【感想文】潮騒/三島由紀夫
『変人五衰』
私と妻の間には二子がおり、長男は50歳を過ぎて職歴もなく、年子の娘も同様、日がな一日部屋に籠ってばかりいる。
私はとうに定年を迎えており収入はない。ならば、子が親を養えばいいのだが我が子はそれを請け合わない。仕方がないので、当座の家賃水道光熱費は私のカツアゲで工面し、食料雑貨類は妻の万引きで賄っている。とはいえ、いつまでこんな生活が続けられるというのか。年のせいであろう、今日のカツアゲは返り討ちにされた。妻も万引きGメンの徹底マークにより迂闊に手を出せないと嘆いていた。私も妻も老い先は短い。にも関わらず、我が子は働いて親を養おうとしない。なぜなのか。
その疑問は昨日妻が万引きしてきた本書『潮騒』を読み進める内に氷解した。手がかりとなったのは文末における以下の一節である。
<<少女の目には矜(ほこ)りがうかんだ。自分の写真が新治を守ったと考えたのである。しかしそのとき若者は眉を聳(そび)やかした。彼はあの冒険を切り抜けたのが自分の力であることを知っていた。>> 新潮文庫,P.188
上記について、少女(初江)も新治も <<自分の力>> を信じて行動している。この先も自分の力で道を切り拓くのであろう。我が子にはこの、自分の力を信じるということが欠落しており、そのため社会に一歩踏み出せずに怯えていたのではないか。もしそうなら、息子と娘は、新治と初江の様に自分を誇れる出来事がこれまで一切無かったことになる。本当に無いのだろうか。その体験ひとつで人は変わることができる。例えば、新治が千代子に極めて事務的に言った <<「なあに、美しいがな」>>同,P.121 という発言に対し、彼女は、
<<『あたしのことを美しいと言った!あの人が私を美しいと言った!』—中略 —『あの人が本当にそう言ったんだわ。それだけで十分だ。それ以上期待してはいけない。あの人が本当にそう言ってくれたんだわ。それだけで満足して、もうそれ以上、あの人から愛されることなんか期待してはいけない。— 以下略 — >> 同,P.122
と、歓喜しており、千代子以外の他者から見れば些末な出来事かもしれない。新治は千代子なぞ眼中に無いのだから。だがそれがどうしたというのか。美しいという発言は厳然たる事実なのであって、彼女はこの1点を拠り所にこの先の人生を堂々と歩むに違いない。我が子にしてもそういった体験 —— どんな微々たる喜びでも構わないからそれを誇りとし、千代子の様に強く生きよと切に願う。そして行く末は私と妻に代わってカツアゲ・万引きで養ってくれたらすっごい助かる。
といったことを考えながら、この感想文を両親に見せた結果、父は私の <<頭へいきなり冷水を浴びせ背中を蹴上げ>>同,P.112、母は静かに泣いていた。
以上
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