マガジンのカバー画像

ショートメッセージ

614
聖書から日々黙想をしている中で、短いひとまとまりのメッセージを書き留めています。それをおすそわけします。ご面倒ですが、聖書箇所について聖書を開くか、検索してくださると、いっそう身… もっと読む
運営しているクリエイター

#復活

どこか無邪気な復活劇

どこか無邪気な復活劇

ヨハネ20:19-23 
 
復活したイエスは、ヨハネ伝では、マグダラのマリアにしか、まだ姿を現していませんでした。ペトロともう一人の弟子が空の墓は見て知っていました。この二人はしかし、まだ十分理解していなかった、とヨハネは記しています。こうした弟子たちは皆、ユダヤ人たちの襲撃を恐れていたのか、さる家へ閉じこもっていました。
 
部屋に鍵をかけていたというのは、心にも鍵をかけていた、と言っているの

もっとみる
イエスは教会と共にいる

イエスは教会と共にいる

マタイ28:16-20 
 
復活したイエスは、墓へ来た女たちに出会います。女たちは、まず空の墓を見ました。天使が現れて、イエスは復活した、と女たちに告げました。先にガリラヤへ行っているから、そこで会えるだろうというのです。女たちは、恐れながらも大喜びだという複雑な感情を胸に、弟子たちのいるところへと走りました。走ったというのです。
 
イエスは、その行く手に立っていて、女たちはイエスに出会います

もっとみる
マリアたちの経験が私の経験となる

マリアたちの経験が私の経験となる

マタイ28:1-6 
 
安息日が明けて、二人のマリアが墓を訪ねます。マタイはそう記します。二人は、墓穴の入口が大きな石で蓋されるのを、先に見ていました。マタイでは、翌日に祭司長たちやファリサイさの面々が、ピラトに申し出たことが描かれています。墓を見張っておくべきことを提言し、受け容れられました。何人か知れませんが、複数の番兵が付けられました。
 
二人のマリアが主の天使の現れに遭遇したとき、この

もっとみる
共に死に共に生きる

共に死に共に生きる

コロサイ3:1-11 
 
「あなたがたはキリストと共に復活させられた」とは聞き捨てならない言葉です。復活はキリストにおいて成立しました。でも私たちはまだなのではないのでしょうか。ここは「共に」が別の語ではなく動詞にくっついており、「共に起きる」が一語となっています。死後の肉体的復活を、必ずしも意味してはいないように見えます。
 
キリストに従って立ち上がったなら、私たちはこのことを体験した、と言

もっとみる
ラザロの許へ行く光の道

ラザロの許へ行く光の道

ヨハネ11:1-16 
 
ヨハネ伝特有の記事ですが、ラザロの死は、11章全体で取り上げられており、一つの大きな記事であるように思われます。きっと、その復活こそが大きいのではなくて、当局のイエスへの姿勢が凶暴化する契機としての意味が、強かったのでしょう。マルタとマリアという姉妹と兄弟ラザロ。3人での暮らしは、何か曰く付きであるような気もします。
 
ラザロは、このエピソードでは物言わぬ人ですが、病

もっとみる
キリスト賛歌と復活

キリスト賛歌と復活

フィリピ2:6-11 
 
「~しなさい」という形で勧めることの多かった、パウロの口調が変わります。聖書協会共同訳では、ここが詩のような形になるようにセットされています。特別に目立たせる効果があります。「キリストは」で始まるこの一連の教義的な内容は、「キリスト賛歌」と呼ばれることがあります。信仰が実に美しくまとめられているものだと驚きます。
 
イエス自身は、もちろんこのことを口に上らせることはあ

もっとみる
伝えたいのはイエスの復活

伝えたいのはイエスの復活

使徒13:16-43 
 
パウロの第一次伝道旅行は、さほど広範囲へ向かっているわけではありませんでした。何をどう目指しているのか私には分かりませんが、アジアの内陸へと進み、ピシディア州のアンティオキアにて、安息日の会堂でメッセージを頼まれたのでした。この長い一幕を一度に読みます。パウロの説教が、たっぷりと掲載されているわけです。
 
ストーリーのためでもありますが、この内容が、教会の信仰のために

もっとみる
復活のイエスに出会う

復活のイエスに出会う

ヨハネ20:19-23 
 
その日が週の初めの日であることを、わざわざ説明しています。すでに礼拝として信徒が集まる日は、主の復活の曜日、安息日の明けた朝になっていたことを前提としているように思われます。そのいわば最初の集まりという場面です。但し、礼拝というよりも、単に隠れていたのだ、と言ったほうがよいでしょう。命が狙われているかもしれないのです。
 
イエスが処刑された。そのイエスの遺体がなくな

もっとみる
マリアが私の物語になる

マリアが私の物語になる

ヨハネ20:11-18 
 
イエスが葬られて3日目の朝のことです。ペトロたち2人は、マグダラのマリアの報告を聞いて、イエスの墓に駆けて行きました。マリアの言ったとおり、墓は蓋が開いていました。2人が見ると、墓の中は空でした。1人は何かしら「信じた」のですが、イエスの復活については、まだ理解していなかったことが記録されています。
 
2人は、家に帰って行きました。復活のリアリティは、当然ありません

もっとみる
死と復活の予告のリアル

死と復活の予告のリアル

マルコ10:32-34 
 
8章、9章と、イエスは自身の死と復活について語った、ということをマルコは記してきました。殺されて復活するというこれまでの二度の予告から、三度目は引き渡されるという方にシフトしているようにも見えますが、殺されるというよりも、異邦人が殺すという言い方にもなり、表現がかなり具体的になってきているように思われます。
 
イエスはこのとき、わざわざ12人を呼び寄せて話をしていま

もっとみる
今よみがえれと告げた

今よみがえれと告げた

ルカ7:11-17 
 
死んだ青年が起き上がって口をきいたのを見て、人々は恐れを懐きました。これが「偉大な預言者」の現れだという声を呼びました。「神はその民を顧みてくださった」とも言いました。神を崇めたのです。イエス当人を拝むようなことはしません。ユダヤの人々は弁えています。すべての偉大な業は、ただ神のものである、と。
 
従って、神の力を現した人は、神の預言者であるのです。この姿勢は、学びたい

もっとみる
イエスの涙

イエスの涙

ヨハネ11:28-37 
 
ラザロを喪い、四日も経ってようやく呼んでいたイエスが到着しました。通信手段の限られた時代、このようなことはよくあることだったかもしれません。イエスと深い関わりのある兄弟三人だったようですが、詳しいことは分かりません。ただ、ヨハネはこのマリアを、髪で主の足を拭った罪深い女だとしています。イエスとの関係は、やはり謎です。
 
いい年をした三人の兄弟が一緒に暮らしているなど

もっとみる
殺されなかった者がいる

殺されなかった者がいる

使徒3:11-19 
 
癒しの奇蹟の業が、神殿にいた人々の耳目を集めました。ペトロはこの民衆に向かってメッセージを送ります。この人々は、ルカが軽蔑の意味をもたせていう「群衆」ということではないようです。神からの言葉に、耳を傾けうる人々です。イスラエルの神と、イエスとを結びつけるメッセージ、それをペトロは説教することになります。
 
イエスを、ユダヤ人たちはローマ帝国に引き渡しました。弟子たちはイ

もっとみる
マルタの見事な対応

マルタの見事な対応

ヨハネ11:17-27 
 
弟子のトマスが、私たちも行って一緒に死のう、などと言うから、私たちは戸惑います。弟子たちですら、イエスの行動の意味や思惑などを、全く分かっていなかったのです。ラザロの兄弟であるマルタが、イエスのことを完全には理解していなかったとしても、それが何の問題だというのでしょう。私たちはマルタを誤解していたのではないでしょうか。
 
むしろ、イエスが神に願うならば神は何でも叶え

もっとみる