見出し画像

色川武大『うらおもて人生録』読書会 (2021.9.10)

2021.9.10に行った色川武大『うらおもて人生録』読書会のもようです。

メルマガ読者さんの感想文はこちら

私も書きました。

運を食いつぶしたことに今更気づく


サラリーマンを辞めて自営業をはじめたときに、色川武大氏の『うらおもて人生録』を繰り返し読み直した。

サラリーマン時代も読んではいたのだが、フリーランスになって、書いてあることの、本当の意味が、はじめてわかることが、何度もあった。

頭ではわかっていても、試行錯誤して迷った末でないと、わからない部分がある。

会社勤めは、楽なようでいて、己の荒ぶる主体性を己の手で抑えつけ、組織のために身を捧げないと浮かばれないところがどうしてもあるので、精神的にへずられるところがある。しかし、会社の看板で生きていけるというメリットがある。この会社の看板というのは大きい。世間の信用がある。

一方、フリーランスの辛さは、自分の存在を、世間に認めてもらわなければいけないことだ。
世間が認めてくれなければ、無職なのであり、単なるドロップアウトである。
自由気ままであるが、世間の冷たさを身にしみて感じる。

私は、三度も会社を辞めている。

どこも会社に不満があって辞めたのだが、今振り返ると、辞めるたびに、運を食い尽くして、ふりだしに戻ってしまっていることに気づいた。雇ってくれた人や期待してくれた上司や先輩の好意を、一方的に無にしている。そのことへの自覚が、あまりに、なさすぎた。要するに、人に不快感与えて、辞めているのに、自分から辞めてやった、と勘違いしていたのである。

だから、フリーランスになってからは、誰の好意もあてにできないゼロからのスタートになってしまった。
世間を舐めていたのである。その舐めていた分の報いというものは、充分味わったし、今も味わっている。

私が壁にぶち当たったとき、何度も読み返したのは、競輪選手の逃げの話(『嫁に行った晩』)や、普段からポイントをばらまいて、予め好意をもってもらうわないことには、人は動いてくれない(『八百長じみた贈り物』)の章である。

だから、今は、コンテンツをコツコツ作り、なるたけ毎日配信して、風よけの逃げをうちながら、ポイントをばらまくという行為を通じて、ネットの向こう側にいらっしゃる一人一人の視聴者さんと信頼関係を築いていく活動を、地道にやらざるをえない。

普通の真面目な社会人の皆さんは、学生時代から、一貫して、ポイントを貯めていて、しっかり家庭を築いたり、友人関係や仕事上の人間関係を、しっかり築いているのである。

私は、傲慢なところがあるので、会社辞めたり、何度も人間関係リセットして、高をくくって今の活動をはじめてしまった。
フリーランスになっって5年くらい、なんで思うようにうまくいかないのか、よくよく考えたのだが、すでに運を食いつぶしており、リカバリーするには10年は必要なことに、今更、気づいたのである。

こんなこと悟ったのが、不惑を越えた、最近になってなのである。
もう、手遅れかも知れんが、あと3年くらい、我慢せざるをえない。年季は10年だと思っている。

みっともない話なのだが、現在せいぜいできることは、20代で終えておくべきような、風よけになって逃げる理論やポイントばらまく理論を、心底信じて、もう一度、実践することだけなのである。


(おわり)

読書会のもようです。



お志有難うございます。