステリックな感情に任せた行動に走る光景は、異様さを通り越し、現実に起こり得るものとして恐ろしさすら覚える。

だが別の角度から見れば、こうした社会的ヒステリーも、蔓延する分断がもたらすものと言えなくもない。陰謀によって世の中は動かされ、自分たちはそれに嵌められた犠牲者と信じ込み、仲間や近しい者以外の知らない人間に恨みをぶつける。本作で語られる、「同胞であるなら、自分の全てをつまびらかに公表すべき」といった極端な言動は、“知らされない”ことへの恐怖とも読み取れる。荒んだ彼らの心が解消され、自分たちとは異なる環境や境遇、意見を持つ人々との理解を深め合う日は、いつか到来するのだろうか。

執筆者プロフィール:新元良一 Riyo Niimoto
1959年神戸市生まれ。84年に米ニューヨークに渡り、22年間暮らす。帰国後、京都造形芸術大で専任教員を務め、2016年末に再び活動拠点をニューヨークに移した。主な著作に「あの空を探して」「One author, One book」。

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