テニス上達メモ002. テニスのプレーは、ボールに身を委ねて体に任せると上手くいく
▶「極端」になっていくスイング
スイング中に、「手首を使う」や「ヒザを曲げる」といったような意図的なフォームの改造につきまして。
こういった部分的な矯正(そして指導者による強制)は、スイング全体としてのバランスを乱し、全身の連動性を損なうから、テニスが上手くプレーできない逆効果になります。
球出しのような練習で一時的に上手くいったように思えた(気がした)としても、その効果は長続きしません。
状況が変われば、すぐ通用しなくなります。
すると、今度は手首を使って上手くいかなかったのだから、使い方が足りていないと錯覚し、もっと使おうとする極端な振り方をしてしまう癖がつく。
トップスピンをかけるために手首を使おうとするのだけれど、それでも回転がかからないから、一層こねくり回す打ち方になる。
これが、アマチュアテニスプレーヤーのスイングが、「なぜそんな振り方をするの?」と首を傾げたくなるに至るプロセスです。
▶「その気になる」のはなぜ?
ちなみに上手くいったような「気がする」理由は、手首を意識的に使ったとしても「何球かに1球」くらいは打球タイミングが合う偶然もあるからです。
それを指導したコーチは「それだ!」「その打ち方だ!」ともてはやす。
コーチもそれによって自分の指導能力を確かめられた「気がする」。
それによって生徒さんも開眼した「気がする」。
だけどその何球かに1球「以外の複数球」は、お構いなしにされてしまっています。
▶部分矯正は、連動、バランス、調和を損なう
手首だけを意識的に強調して使おうとすると、肩や腰との連動が途切れます。
いえ、そういった手首などの分かりやすい身体パーツのみならず、「首の横」や「足の裏」など目立ちにくい部位も、意識しづらいだけで、体は無意識下では連動しているから、手首限定などの部分的なフォーム矯正は、全体としてのバランスを損なうのです。
それが証拠に、たとえば寝違えて首が動かなかったら、プレーしにくいのではないでしょうか?
それはスイング中に、首も連動しているからにほかなりません。
それが証拠に、足の裏が滑りやすかったら、プレーしにくいのではないでしょうか?
それはスイング中に、足の裏でもバランスしているからにほかなりません。
手首だけを突出させると、そういった連動性やバランス、調和を損なうのです。
では、具体的にはどうすればいいか?
▶フォームは一切意識しない
常識的なテニス指導で教えられる「フォーム」については、意識しないのです。
一切。
フォームを意識すると、ボールに集中できなくなります。
それはそうです。
こちらの手首を意識していたら、あちらから飛んで来る、あるいはあちらへ飛んで行くボールについては、当然「おろそかになる」。
▶「下から上へ振りましょう」も部分になりかねない
フォームに関する情報をありがたがるほど、「もっともっと」と気になり出しはしないでしょうか?
スイング全体の矯正であればいいのではないかというご指摘もあるかもしれません。
たとえば「もっと下から上へスイングしましょう」。
だけどこれも、広義では「部分」になりかねません。
下から上へ振るといっても、下半身や頭も連動するわけですから。
それが証拠に頭を押さえつけられたまま下から上へスイングしようとしたら、プレーしにくいのではないでしょうか?
「目線をブラさないために頭の高さを一定に保つ」などとも言われますが、それも部分。
要するに矯正は、全体の連動を妨げ、バランスを崩し、調和を乱します。
▶『テニス上達のヒント』が伝える「一時にひとつ」
フォーム矯正は、全身の連動を損なうばかりではありません。
意識すると、ボールに集中できなくなる問題も孕んでいます。
「無料ガイドブック『テニス上達のヒント』」でお伝えしているとおり、私たちが認識できる対象は、「一時にひとつ」に限られます。
明日予定されているプレゼンテーションについて心配しながら、テレビを視聴しつつご飯を食べていたら、「味」は分からないのです。
それが証拠に今、この文章を読んでいる最中に鳴っていたかもしれないけれど、エアコンの「音」は聞こえなかったですよね、
だけどこうして指摘されると、聞こえ始めます。
一方では、それと同時にエアコンの音をよく聞きながら、この文章を先ほどのようにスラスラとは読み進められなくなるはずです。
▶目で聞けない。耳で見えない
専門的には、「眼耳鼻舌身意」(げんにびぜつしんい)。
認識、識別の「識」という字を当てて、次の相関を確認します。
「眼識」は光を、「耳識」は音を、「鼻識」は香りを、「舌識」は味を、「身識」は感触や温感を、「意識」は思考を捕えます。
目で聞いたり、耳で見たり、鼻で味わったりできない以上、「一時にひとつ」の原理原則からは逃れられません。
▶文章もメロディもフォームも「降ってくる」
ちなみに思考を意識が捕えると言いましたが、まさに「キャッチする」のです。
私たちは能動的に「考えている(考えることができる)」と錯覚しがちですけれども、思考も、光や音や香りや味や感触と同じ情報です。
よく作家が文章は、音楽家がメロディは、漫画家がストーリーは、「降ってくる」などと形容しますけれども、思考もまさにそのような感じです。
自らウンウン考えて、ひねり出せるものではありません。
私自身もこの文章を、考えて書いているわけでは、決してありません。
ただあたかも、川の上流から下流へ流れてくる思考の情報を、キャッチしているだけです。
みなさんも、そんな感じではないでしょうか?
それが証拠にこの文章を読んで「いや、自分で考えているよ!」などと考えたかもしれませんけれども、それは果たして「さぁ今から、自分で考えていると考えるぞ!」などと、ひねり出したわけではなかったはずです。
▶だからテニスは「クリエイティブ」
なので考えるも何も、もともとは「考えることはできない」のだけれど、コーチからフォームに関する情報を受け取ると、考えてしまう(意識が思考をキャッチする)のです。
つまりフォームを意識させられて、ボールに集中できなくなるというのが、思考による弊害。
文章もメロディもストーリーも、ウンウン捻り出そうとするから、出てきません。
アルキメデスは考えるのをやめてゆっくりお風呂に浸かっていたから、「ヘウレーカ!(発見した!)」と自分でも驚いた「浮力の原理」が、まさしく降ってきたのですね。
テニスがクリエイティブな理由も、それと同じです。
フォームもウンウンひねり出そうとすると、出てきません。
ボールに身を委ねていると、にじみ出てくるクリエイティブなのです。
▶「ダイエットジプシー」にならないで
次から次へとダイエット方法を、とっ変えひっ変えしてさまよう「ダイエットジプシー」なる言葉があります。
新しいダイエット法をありがたがる。
だけど健康的に痩せている人に、ダイエットジプシーは「1人もいない」という皮肉。
そしてダイエットジプシーは、健康的な痩身に成功していないという事実。
▶どこまでも遠くまで上昇していくテニス
さまよえるジプシー化はテニスでも起こります。
「次は運動連鎖だ」「次はボディターンだ」「次はオープンスタンス打法だ」……。
「新打法」をありがたがる。
だけど上手いプレーヤーは、打法など求めていないという皮肉。
そして打ち方を意識する人ほど、上手くいっていないという事実。
私はよく、飛行機に備わる「オートパイロット機能」にたとえます。
その自動運転が人間にも備わっていて、すなわちテニスのプレーは、ボールに身を委ねて体に任せると上手くいく。
打ち方やフォームを、ウンウンひねり出そうとしません。
能動的にどうにかしようとするのではなく、何も考えずにスイングするほうが、全体としてのバランス&連動&調和が取れ、テニスはどこまでも遠くまで、上昇していくことが叶います。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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スポーツ教育にはびこる「フォーム指導」のあり方を是正し、「イメージ」と「集中力」を以ってドラマチックな上達を図る情報提供。従来のウェブ版を改め、最新の研究成果を大幅に加筆した「note版アップデートエディション」です 。https://twitter.com/tenniszero