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2000年代初頭の渋谷。 今は無き東横線の高架下から俺のカフェ人生は始まった。 自分に…

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2000年代初頭の渋谷。 今は無き東横線の高架下から俺のカフェ人生は始まった。 自分にとってカフェは、まさにスタイルでありストリートカルチャーそのもの。 これからも日本の食文化をカッコ良く発信していく事が1軒のカフェ、そして自分の生きる道。

記事一覧

カフェのある人生 吉祥寺キッチンバトル編

今思えば、吉祥寺カフェ時代の話には始めからケチがついていたのかも知れない。 新宿三越時代から時は遡り、2003年のハナシだ。 渋谷SUSでの仕事ぶりが認められたのか、…

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10か月前
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カフェカルチャーとtattooのハナシ

結論から言うと、 俺にとってtattooとはファッションだ。 tattooを初めて彫ったのは確か25歳の時、 いわゆる社会人デビューだった。 俺は海外のtattooカルチャー、特にア…

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10か月前
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カフェのある人生 新宿ストリートライフ編

カフェ業界に入って3年程が過ぎたある日、突然上層部から言われた。 『お前さぁ、そろそろ店長やる?』 2005年頃のハナシだ。 そうして配属されたのが、今は無き新宿三…

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11か月前
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『COFFEEとHIPHOP』

『コーヒーと音楽はブラックに限る』 それがカフェ業界に20年、 コーヒー始めて10年目で辿り着いた 自分のスタイルだ。 初めてヒップホップという音楽を知ったのは 中学…

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11か月前
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カフェ飯こそディープカルチャーという話②

2002年、SUSの勤務初日。 深夜のキッチンスタッフとして採用された俺はLunch to goの扉を開けて再び衝撃を受ける。 そこにはtattooだらけでオーバーオールを着た、見るか…

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11か月前
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カフェ飯こそディープカルチャーという話①

渋谷SUSに限らず、あの頃の東京にはヤバいカフェが沢山あった。  中でも渋谷のディキシー、駒沢のバワリー、二子玉のドラフトキングが好きで良く通っていた。 当時のカ…

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11か月前
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COFFEEからのメッセージ

カフェのキャリアを積んで10年ほど経った時、東日本大震災を経験した。 当時は約400坪の某サービスエリアを丸々カフェにするという大きな新規プロジェクトの元、チーム一…

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11か月前
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カフェ人生のはじまり。

東京にアンダーグラウンドなカフェが溢れていた2000年代初頭。 渋谷の高架下にあったSUSから、俺のカフェ人生はスタートした。 そこは多様でオリジナルなスタイル、そし…

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11か月前
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カフェのある人生 吉祥寺キッチンバトル編

カフェのある人生 吉祥寺キッチンバトル編

今思えば、吉祥寺カフェ時代の話には始めからケチがついていたのかも知れない。

新宿三越時代から時は遡り、2003年のハナシだ。

渋谷SUSでの仕事ぶりが認められたのか、数ヶ月で社員として登用された俺は、いきなり新店舗のキッチンを任される事になった。

まぁ所謂、中途採用のヒラ社員だ。

渋谷SUS や高円寺のメンバーも合流して新チームを組み、吉祥寺のライブハウス『曼荼羅2』の上に作る新しいカフェ

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カフェカルチャーとtattooのハナシ

カフェカルチャーとtattooのハナシ

結論から言うと、
俺にとってtattooとはファッションだ。

tattooを初めて彫ったのは確か25歳の時、
いわゆる社会人デビューだった。

俺は海外のtattooカルチャー、特にアメリカ西海岸と、渋谷SUSの仲間達から強い影響を受けている。

高校時代からスケートビデオやミュージックビデオを見てtattooに憧れていた俺は、いつかtattooを彫りたいとずっと思っていた。

だが大枚叩いてt

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カフェのある人生 新宿ストリートライフ編

カフェのある人生 新宿ストリートライフ編

カフェ業界に入って3年程が過ぎたある日、突然上層部から言われた。

『お前さぁ、そろそろ店長やる?』

2005年頃のハナシだ。

そうして配属されたのが、今は無き新宿三越の2階にあった、オープンして1年ほどたったカフェだった。

とうとうやってきた、人生初の店長。

しかも新宿はMSCのフッドでもある。

俺はとにかく気合いが入っていた。

当時はまだまだ会社もベンチャーとして黎明期で、同じ屋号

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『COFFEEとHIPHOP』

『COFFEEとHIPHOP』

『コーヒーと音楽はブラックに限る』

それがカフェ業界に20年、
コーヒー始めて10年目で辿り着いた
自分のスタイルだ。

初めてヒップホップという音楽を知ったのは
中学の時に平塚のダイクマでゲットした
コンピCD『RAP100%』だった。

ソイツはNaughty by NatureやDe La Soul、A Tribe Called Questを始め、オールドからミッドスクールまで錚々たるアー

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カフェ飯こそディープカルチャーという話②

カフェ飯こそディープカルチャーという話②

2002年、SUSの勤務初日。

深夜のキッチンスタッフとして採用された俺はLunch to goの扉を開けて再び衝撃を受ける。

そこにはtattooだらけでオーバーオールを着た、見るからにヤンチャでドープな男が立っていた。

『誰?』『今日からお世話になる者です』

そんなやり取りの後、ソイツはニカっと笑って言った。

『ヨロシク!俺はこういう者だ』

そう言って見せてきた腕にはSMOKE T

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カフェ飯こそディープカルチャーという話①

カフェ飯こそディープカルチャーという話①

渋谷SUSに限らず、あの頃の東京にはヤバいカフェが沢山あった。 

中でも渋谷のディキシー、駒沢のバワリー、二子玉のドラフトキングが好きで良く通っていた。

当時のカフェブームは異常な程のvibesを持ち、
それぞれの個性が激しく火花を散らす様な熱気に満ち溢れていた。

もちろん俺の知らないヤバいカフェは、それこそ星の数程あったんだろう。

SUSに入る前の俺は、大学を中退して料理の道を志してみた

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COFFEEからのメッセージ

COFFEEからのメッセージ

カフェのキャリアを積んで10年ほど経った時、東日本大震災を経験した。

当時は約400坪の某サービスエリアを丸々カフェにするという大きな新規プロジェクトの元、チーム一丸で開業に向けてバタバタとしている最中の出来事だった。

テレビに映し出されるのは、地震と津波で壊されていく、そこに住む人々の営みの風景。

とても現実で起きている事とは思う事ができず、テレビ画面を見たまま、ただ唖然とするばかり。

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カフェ人生のはじまり。

カフェ人生のはじまり。

東京にアンダーグラウンドなカフェが溢れていた2000年代初頭。

渋谷の高架下にあったSUSから、俺のカフェ人生はスタートした。

そこは多様でオリジナルなスタイル、そしてストリートが混ざり合う、まさに渋谷のクロスカルチャーの発信基地の様な場所だった。

また当時はクラブとカフェの関係性が今よりもずっと近かった事もあり、音楽、ファッション、そして食文化が混ざり合い、とんでも無いパワーと、そこにしか

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