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【自己紹介】

初めまして。
トゥルです。


地獄の日々から1年で人と関わる仕事に就き

20年で30人以上の部下を育て

100件のクレーム対応を行ってきました。

今日は自己紹介をしたいと思います。

現在50歳手前まで生きてきたため

かんり長い内容となります。

ぜひお付き合いください。
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 第1章 地獄への道筋

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僕は産まれながらにしてアトピー性皮膚炎

他人にどう見られているかが気になって仕方なく

人目を気にし言いたいことを

常に心に押しとどめた幼少期でした。


小、中学校にでもそのままで、

学校では休み時間になると

教室の隅で仲の良い数名で

アニメ、ゲームの話で過ごしていました。



そんな僕は進学と同時に

家族と共に引っ越すこととなり

アトピーの病院を代えることに。


しかしこれが地獄の入り口となった。


引っ越し先は新天地。

縁もゆかりもない場所だったため、

病院探しには苦労しました。



しばらくすると母がご近所さんから

「何でも診てくれるK医院といういい病院がある」

という話を聞いてきました。



全く知らない田舎の町。

僕は言われるがまま、教えてもらった

K医院に通院することにしました。



昔ながらの古い個人医院でした。

注射器はガラス製で熱消毒で

使いまわしている病院でした。



今にして思えば今のご時世

使い捨ての注射器ではない事が

すでに異常でした。



そんな不信も持たず

通い始めた病院で4年間も通院し

処方される薬をなんの疑いもせず

使い続けた結果…


重度のステロイド依存になっていました。
血液検査してみると自身の免疫力は

ゼロとのことでした。



たまたま母が知人から聞いた病院で

「全国から患者さんが来ているから行ってみよう」

という母の誘いから

行ってみた病院でわかりました。



結果を知った僕は怒り、憎しみ、恐怖が

一気に襲ってきました。

「えっ、免疫力0ってどういうこと?」

「これから治療はどうすればいいの?」


ステロイド依存になっていた僕は脱ステロイドの為

新しい病院に通院することになりました。

長い年をかけステロイドの使用量を減らしていき、

完全に復帰を目指しました。


あ、K医院ですが、その後他の患者さんの癌を

見落としていたことが原因で訴訟されて

今は廃院してます。


話を戻しますね。
脱ステロイドを初めて半年したころ

病院の先生には「かなりすくなくなりましたが、

気を抜かずこのまま少しずつ減らしましょう」

と言われてました。



以前は毎食1錠飲んでいた薬が

この時点で1日1錠になっており

肌の状態も安定していました。



ここで油断してしまいました。

「もう、完全にやめても大丈夫でしょ」

変な自信と余裕から誤った判断をしてしまいました。



そしてこれが地獄への急降下となりました。

 
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 第2章 現実にあった地獄

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今思うと後悔の言葉しかありません。



ステロイドを完全にやめてしまうと

全身が腫れ上がり、湿潤状態となりました

(着衣水泳後みたいに服がまとわりつく状態です)

結果、会社は退職せざるおえなくなり

社会から抹殺されてしまいました。


ここからはほぼ寝たきりの状態となりました。

そして全身が腫れあがりました。

食事は顔が腫れているため、口が開きにくく

指が腫れているため、お箸が持てず

スプーンとフォークで食べてました。



湿潤により体に衣服がつくため不快感に包まれ

また精神も病んでしまい幻覚をみては

不快感から体を描き破るを繰り返しました

病院の先生によると、幻覚をみるのは

現状の自分の精神的な逃げ道として

見えているとの事でした。


なんども「死にたい」「死にたい」と思い

実際5階から飛び降りようとしたこともありました。


また通院のため外出すると

真っ赤に腫れあがった顔の男が歩いている為

何もなくても人の目を気にするたちなので

とにかく周囲の視線が刺さりました。
この頃から外出時はキャップを

被るようになりました。


毎日の全身消毒、医師の指導の下

そんな生活を2年間続け

ようやく社会復帰することが出来ました。

2年のブランクがあったのにも関わらず

雇ってくれた現会社には感謝しかありませんでした。

ただ飲食業である1点をのぞいて

また私の性格、気質は変わっていないため

相変わらず言いた事が言えない日々となりました。

(のちにこの気質がHSPが起因してること

がわかりました)


新しい職場では今までの遅れを取り戻すべく

必死になって働きました。

月の公休回数は5日、

残業は90時間なんてときもありました

(今では完全にB確定ですが)

しかしその時の僕は

古き忌まわしき考えにとらわれていました

とにかくがむしゃらに働けば

豊かになると…


それは突然おこりました。

2020年1月元日

出勤時なければならない時間に

体が起こせない

涙が出てくる

なんで?なんで?

結局訳も分からず上司に連絡。

年間でTOP10に入るくらい

来店客数が多い日に休むことになりました。


そのまま2か月休むことになったのですが、

病院を受診したところ

「鬱」

とのことでした。


しかしこの頃から会社が変わってきました。

2か月休むことだけではなく

復職してもストレスが少ないよう

上司は変わらずの待遇をしてくれました。

(この上司自体は温かみのある方でした)


その後、鬱においては

家族の助けもあり重症化することなく

無事復帰できたのでした。


そんな僕も気づけば平穏、平坦な日々を送って20年

30人以上も部下を育てて仕事には

不満はありませんでした。

会社には不満だらけでしたが(笑)

このまま残りの人生終わっていいのかな?

45歳ころからモヤモヤしたものが生まれてきました。


物販、投資、ドローン事業と色々興味をもち

無料動画などで何か出来ないかなっとPCみている日々でした。



そんな中、ネットで

コンテンツビジネスをしりました。

数ある発信者の中から目を惹かれたのが

月100万円を稼ぐ大学生起業家

えっ?コンテンツって?

なぬ、ビジネスは知識ゲー?

気づけば優しく手を惹かれるように

無料メルマガをポチッってました。


僕の歳になると子供も独立し

後の人生どう過ごすか?を考えます。

大きく稼ぎたいなんて考えはもうありません。

毎月お金に困ることなく

自分の時間を楽しみたい

そんな考えからコンテンツビジネスえを始めました。


僕の考えは若い世代には

理解出来ないかもしれません。

でももし、共感してくれる方がいるなら

僕の持ってる知識で全力サポートします。


ここまで長い物語につきあっていただき

ありがとうございます。

コンテンツビジネスは

他人と競う必要もないし

続けていればいつか開花します。

もし「始めてみようかな?」

って思ったかたは忘れないでください。

コンテンツビジネスはリスクほぼ0ですから


今日は数あるブログの中から

ぼくを見つけてくれてありがとうございました。

この出会いが、

あなたにとって自由な人生の第1歩

になることを祈っています。

そして、

一緒に挑戦していきましょう。


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