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ショートメッセージ

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聖書から日々黙想をしている中で、短いひとまとまりのメッセージを書き留めています。それをおすそわけします。ご面倒ですが、聖書箇所について聖書を開くか、検索してくださると、いっそう身… もっと読む
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#創世記

薪

創世記22:1-14 
 
これまで幾度となく目を通してきた、父アブラハムが息子イサクを神に献げる場面ですが、ふと気づきました。アブラハムは、神から献げよとの言葉を受けてから一言も抵抗せず、「朝早く起きて、ろばに鞍を置き、二人の従者と息子イサクを連れ、焼き尽くすいけにえに用いる薪を割り、神が示した場所へと出かけて行った」のでした。
 
もしこの順番の通りなら、アブラハムはイサクの目の前で薪を割って

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年末の天地創造と新年の人の創造

年末の天地創造と新年の人の創造

創世記1:1-2:5 
 
聖書通読のほかに、「聖書愛読こよみ」をデボーションの道標としています。その粋な計らいを見ました。2023年の大晦日に選ばれた聖書箇所が、この創世記の冒頭なのです。世界の初めだから、新年に相応しいような気がしますが、これにははっとさせられました。新年を待つことが、神の新たな創造を待つ思いと重なるような気がしたからです。
 
もとより、この創造は、人間の見た風景ではありませ

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人生を変える声

人生を変える声

創世記22:9-18 
 
アブラハムを神が試みます。呼びかけたのは神です。アブラハムは、寡黙にそれに従いました。モリヤの地で、一つの山を示されたということで、そこに着くと、アブラハムは祭壇を築きました。淡々と作業を続けたかのように、創世記は描いています。独り子イサクを縛るとき、この親子がどういうあり方をしていたのか、想像はもはやできません。
 
アブラハムは本気でした。そうとしか考えられません。

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王の信仰

王の信仰

創世記41:47-49 
 
ヨセフが王の夢の意味を解きました。その伏線は、子どものころのエピソードにもあります。それが巡り巡って、エジプトの宰相となってからも発揮させることとなりました。ファラオとはエジプトの王のことですが、王が奇妙な夢を見ました。それが気になり、夢の意味を誰か解く者はいないかと探したところ、ヨセフが見つかったのです。
 
その辺りのドラマの展開は、どうぞ創世記を直にご覧ください

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ノアとキリスト

ノアとキリスト

創世記6:5-8 
 
主は悔やみました。地上に人の悪がはびこったからです。心に計ることが常に悪に傾いていたからです。それを主は知りました。それで人を滅ぼそうと考えました。けれども、ここで思います。いまの人間はどうなのでしょうか。心に計ることが常に悪に傾いているのは、何も変わっていないではありませんか。私たちは自己認識を忘れたのでしょうか。
 
人の悪が地上にはびこっているのも、全くそのままです。

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改名という一つの結末

改名という一つの結末

創世記35:9-15 
 
エサウとの再会を果たし、けじめをつけました。ヤコブは、なんとか元の地に戻って来ることができました。そのカナン人たちとの間に、娘ディナの事件で諍いがあり、居心地の悪い情況となったところで、ヤコブは神の声を聞きます。それから聖地ベテルへ導かれ、そこで住み、そこでヤコブは、イスラエルという名をもらいました。
 
しかし、エサウに会う前でしたが、すでにペヌエルにおいて、見知らぬ

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全き者である故の契約

全き者である故の契約

創世記17:1-8 
 
あなたは多くの国民の父となる。それ故に、アブラムがアブラハムという呼び名に変わることとなる。主が契約をもちかけました。多くの国民がアブラハムから出て、ダビデ王もそこから現れることになる、そういう暗示をかけています。その子孫との間にも有効であるような契約をここに立てようという、壮大な計画が提示されます。
 
子孫すべてとの間に、神となる契約を立てると言うのです。また、カナン

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ヤコブ、神と出会う

ヤコブ、神と出会う

創世記28:10-22 
 
ヤコブは孤独でした。兄エサウと父イサクを、母リベカの入れ知恵で騙し、恨まれるようなことをしたために、独り家を出ることになりました。父イサクは一旦ヤコブを祝福してしまったために、母リベカの兄ラバンのところに身を寄せて、そこで嫁をもらうのだと送り出します。しかし、何ら特に財をもたずに、飛び出しただけの身でした。
 
伯父のところへ行け。受け容れてもらえるはずだ、というくら

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ヤコブが変わった

ヤコブが変わった

創世記32:23-31 
 
イスラエルの歴史にとり、これは大きなエポックとなりました。もちろんヤコブ個人にとっても人生の境目なのですが、ここで「イスラエル」という名が与えられたのです。名が与えられるということは、実体が生まれるということにもなります。ヤコブはこの時、そうとう恐れていました。兄エサウからかつて逃げ、伯父ラバンからもまた逃げたのです。
 
自分の居場所がありません。エサウのいる土地し

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選ばないが与えられた

選ばないが与えられた

創世記13:14-18 
 
アブラムはカナンに入ったが、飢饉のため、一度エジプトへ退きました。聖書ではほかにこうした事例がありました。ルツ記です。それに比べると、ここではさほど時間が経っていないのに、またネゲブに戻っています。財は豊かであったので、飢饉が去れば元の生活に戻ることができたのでしょうか。甥のロト一家も共にいます。
 
互いの羊飼いたちの間で争いが生じたというので、アブラムはロトに対し

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いけにえの小羊はどこですか

いけにえの小羊はどこですか

創世記22:1-12 
 
なんとも暗い場面です。いや、信仰の勝利だから明るいだろう、という人がいるかもしれませんが、安全な外から眺める他人が、平気でよかったね、などと言うべきではないと考えます。当事者は命懸けなのです。アブラハムの心の中には、なぜ、という問いがなかったのでしょうか。やっと神の約束により与えられた後継ぎを殺せ、などと命じられて。
 
一人息子のイサクにしても、一方的に神の方から、与

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行け

行け

創世記12:1-4 
 
アブラムは、ただセムの家系の中に置かれた一人に過ぎませんでした。なぜアブラムが選ばれたのか、理由は分かりません。主が、この男なら任務に応えられると知っていたから、というような説明しかできないのです。畢竟、人間にはそれは分からないものなのでしょう。神はとにかく、アブラムを以て、イスラエルの信仰の祖としたのでした。
 
一人の内に物語が凝縮されることがあります。一つのメタファ

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神の言葉の実現を笑う

神の言葉の実現を笑う

創世記21:1-8 
 
人が一人産まれるために、神がどんなに関わっているか、思いを馳せます。この子の誕生にも、神からの干渉があり、人の側の不安に包まれた多くの時間や、様々な思惑がありました。アブラハムは「信仰の父」と呼ばれるようになりましたが、百歳まで子がいなかったことを思うと、「父」ではなくして象徴的に「父」とする不条理すら感じます。
 
このアブラハムからイサクが生まれたのですから、「信仰の

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虹の契約

虹の契約

創世記9:8-17 
 
神と人との間に契約が成立したのは、はこれが初めてです。尤も、6:18でこの契約を立てることが予告されていますが、それは箱舟に乗せる時の動機となるべきものであって、契約が結ばれたというほどのものではありませんでした。さていま、契約は誰と契約したのでしょうか。人間一般でしょうか。ノア本人とその子孫のすべてとでしょうか。
 
いえ、共にいるすべての生き物、肉なる生き物との間に立

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