記事一覧
日本人がいるところなら世界中のどこででも見られる祈り:「世界人類が平和でありますように」
京都は祇園の八坂神社にいくと、南門を入った敷地内に杭が打ってある。
「世界人類が平和でありますように」
日本人がいるところなら世界中のどこででも見られるという、あの、おなじみの杭は、ある宗教法人が広めたとか、博報堂が関わっているとか、なにやら裏の話もあるようだが、杭に書かれている文言自体は、単純な祈りの文である。
「世界人類が平和でありますように」
祈りは「縁」を分け与える。
自分との「縁
ジェンダー的な視点から「赤ずきん」や「眠れる森の美女」を廃棄することについて
<わたし、シャバフキンは、高校生に勉強を教えながら海辺で暮らしています>
数年前、スペインのある小学校で、ジェンダー的な視点から、
「赤ずきん」や「眠れる森の美女」を含む、
不適切な児童図書200点が廃棄されるというニュースがあった。
女性と男性の役割分担を間違って教えるような古い価値観の児童書は、
子どもたちに間違った性意識を植え付けるという理由から選別が行われたらしい。
子どもが本から受
SNSで推しへの愛を語っている今の子ども達と「机」や「下敷き」に好きな芸能人の名前を書いていたかつての子ども達の本質は変わっていない
<わたしは、高校生に勉強を教えながら海辺で暮らしているシャバフキン>
「音楽」の授業で歌った歌は今でも覚えているが、「国語」の授業で扱った小説は一つも覚えていない。
それは、国語の教科書に載っている小説がつまらないのではなく、教科書に載ることで小説がつまらなく感じてしまうからだろう。
どんなに良い小説でも詩でも短歌でも、国語の授業内で読むと、途端につまらなくなる。
勉強やスポーツを強制される
アメリカで車の免許取りに行ったら、魔女みたいな教官に当たった話
免許の更新に「免許センター」へ行った。
前回の免許更新から何度か警察に捕まったので、
今回も、しっかり「違反者講習」も受けた。
これまで、「違反者講習会」を受けなかったことはないくらい毎回出席しているが、「違反者講習会」で見せられるビデオは、毎回違う。
何年間も、惰性で同じものを流し続けないところに、
免許更新センターの意気込みを感じる。
僕が毎回、交通違反をして、違反者講習を受けなければいけ
肌のきれいな人は化粧水をさぼってもきれいだし、 勉強のできる人は放っておいても勝手に勉強する
「もっと丁寧にやって」
掃除のやり方で妻に怒られると、
普段、先生に怒られている子どもたちの気持ちがよくわかる。
「丁寧ってなにさ?」
そういう顔をして、無言で反抗する。
自閉症の子にはふわっとした指示ではなく、
なるべく具体的な指示をしなければ、
なにをどうしたらいいのか困惑してしまうと言われるが、
それは彼らに限ったことではない。
僕だってそうだ。
どこからが丁寧なのかは人によるのに、
子どもが陥る「有事」は、 そのほとんどが「個人的な有事」である
先日、まったく話が噛み合わない人にあった。
その時話していたのは、教育の話だったが、
なんでこんなに話が噛み合わないのかなぁと考えてみると、
こちらが「有事」のことを考えているのに、
相手が「平時」を想定して話しているからだった。
前提が違うと、話も噛み合わない。
話の前提として当たり前にこちらが「有事」を想定している一方で、
当然のように、「平時」を基本にものごとを考える人がいる。
そこに
ねこ娘が八頭身になる時代にも、妖怪には果たすべき役割がある
「おい、鬼太郎」
高校生たちが目玉の親父の声真似をしている。
その様子だと、「ゲゲゲの鬼太郎」はまだ、
ティーンネイジャーに受け入れられているらしい。
安堵。
この前、たとえ話で長嶋茂雄を挙げた時はキョトンとされたし、
ヒッピーの話をした時は、「それ、ゆるきゃらですか?」と言われ、
ヒッピーの画像を見せると、
「あぁ、Superflyのことですね」と返された。
高校生になにが伝わり何が伝わらない