消せない苦しみも、抱えたまま生きていく
「死にたい」って人に言うと、驚かれる。
驚く人は一人や二人じゃないということを知ってから、「あっ、これって普通じゃないんだ」と気がついた。
いつからこう思うようになったのか、はっきりとは覚えていない。でも、どうしてもこの言葉が頭から離れてくれないのだ。特に嫌なことがあると、それを上書きするように「死にたい」というテキストが連続的に打ち込まれていく、そんな感覚がする。
聞いたところによると、自殺を考えている場合は"自殺願望"、そうではないけど死にたいと思うことを"希死念慮"というらしい。今現在の私は、後者に当てはまることになるのだろう。
今現在、と書いたのも、「もし、本当に自殺をするとしたら」と考えていた過去があるからだ。
それは高校生の頃。今より10年近くは前のことになる。飛び降りるのか、包丁で刺すのか、首をつるのか。他にはどんな死に方があるんだろう。どんな風に死んだ人がいるんだろう。と、インターネットで毎日のように検索していた。そして、辛い出来事があるたびに、目の前が白く霞み、死に関する情報でいっぱいになる。そんな日常を送っていた。
電車通学をしていたクラスメイトが、電車遅延で遅刻してきたときに「また、人身事故だよ。死ぬならせめて、迷惑かけずに死ね」と話しているのを聞いて、ひどく悲しくなったのを覚えている。
せっかく死ぬなら、「怒り」でも「迷惑」でもいい。他人のトラウマになるのなら本望だ。電車に引かれて死ぬのなら、その瞬間を"誰か"が見るだろうし、それで大きな遅延に繋がれば、それだけ多くの人に不快感を残すことができる。とにかく、誰かに何かしらの強い印象を与えてから消えたい。そう考えていたんじゃないのかな、と想像し、共感していたからだ。
私が死にたいと考えた理由は、あまり言いたくないけれど。
たぶん、孤独だったんだと思う。
強い孤独に耐え難くて、逃げてしまいたかった。
こんなに孤独なのに一人で誰にも知られずに死ぬのなら、これまで生きてきた辛い時間は何だったのだろう。
その虚無感も相まって、誰かに強烈に印象付けて死にたいという願望があった。
とはいえ、それも過去の話。
調べて、考えて、を繰り返した結果、私は自殺はしないと「決めることにした」。
親に感謝できる年ごろになってから、この決断は「正しかった」と知ることになる。今は、親よりも先に死んではいけないと、心の底から思っている。自分が死ぬことで悲しむ親の姿を想像しただけで、死にたくなる。矛盾したような言い方だが、そう感じるようになった。
しかし、こんなにもハッキリと「自殺はしない」と決めていても、「死にたい」という言葉は頭から離れようとしない。
もう死ぬことはできない、という逃げ場の無さが、辛い気持ちをさらに強めていく。
さて、今の私はというと、仕事のストレスなどが原因で適応障害と診断されて休職中の身である。ここまで綴ってきたこととは"別件"で、身体的症状が出てしまったことにより、心療内科へ通うようになった。
休養中も「死にたい」という気持ちが止まらなかったので、何回目かの診察中にこのことも打ち明けてみることにした。
すると、先生は「昔から……ですか」と、少し難しそうな顔をした。
「仕事で嫌なことがあるなどの"原因があって"というわけでなく、昔からそう思ってきたのであれば、それを『無くす』ことはできない。
……その気持ちを抱えながら、生きていくことになるでしょう」
とのことだった。
聞いた瞬間、失望感でウッと胸が苦しくなったが、その後にじんわりと心が落ち着いていくのを感じた。
「しょうがないか」と、諦めがついた感覚に近いのかもしれない。
もちろん、医師によって回答は異なることもあるだろうけれど。
「死にたい」で頭がいっぱいになる日は、どうせまたやってくる。
それは明日かもしれないし、明後日、明々後日も止まらないかもしれない。
辛くても、それを抱えて「生きていく」と、私は決めた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。