【序文】
2021年1月から12月にかけて私は「信州読書会」様に参加させて頂いた。
こちらの読書会は、参加者全員が対面で課題図書に関する議論を交える形式ではなく、参加者が書いた「読書感想文」を主催者が紹介してその所見を伺うといった形式をとる。そのため、参加者は事前に感想文を準備しておく必要があり、僭越ながら私も感想文を書いて提出した。
それ自体は別段差し支えはないのだが、感想文提出後の私の姿勢に問題があった。
というのも、私という人間は一体どういう訳か、一度感想文を提出してしまうとそれに満足してしまい、自身の感想文における主張の妥当性、他者の見解、他者の感想文との比較検討を全てなおざりにしていたということであり、要は、自身を振り返るということを一切しなかった。この行為を別の事柄に例えるとするなら、カレーライスを調理して完成したと同時に排水溝へぶちまける行為、半年かけて育てたプチトマトを植木鉢もろともベランダから投げ捨てる行為ともいえる。完成したカレーが辛いのか甘いのか、育てたプチトマトは酸っぱいのか苦いのか、それらを試食した上で評価し、そこで問題があるなら原因分析を行いスパイスおよび肥料配合を修正すべきであり、これを放置するようでは一流のカレー職人、プチトマトマイスターには一生かかってもなれない。
読書会も多分に漏れず、参加後に改めて自己評価を行い問題点を洗い出して改善に繋げるべきであり、それがひいては自己成長に結びつくのである。それを放棄して自身を顧みなかった私は愚か者以外の何者でもない。
以上の経緯により、本稿は「2021年の読書会で扱われた課題図書」「課題図書に対する読書感想文」を順次振り返り、そして再評価することで見識の向上に努めようとする試みである。これを簡単に言うと『最近ヒマだから俺が書いた感想文をもっかい読んでみるかー』である。
【評価・採点について】
以上を踏まえた再評価結果は以下の通り。
※下記に嘘偽りは一切ない。誓って、すべてが本音である。
以上、2021年に開催された読書会における課題図書および読書感想文のセルフレビュー結果となる。
【セルフレビュー結果に関する所感】
▼課題図書:
この結果から、まずは課題図書に関して言うと、私は評価の主軸に「わかりやすいか?」「自然な描写になっているか?」を置いている。そのため『三四郎』は高得点である。例外は『古都』のみ。
また、ほぼ記憶に残っていない作品はその程度の印象しかないということで悉く点数は低い。例えば、『ゴドーを待ちながら』はまさにそうであり、書籍を購入した記憶しかないのは残念である。
本レビューにおいても繰り返し述べてきたが、大作家であっても駄作は存在する。漱石にも芥川龍之介にもモーパッサンにもシェイクスピアにも駄作は少なからず存在する。私達も人間であり彼らも人間である以上、欠陥が無いわけがない。不運なことに読書会の場でそういった作品に遭遇しただけの話であり、著名な作家の小説だからとりあえず賞賛するというのは思考停止に陥ることと同義である。やはり小説は平等に読むことが肝心だと私は思っている。
▼読書感想文・その他:
次に読書感想文についてだが、「根拠が明確に述べられているか?」を念頭に置いて評価した。例えば、『罪と罰』読書感想文の評価は高い。一見、めちゃくちゃにも思えるこの感想文だが、椎名林檎の歌詞の注釈という体裁を取りながら一行毎に説明が記載されており理屈だけは通っているため、その点を私は評価した。
また、世に展開されている様々な文章を読むにつけ思うのは、根拠が述べられていないものがとにかく多すぎるということであり、なにかしらの主張がしたいならそこに至る経緯も加えて判断根拠を明記すべきである。根拠なき主張はただの詭弁に堕ちる。根拠を度外視した主張だけを乱暴に書いていると気分が良い。手間も省けて楽チンである。言いたい放題のおかげで自分が偉くなった気さえしてくる。とまあTwitterを始めとするSNSが流行するのは左記の様な事情かと思われるが、誰かになにかを伝えたい場合、一番の近道は根拠を書くことである。納得に導けばいいのだから。
ここで、私の感想文の後半戦(10月以降の読書会)を見てみると、酒に酔っぱらった状態で書いているものが多く、それらの感想文はすべて0点~1点とした。別にこれは酒飲んで感想文を書く様なだらしないヤツには0点、ということではなく、明確な根拠が示されていない文章が多いからという理由に尽きる。私の場合は特にそうなのだが、酔っぱらっていると思考が鈍くなり、陽気な気分ではあるものの身体はなにやらだるいしとにかく眠い。となると、感想文は楽なほうへ楽なほうへと進路を変え、根拠の欠落したやりたい放題の詭弁満載の感想文になり果てる。そうして書き上げられた文章を読まされる側としてはこれ、地獄である。例えば、『妄想』『月と六ペンス』『青年』の読書感想文なんかがそれに該当しており、これは希代のゴミ感想文となっている。これに関しては反省しきりである。
というわけで、そういう失敗を回避すべく私は今後、絶対に酒を飲まずにシラフの状態で読書感想文を書くことにする。という努力をするための検討を見据えた準備に着手できそうならしないでもないこともない。
それでは最後に、ここまでに挙げたレビュー結果のサマリーを付記として以下に紹介して本稿の締めくくりとする。
【課題図書おもしろランキングベスト3】
【課題図書ワーストランキング3】
【読書感想文おもしろランキングベスト3】
【読書感想文ワーストランキング3】
【あとがたり】
私は課題図書を読む際、付箋を貼ることにしている。
決まって付箋を貼る箇所といえば「違和感を覚えた表記」であり、感動した場面、作品の欠陥部分には貼らない。そういう箇所は意外と脳裏に刻み込まれているもので、反対に違和感のある表記こそ直ぐに心の内から去っていくことが多いため、そうならないよう必ず付箋の助けを借り、読後に該当箇所を読み返すことにしている。
登場人物の引っかかる言動、地の文における意味深な表記、心理描写に対する素朴な疑問等々、数え上げればキリがない私の違和感。煩わしいがとりあえず付箋を貼っておく。すると読み返した際、そんな違和感は払拭されていることに気付く。
作品全体の構造を把握したことで過去の違和感が知らず知らずの内に整合されて腑に落ちていたのである。私は課題図書の読解はこれで決着をつけてきた。しかし、例外も多く存在する。例えば『城のある町にて』および『古都』は、今現在も大量の付箋が貼られたままであり、これは私の能力では解決できない事柄が多いため剥がすに剥がせなかったのである。
そうしたこれらの付箋は、読書会を通じて主催者を筆頭とする各参加者の知見を借りて剥がされることもあれば、反対に、参加者の知見を契機とした新たな「気付き」により追加の付箋が貼られることもある。
一冊の本をたった一人で読み解くのは過酷なもので、ともすれば独りよがりの自論に陥ってしまい誤った見識のまま解されている可能性もある。決してそれが時間の無駄とまでは言わないが、極力回避すべき問題であることには違いない。
今も大量の付箋が貼られたまま本棚にしまってある『城のある町にて』と『古都』。私は、数多く残るこれらの付箋を読書会参加者の皆と自らの手で一枚一枚剥がせていけたらこれ本望である。
といったことを考えながら、今年の読書会をあと少しだけ思い返してから今日は寝ることにする。
以上