マガジンのカバー画像

中島輝の 克服ヒストリー

33
4歳で里親の夜逃げという喪失体験をし、 小学4年から分裂症・躁鬱症・パニック障害・ 統合失調症・強迫性障害・不安神経症・認知症 過呼吸・胃 潰瘍・大腸炎・円形脱毛症・斜視に苦しむ…
運営しているクリエイター

2016年8月の記事一覧

中島輝 克服のヒストリー 19

中島輝 克服のヒストリー 19

誰にも頼りたくない 世界は敵だらけ





人とのコミュニケーションも苦痛で、

修学旅行すら行かず、学校も退学にならないギリギリのラインまで

休んでいました。あと3日休んだら卒業できないところでした。



私のマイナスの感情はどんどん増えていきました。

心に圧力がかかっていきました。いつの間にか私は何かしがみつくものがないと

身動きが取れない状態になっていきました。



そし

もっとみる
中島輝 克服のヒストリー 18

中島輝 克服のヒストリー 18

私は高校受験に失敗し、

志望校には行けず、

お金がかかる高校に行っていました。



両親に頼るのは、また、借りをつくる気がしてつらく、

いつも自分を責めていました。





自分の人生は何にも上手くいかない。

生きている意味があるのか。



人に迷惑しかかけない忌まわしい存在だと思っていました。







不安神経症も始まりました。

出かけるときに、「何かが足りな

もっとみる
中島 輝 克服のヒストリー 17

中島 輝 克服のヒストリー 17

「0か100」思考で行動してしまう

話は高校時代に戻ります。

そのころ、私は円形脱毛を繰り返していました。





困ったことに、私の場合は、

突然一気に髪が抜け落ちてしまうパターンです。





朝、シャンプーをするとき目を閉じて下を向きます。

目を閉じますから当然暗闇になります。



そうすると、突然、両親や生育環境に対しての

怒りが湧き出してくるのです。



もっとみる
中島輝 克服のヒストリー 16

中島輝 克服のヒストリー 16

ママは中学生のときに現れて以来、私の家業を手伝ってくれ、

一緒に働くことができました。

私が毎年、必ず母の日カーネーションを贈ると喜んでくれました。





しかし、不幸は再び訪れました。





私は30代半ばのころ、パパとママの夫婦が突然いなくなったのです。

親子2代に渡って失踪したことについて、ママは自分を責め、悔やみました。







しばらくして、ママは表に出

もっとみる
中島輝 克服のヒストリー15

中島輝 克服のヒストリー15

パパとママは東京都内の4畳半のアパートで隠れるように

ひっそりと暮らし、パパは必死で都内の道を覚えタクシーの運転手になり、

ママは内職の仕事をしていたそうです。





その当時のパパとママの生きる希望は、私でした。





コツコツと借金を返しながら、4畳半のアパートの壁という壁中に、

私の写真、私が着ていた服、私が遊んでいたおもちゃ、私が描いた絵を

飾って、それを希望に何年

もっとみる
中島輝 克服のヒストリー 14

中島輝 克服のヒストリー 14

闇の裏には必ず光がある







精神状態が悪化していくなか、

夜逃げしたい「ママ」が、突然私の前に現れました。

あんなに思い焦がれたママ。



「てるくん、覚えてる?ごめん、ごめん」





でも、私はママを避け、逃げるように部屋に入っていきました。





どうしていいかわからず、混乱していたのです。

そして、部屋の中に入り、布団に顔を押しつけて慟哭しました。

もっとみる
中島輝 克服のヒストリー 13

中島輝 克服のヒストリー 13

「あんたたちが普通に育ててくれなかったから。

僕が病気でもまったく気づかない。

最低のやつらだ。もっとちゃんと愛してくれていれば」





愛されたいことの裏返して、

両親を強烈に憎むようになっていきました。

殺したい衝動にかられ、

どうすれば完全犯罪ができるか計画したりもしました。

精神的な圧迫から、

強迫観念にもとらわれるようになっていったのです。





我慢しなく

もっとみる
中島輝 克服のヒストリー 12

中島輝 克服のヒストリー 12

「助けて、つらい」と言えたなら







胃がおかしくなったのもこのころからです。





何かを食べるよ強烈な痛みが襲うようになりました。

あまりの激痛に耐えかねて、一人でとなり町の医者まで行きました。

両親にばれたくないので、保険証なし、お年玉で。





「胃潰瘍」だと診断されました。





漫画の「はだしのゲン」の中に、

ゲンのお母さんが胃痙攣になるシー

もっとみる
中島輝 克服のヒストリー 11

中島輝 克服のヒストリー 11

統合失調症のような症状が出始めたのと同時期に、

強烈に目の奥が痛くなるようになりました。



刺すような激しい痛みが襲います。

目の痛みと同時に、視界に写る世界が、

万華鏡で覗いたような世界になるのです。





どう考えてもおかしい。でも、誰にも頼りたくない





「バレてたまるか!絶対に人になんか、頼るものか!」





自力で目をマッサージをしました。必死で

もっとみる
中島輝 克服のヒストリー 10

中島輝 克服のヒストリー 10

急いで人気のないところにしゃがみ込むと、

身体中がクラクラして、宙に浮くような感じがします。



一体、僕は誰?



ここはどこ?



真っ暗闇の中にいるの?







いま思えば、幻覚や幻聴など、このときから統合失調症のような

症状が出始めていたんだと思います。





自分で自分がわからなくなり、足の付け根を思いっきりつねりました。

痛みを感じ、ハッとしました

もっとみる
中島輝 克服のヒストリー 9

中島輝 克服のヒストリー 9

小学校4年生で統合失調症に・・・





後ろから車のクラクションが大きく鳴りました。

気がつくと道路の真ん中を自転車で走っていました。







おかしい、道が1つに見えない!

すべての景色が、四重にも五重にもなったり、空中に浮いたりしています。





感じたことのない恐怖に襲われ、目の前が真っ暗になりました。

自分が消えていく。自分が消去されていく・・・。


もっとみる
中島輝 克服のヒストリー 8

中島輝 克服のヒストリー 8

小学校4年生で統合失調症に





「自分一人で生きていく」



その決意は、私の外側にある「敵だらけの世界」から私を

守ってくれるのと同時に、私の内側をむしばんでいきました。







次第に私は

「僕はなんのために生きているの?

生きる価値があるの?生きるってこんなに苦しいの?」

と思うようになりました。





まだ小学生2,3年生のころでした。



もっとみる
中島輝の克服のヒストリー 7

中島輝の克服のヒストリー 7

自分にとって大事な存在を実の両親に否定される。

そして、その大事な存在は自分に何も言わず去ってしまった。





もう現実を受け止めたくない感覚。喪失感。

ただただ、一生懸命に息をするしかない。

そう思いました。





そして、そのときに、決意したんです。







世界は敵だらけ。人は信用できない。頼りになるのは自分だけ。

もう誰にも迷惑なんてかけるものか、甘える

もっとみる
中島輝の克服のヒストリー 6

中島輝の克服のヒストリー 6

しかし、そんな日々は長続きしませんでした。



幼稚園の年長のころ、喜び勇んでパパとママの家に帰ったある日のこと。

家の前にたくさんの人がいて、怒号が飛び交っていました。





よく分からないけれど、何かよくないことが起きてる。



とてつもない不安に襲われました。







怖いけれど、大人の股下をかきわけながら、家の前に行くと、

すべての扉が開いていました。

もっとみる