テニス上達メモ087.流れるようにプレーする(生きる)
▶止まると、考えてしまう
「流れるようにプレーする」
足を止めずにリズムを取ったり、一度止まると次に動き出す始動が遅れることを防いだりします。
もうひとつ、「考え事をなくす」。
止まってしまうと、考えてしまいやすいのです。
「こういう打ち方をしよう」
「こういうところに気をつけなきゃ」
一般的に「考える」ことは推奨されますが、考えると、遅くなるのです。
分かりやすい例が、「音読」です。
意味を「考えながら」読むのと、意味を「考えずに」字面をダーッと読み上げるのとでは、どちらが速く音読できるかを比べてみると、すぐに分かると思います。
考えてしまうと、動きはとたんに遅くなって、反射反応も鈍くなり、ますます足が止まってプレーの流れに乗れなくなります。
▶身を削りながらサイズをとどめるテニスボール
ボールはつねに、スピードも軌道も回転量も硬さもフェルトの嵩(かさ)も、変化し続けています。
ですからプロの試合では、最初はウォーミングアップで使われる消耗もあるから7ゲーム終了時、あとは9ゲーム終了ごとに、ボールチェンジをするルールの定めがあります。
いつも同じボールのように見えるけれど、1打なされるたびに毛羽は飛び散り、内圧が下がります。
『フォート』を生み出したダンロップスポーツが言うには、技術的には毛羽の抜けないボールも作れるのだけれど、そうするとラケットで叩かれるたびに、毛羽がどんどんあっという間に膨れ上がって、ルールが定める規格サイズを遥かに超えてしまうそうです。
もちろんそうなるとサイズだけではなく、弾み方を定めたルールにも抵触するでしょう(一定の高さからコンクリート然とした硬い平面床の上へ自由落下させたボールの下端が、数センチ以上~数センチ以下のバウンド高に収まることを定めた規格があります)。
なので、あえて1打ごとにフェルトがちぎれる設計。
つまりボールは、そのサイズをとどめようと、文字どおり「身を削る」思いなのです。
▶考えずに流れに乗る
飛んで来るボールは、スピードも軌道も回転量も常に変化し続けます。
それに上手く対応するには、動き続けて流れに乗って、考えない。
能動的に動くというより、流れに乗って動かされる受け身のイメージです。
考えなければ、瞬間的になめらかに、状況に応じて無駄なく緩やかに、体は動きます。
▶筆が止まらなくなる
文筆家は、考えるから筆が止まるのです。
筆を止めずに動かし続けると、考えられなくなって、ストーリーが「降ってくる」から止まらなくなるのです。
事前に考えるから、書けるのではありません。
先に書くから、考えが降ってきます。
こちらで指摘している「逆」なのです。
テニスプレーヤーも、考えるから足が止まります。
▶「生き詰まり」を突破する「モーニングページ」
『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』(ジュリア・キャメロン(著)・菅靖彦(訳)・サンマーク出版刊)の「モーニングページ」や、『ゼロ秒思考』(赤羽雄二著・ダイヤモンド社刊)の「メモ書き」も、考えるのではなく、何も書くことが思い浮かばなくても、とにかく手を動かし続けるところが共通しています。
流れに乗って手を動かす(手が動く)感覚です。
「モーニングページ」は、書く内容の「質」から、とにかく毎朝3ページを埋める「量」へ全振ったところが、行き詰まり(生き詰まり)をこじ開ける突破口となったのでした。
「メモ書き」は、考える時間が「0秒」なので、すなわち「考えない」と認めてよいでしょう。
すると、デトックスではないけれど、気持ちいいくらい「やりたいこと」も「やりたくないこと」も「問題に対する自分なりの解決策」も「今晩の献立」も、スラスラ流れるように出てきます。
▶幸せは「なる」のではなく「する」もの
インプットしてから、アウトプットではありません。
やはりここでも「逆」なのです。
英語ができるようになってから、海外へ行くのではありません。
錦織圭よろしく、先に海外へ行くから、あとから英語ができるようになります。
関係代名詞などの文法(フォーム)は知らなくても。
テニスが上手くなってから試合に出るのではありません。
ノバク・ジョコビッチよろしく、先に試合に出るから、あとからテニスが上手くなるのです。
「試合でプレーする以上に良い練習はない」と言います。
幸せに「なる」のではありません。
先に幸せを「する」から、今、幸せになっているのです。
▶条件を取っ払うと才能が開花する
「〇〇したら幸せになる」という条件つきではありません。
自己肯定感と同じように、社長にならなくても、事情があって働けなくても、才能がなくても、無条件の自他の、「ありのまま」を受け入れます。
すると自己肯定感が高まった暁には、昇進したり、仕事ができるようになったり、才能が開花したりが、叶ったりします。
▶マイナスにプラスを掛け合わせると「マイナス」
「幸せ(プラス)になりたい」と願う人は少なくないでしょう。
しかし幸せ(プラス)になりたい思いは、今が不幸せ(マイナス)なイメージの裏返しです。
「イメージがすべて」と言ったのは、アンドレ・アガシでした。
マイナスにどんなプラスを掛け合わせても、マイナスです。
「幸せになりたい(+)×今が不幸(−)=マイナス」
この方程式にならえば、幸せになりたい思いが強ければ強いほど、マイナスの不幸が大きくなります。
だから、幸せは「なる」のではなく、「先取り」して幸せは「する」ものなのです。
流れは、アウトプットするからインプットです。
出すと入ります。
▶いつもと同じ「信濃川」はない
自転車は止まると転びます。
血液も止まると困ります。
呼吸も止まると死にます。
川が止まったら、川ではありません。
それは、枯れたら地上、凍ったら氷河に変わります。
私たちはいつもと同じ信濃川があると思い込みがちです。
しかしよくよく観察すると、同じ水の流れは二度となく、「いつもと同じ信濃川」はありません。
同じ水の分子が同じところを流れてはいないのです。
セーヌ川もガンジス川もアマゾン川も、ジム・クーリエが全豪オープン優勝後に飛び込んだヤラ川も、諸行無常。
再び訪れて「あのとき見た川」と思いがちですけれども、それはすでにあのとき見た川ではない「別の川」です。
見た目の現象は似ていても、本質ではないという話と同じです。
だけど「騙される」とお伝えしています。
▶再現性の高いフォームは「噛み合わない」
「祇園精舎の鐘の声」だけではありません。
すべてが常では無く、今この瞬間も、移り変わって動いています。
諸行とは「ありとあらゆるすべて」ですから、山も街も木も畑もみんな動いています。
常に一定な同じものは、何もない。
テニスの格言になぞらえると「この一球は絶対無二の一球」です。
同じ球は絶対に二球とないのに、同じ打ち方、同じフォームの再現性(常)を高めようとするから、そこに強烈な「噛み合わなさ」が生じます。
▶私たちは「モーニング娘。」
「信濃川はない」。
それは、私たち人間も同じ。
トンカツを食べたら、この体は豚と分子を入れ替えた存在であり、刻一刻と変化しています。
お茶を飲んだら、その分子と入れ替えた血液であり、刻一刻と変化しています。
この肉体は、固定された変わらないものではなくて、ドロドロと循環する流動的な存在であり、あたかも「モーニング娘。」のようだとたとえます。
初期メンバーはすっかり入れ替わって別人が歌って踊っているけれど、「モーニング娘。」です。
「AKB48」や「NGT48」や「NMB48」や「欅坂46」なども同じでしょう。
私たちのこの体も、初期メンバーとはすっかり入れ替わっています。
固定された「常」ではなく、流動的な「無常」です。
何となく「変わらない自分」がいると思い込みますけれども、「我は無い」。
無我。
▶気持ちが「移り変わる」から生きていられる
体だけではなく、気持ちや気分、感情もそうです。
今この時の気持ちや気分、感情は、刻一刻と変化しています。
今、どんなに嬉しくても悲しくても、その気持ちや気分、感情を永久保存はできません。
だから生きていられます。
悲しい気持ちが永久保存されたら、苦しすぎます。
グランドスラムタイトルを手に入れたら、コートで大の字になって見上げた空を仰いだ瞬間の気持ちがピーク。
もちろん優勝スピーチのときにも「まだ実感がない」というプレーヤーもいるけれど、その場合は夜の「祝勝会」あたりがピークとなるでしょう。
いずれにしても、そのときの気持ちや気分、感情は、永久保存できません。
▶「祭りのあと」が苦しみの本質
「祭りのあと」みたいなもので、徐々に、あるいは急速に冷めていく寂しさが「苦しみの本質」であり、その変化を上手く自分の中で位置づけられないと、タイトル獲得後にバーンアウトしていく選手もいます。
嘆かわしい話として、ゴールデンウィーク明けに、1年で最も自殺者が増えるといいます。
行きたくなければ、学校も会社も行かない。
自分にもっと、甘く甘く!
無常ですから、時が過ぎ去れば「日にち薬」が解決してくれます。
▶昨日の自分と今日の自分は「別人」
体も、気持ちや気分、感情も同じではないとしたら、もはや昨日の自分と今日の自分は、「別人」のようなものです。
それは自分だけではなく、ほかの周りの人もみんな同じです。
身も心も、科学的に観察すれば別人です。
「変わらない自分がいる」は主観でしかありません。
一切が変わり続け、昨日と今日が別人なのであれば、つまり刹那へ切り詰めると、ひと呼吸ごとに生まれ変わっていると言えます。
▶いま、この瞬間に心を尽くす
今この時、この機会は二度とないのだから、一生に一度のつもりで心を尽くす四文字熟語が「一期一会」ですね。
ですが、「つもり」ではなく、この時、この機会は、本当に一生に一度。
「また会えた」としても、お互いに同じ体で同じ気持ちの同じ2人ではありません。
ですから二度とない「絶対無二」の今この瞬間に、心を尽くせと教わります。
▶イメージも無常
テニスの試合では、イメージが変わります。
相手サーバーの打ったファーストサーブがネットフォールトをしたのを見たら、セカンドサーブを受けるレシーブ時に立つご自身のポジションを、ベースライン内へ上げたくなりませんか?
追い風を背中に受けると、ボールが浅くなりそうな気がして身構えませんか?
相手から飛んでくるネットすれすれの低いボールは、浅くなりそうな気がしませんか?
しかし低い弾道で直線的に飛び続けるボールは突き進む力が強いから、イメージがズレると差し込まれてしまいかねません。
1球ごとに、イメージは変わる(揺らぐ)のです。
▶もしも「地球の自転」が止まったら
自分も変わっているし、周りの人も変わっているし、周りの街も、川も、山も畑も、目まぐるしいスピードで変わっています。
諸行無常を説く初期仏教では、そのスピードは「光の速さ」とたとえます。
変わらなければ、困ります。
新陳代謝が1分でも止まってしまったら、死んでしまいます。
地球の自転が止まったら、大変です。
赤道上だと時速約1674キロメートルで回る地球が急停止すると、慣性の法則が働いて、極点付近以外ではビルも岩も大気も、あらゆるものが吹っ飛ぶそうです。
昼と夜との世界がフィックスされて、そのうち灼熱と極寒に二極化する。
自力で生きていると思っているけれど、大自然の他力に守られています。
小自然の体は精緻であり、その規模を拡大した大自然もやはり精緻。
有機的に絡み合い、奇跡的な循環システムに生かされています。
▶止まっているけど、活動している
表面的な目に映る動きばかりではありません。
動いていないけど、活動しています。
こちらで述べた、体幹の役割です。
手足の動きを支えるために、スタティック(静的)に活動しています。
ダイナミックには動いていないけれど、支持する役割を担う体幹にも、脳からの電気信号が伝わり、筋繊維が収縮して、表面的には動いていないように映るとしても、内面的には活発な活動が認められます。
ですから無常、変化、動きは、ボールに身を委ねて流れるままにプレーするかのように、生き続ける原動力であり、生きている証しとも言えると思うのです。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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