子供たちの声に耳を澄ませて、何度でもそこに戻ってこよう。
誕生日の夜に妻と息子たちから手紙をもらった。
長男の手紙は「21年間愛情を注いで育ててくれてありがとう。もう僕は、社会人になります」との言葉から始まっていた。
便箋にびっしりと書き込まれた言葉を受け止めて、嬉しくて、切なくて、涙が溢れて止まらなかった。
幾つもの子供たちとの思い出が浮かんできた。
私はADHDの性質もあり、感情の扱い方には一際苦労してきた。
自分自身に対しても。家族に対しても。
でも、子供たちにはできるだけ
マイナスの影響を与えたくなかった。
息子たちもまた、ADHDやHSPといった性質を抱きながら、精一杯生きていた。
今日は私が子育てにおいて、最も大切にしてきたことを語ろうと思う。
一言でいうと、それは、対話だ。
その日常繰り返し行われる対話の中で
私が子供たちに対して心がけてきたことは3つ。
心の声に、耳を澄ます。
問いかけて、言葉をかぶせない。
心の光に、焦点を当て続ける。
もしあなたの大切な子供たちに繊細な感受性を感じられたならば、
いや、多くの子供たちの心のありようはきっと皆とても繊細で、時として壊れやすいものだと思う。
子供たちは止まることを知らないほどに
外界から膨大の刺激を受けている。
だからこそ
全ては、その子の心の声に
耳を澄ますことから始まる。
それは非常に小さく
微かにしか聞こえない時がある。
それでも心にそっと寄り添い、耳を傾ける。
「どうしたの?」
「何かあったの?」
「今どんな気持ち?」
思春期であれば、何も言わないことも多いでしょう。
でも、それでも焦らず、耳を澄ましてみる。
「こういうことかな?」という問いかけに
すっと小さく頷くこともある。
そこで大切なのは持論をかぶせないことだ。
ここに忍耐が必要だ。
これには今までの経験値が逆効果になることが多い。
「ママは、パパはこう思うよ」くらいに留めよう。
そして今、その子が不登校であったり
何か課題を抱えていたとしても
根本的にはそれは課題かもしれないけど
決して、問題ではないと心に刻んで。
問題だと思うと、どこか欠けている点を探し
問題に焦点を合わせ、そこを直そう、治そう、という発言が多くなり
それは裏を返せば常に「あなたは不完全だ」とうメッセージを送っていることになり、子供の自己肯定感はますます下がっていく。
だから前提は今どうあろうともそのままで〇。
そのままでまんまるという大前提で
ふとした時に見えた子供の心の煌きや喜びや
ささやかな光のようなものに
全神経を当ててフォーカスしよう。
それはいいね、そうだね、大丈夫だよと
子供の心の光に対して語り続けていると
ふぁーっとその光が膨らんでくる。
でも、親は完璧なはずがない。
やってしまった。と落ち込むこともある。
でもまたそこに戻って。
何度でも何度でも微かな光に焦点を合わす。
やがて
子供たちの表情、その仕草、その一言の変化に気づくはずだ。
心を寄せて、耳を澄ませて、かぶせないで
光に焦点を当て続ける。
それだけを私はずっと心がけて、息子たちと対話してきた。
それしかできなかった。
でも、息子たちの手紙を見て、それでよかったのかなと思えた。
心を寄せて、耳を澄ませて、かぶせないで
光に焦点を当て続ける。
決して簡単なことじゃなかった。
でも
それが誰にとっても難しいことだとしても
きっと親が子供にできるたったひとつの
「信じる」ということなのだから。