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谷崎潤一郎『幇間(ほうかん)』読書会 (2021.12.3)

2021.12.3に行った谷崎潤一郎『幇間(ほうかん)』読書会の模様です。

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青空文庫 谷崎潤一郎『幇間(ほうかん)』

私も書きました。

Oh!! GEISYA FUJIYAMA HADAKA DANCING ALLNIGHT!!

(引用はじめ)

「えゝ毎度伺いますが、兎角此の殿方のお失策(しくじり)は酒と女でげして、取り分け御婦人の勢力と申したら大したものでげす。我が国は天(あま)の窟戸(いわと)の始まりから『女ならでは夜の明けぬ国』などと申しまする。………」
と喋り出す舌先の旨味(うまみ)、何となく情愛のある話し振りは、喋って居る当人も、嘸(さぞ)好い気持だろうと思われます。そうして、一言一句に女子供を可笑しがらせ、時々愛嬌たっぷりの眼つきで、お客の方を一循見廻して居る。其処に何とも云われない人懐(ひとなつ)ッこい所があって、「人間社会の温か味」と云うようなものを、彼はこう云う時に最も強く感じます。

(引用おわり)

落語が与える『人間社会の温か味』は、言葉やしぐさの与えるニュアンスやタッチの微妙な表現にある。


幇間になった三平という男は、そのニュアンスやタッチを、人の何倍も愛おしく思っていて、それを周囲の人間と分かちあいたいのである。それこそが、彼なりのヒューマニズムなのだ。

何作か読んでみて、谷崎文学には一貫して、天の窟戸の前で夜明けを待つ幇間芸の真髄がみなぎっていると思った。


『女ならでは夜の明けぬ国』はおそらく日本文化の、ひとつの核心をついている。

日本の文学には天照大神系統のものと、速須佐之男系統のものがある。

宴会で酔っての裸踊りという奇態な日本の文化が、サラリーマンの世界にも、地方の津々浦々に色々なバリエーションでもって点在しているが、それとて、天の窟戸を開けてもらうためである。

お腹が痛くなるほど、人を笑わせ、勝ち気な女性の機嫌をとるという幇間の裸ダンスは、正統な日本文化なのである。

これが日本の古典の核心だと、彼なりに掴んだのだろう。

(引用はじめ)

天照大神はかくて、岩戸隠れによって美的倫理的批判を行うが、権力によって行うのではない。速須佐之男の命の美的倫理的逸脱は、このようにして天照大神の悲しみの自己否定の形で批判されるが、ついに神の宴の、烏滸業(おこわざ)を演ずる天宇受売命(あめのうずめのみこと)に対する、文化の哄笑(もっとも卑俗的なるもの)によって融和せしめられる。ここに日本文化の基本的な現象形態が語られている。三島由紀夫『文化防衛論』ちくま文庫 P.78

(引用おわり)

三島由紀夫が『文化防衛論』で解明した神の宴の天宇受売命の裸ダンスは、速須佐之男の美的倫理的逸脱とは別のもうひとつの重要な文化伝統の御柱である。卑俗なものによる文化的エネルギーの再生である。

三平&ブラザーズの催眠にかかったフリからの『HADAKA・ダンシング・オールナイト』もその文化伝統に連なるのだ。

かくして、大谷崎の日本文化の形式への直観力には、やはり瞠目せざるを得ない。


だから、谷崎・イズ・アメージングなのだ。

(おわり)

読書会の模様です。



お志有難うございます。