自由や幸せの過程には「不自由」や「不幸せ」がある
どうも、たんぐです。
起業してからいろんな人と会う機会がありますが、
話す内容がいちいち面白いんですよね。
内容というか、議題やテーマが面白い。
普通に生きてたら議論しないことを持ち出して、みんなで話し合ったりしてます。
で、今日は起業家同士が集まったときに
どんなことを話してるか?を少し共有しますね。
もちろん、言えないことも多々あるし、言えないことの方が多いです。
でも、「これなら言ってもいいかな」という内容を少しだけ共有していきます。
起業したあとの臨場感を感じてもらいたいなと思って、書くことにしました。
それではいきますね。
これは実際に先日、話してた内容なのですが
それが
「自由や幸せの対義語ってなんだと思う?」
というもの。
こんなの友達といるときは絶対に話しません。
いつも話題を投げかけてくる人がいるんですが、どの話題も
今まで考えたことがないようなことなので非常に面白いです。
で、この問題に正解ってないので、みんな熟考するんですよね。
基本的にはその人の感性や価値観が反映されるものだと思ってます。
ここから僕が考えた結論を書いていきますね。
それが「絶望」です。
「不自由」とか「不幸せ」ではないと思ってます。
というか、最初にこの2つはちがうだろうな、と思って答えから排除しました。
それはなぜかというと、
幸せや自由になるためには、不自由や不幸せになることを受け入れないといけないからです。
僕は今でこそ、個人で稼げるようになって多少の自由は得られました。
しかし、それまでの道のりは不自由で不幸せな日常でした。
貧乏なときもあったし、家賃を滞納してたことだってあります。
普通に会社員をやってから、起業しましたがざっくり説明すると、
普通(会社員)→不自由or不幸せ(試行錯誤期)→自由(成功)
こんな感じです。
ビジネスで成功して自由になるのは、誰もが夢見るとは思いますが
すぐに成功してる人はかなり稀です。
というか、ほぼいないんじゃない?と思います。
不自由な期間というのは、種まきの期間ですが
これが花咲いて自由になれるわけです。
つまり、不自由や不幸せは「自由」とか「幸せ」の対義語ではないんですよ。
ベクトルとしては同じ方向にあります。
不自由を経験することで自由になれるので、方向性では同じですね。
僕は自由や幸せの対義語は「絶望」だと答えましたが、これは絶望すると何しても面白くないからです。
↓の記事で61年間、刑務所にいた囚人の話をしました。
この囚人って懲役が長すぎて、自分の意思を自分で決定することができません。
そして、「人生って何も面白くないんだね」ともインタビューで語っていました。
これこそがまさに僕が思う「絶望」を具現化した形で、なんの希望もなく
ただ生活するのってくそほど面白くないんですよ。
61年間も看守からの指示だけを全うしてきたので、意思すらもありません。
その時点で自由を奪われてるわけです。
自分の人生に絶望することで、自分の人生のコントローラーを捨ててしまったんですね。
このことは本に書かれてますが、かなり面白かったです。
絶望ってなかなかないですが、闇金ウシジマくんって漫画を見れば絶望してるキャラクターを見れます(笑)
逆に絶望さえしなければ、不自由にも自由にもなれるってことです。
なので、いま不自由な人も自由の前段階にいるということを忘れないでほしいです。
歩いてれば自由や幸せになれるので、あきらめないでください。
僕もがんばります!!!
それでは!
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