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【感想文】トニオ・クレーゲル/トーマス・マン

『機関車マン』

本書『トニオ・クレーゲル』の主題ともいえる文学者の苦悩とは何なのか。

本題に入る前に、夏目漱石の講義録『文学評論』における「作品における評者の態度」を以下3点紹介する。
※文学評論(上巻),第一編参照。

①鑑賞的態度・・・自己の趣味嗜好により作品を評価
②批評的態度・・・作品を分解し科学的見地により作品を評価
③批評的鑑賞・・・自己の趣味嗜好から出立して科学的手続きの上で作品を評価

上記について漱石は、「①感傷的態度」は愛好家の態度であり批評には該当しないと切り捨て、次に「②批評的態度」については、文学は科学ではないが批評または歴史は科学だとしている(可能性として提示)。
そして、世の中の批評は「③批評的鑑賞」によるものが主であるとし、③に関してだけは漱石の苦悩が見て取れる。
なぜなら、古今東西において「趣味の普遍性」はないにも関わらず、自己(=評者)が得た趣味という者が標準となって批評が出立するからであり、したがって全読者に満足を与えることはできないと漱石は長々と論じた上で生徒に詫びている。

本書『トニオ・クレーゲル』におけるトニオも前述③と同様、今度は反対に評者ではなく創作者の立場から苦悩している。
説明にあたり、まずはトニオが抱く芸術家としてのあるべき姿を以下に抜粋する。

<<彼は生きるがために働く人間のようには働かなかった。彼は労作以外の何物も欲しなかった。―中略― すぐれた作品というものはただ苦しい生活の圧迫のもとにおいてのみ生まれるということや、生きる人間は労作する人間でないということや、創造する者になりきるためには死んでいなければならぬということなど一向にご存じない小人どもを心から軽蔑した>>新潮文庫,P.43

上記は、芸術家は生活とは分離した存在であるといった主張だが後に、リザヴェータから <<道に迷った俗人>>P.67 なだけではないかと指摘されており、旅行の終わりに彼は <<悔恨と郷愁にすすり泣いた>>P.116。
こうした点から、故郷でのハンスおよびインゲとの別れ —— それは生活・俗物を疎外することになった要因に過ぎず、つまり彼は旅行において自己を再認識した結果、芸術と生活の分離が叶わず泣いたと読み取ることができる。そして、作中最後のリザヴェータへの手紙では、<<俗人的良心>>P.118、<<俗人的愛情>>P.119という言葉を用いて <<根源的で宿命的な芸術気質>>P.118 という自分の存在に気づいている。

以上のことから、芸術と生活の分離というのは前述の「③批評的鑑賞」と同様に困難であり、創作者・評者のそれぞれの立場を取っても自己という存在に囚われ続けるため真に成立することはない。この点に、トニオそして漱石の決して前向きとは言えない文学における諦観があり、これこそが本書の主題だと思われるが、物語はトニオの手紙で唐突に終わってしまう。そのため彼の文学がその後どういった変化を遂げたのか描かれていないのが少々残念なところである。

といったことを考えながら、気晴らしにきーみーはー人のたーめーにー死ねるかー、君は...人のために死ねるか?あいつの名はトーマスマーン!!!!と歌ってみたらスッキリした。

以上

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