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カフェ飯こそディープカルチャーという話①

渋谷SUSに限らず、あの頃の東京にはヤバいカフェが沢山あった。 

中でも渋谷のディキシー、駒沢のバワリー、二子玉のドラフトキングが好きで良く通っていた。

当時のカフェブームは異常な程のvibesを持ち、
それぞれの個性が激しく火花を散らす様な熱気に満ち溢れていた。

もちろん俺の知らないヤバいカフェは、それこそ星の数程あったんだろう。

SUSに入る前の俺は、大学を中退して料理の道を志してみたものの、閉塞感のある料理人やシェフの世界には全く馴染む事が出来なかった。

料理の世界を離れ、三茶のカラオケ店で社員をして金を貯めた後、当時流行っていたバックパッカーの真似事の様な事をして海外から帰ってきた俺は、すっかりオープンマインドな外国のカフェ文化にかぶれていた。

要は狭苦しく感じていた日本の外食や喫茶店、カフェを心のどこかで馬鹿にしていた状態になっていた。

だって、カフェや喫茶店のメニューと言えば定番のアレコレって感じか、イタリアン崩れみたいなモノしか当時は知らなかったし、
プロとして料理をかじっていたその頃の俺には全く響くものでも、時間と金をかけて食べたい物でも無かったんだ。

だけどある一軒のカフェが、そんな俺の価値観を大きく変えてくれた。

それは高円寺にあった『マーブル』

当時の彼女がしつこく薦めてくるから『しょうがねぇなー』位の気持ちで行ったそのカフェで、俺は崩れ落ちる程の衝撃を受けた。

『なんて自由で自然で美味いんだ!』って。

洋食でもあり、和食でもあり、アジアンでもあり、そのどれでも無い。

その店が自信を持って美味い!と思う料理が、何の制限にもルールにも囚われずに作られていた。

誰に評価される事も気にしない、そのストロングな姿勢に俺はすっかり舌と心を奪われてしまった。

家に帰った後も『この店で働きたい!』と強く思った俺は、翌日すぐに行動に移した。

だが当時はまだインターネットもあまり普及しておらず、求人は基本的に雑誌か店頭のみ。

ならば!と意を決した俺はビーチクルーザーを颯爽と飛ばし、意気込みだけを持ってマーブルに向かった。

その日がマーブルの定休日とも知らずに。

すっかり気持ちと勢いを削がれた俺は、
暇を潰そうと坂道を下り、高円寺駅に向かった。

その時に目に飛び込んで来たのが米屋の倉庫をリノベーションしたカフェ、
オープンしたばかりのPlanet 3rdだった。

本当にカフェブームなんだなと思いながらも、何となく入ったそのカフェで俺は再び衝撃を受ける事になる。

『なんて自由で自然でカッコ良い店なんだ!』って。

再び意を決した俺は、マーブルの事もどこへやら、何とかそのカフェの運営会社を調べ上げ、電話越しに意気込みをぶつけまくった。

すると数日後、その会社から折り返しの電話があった。

『高円寺はオープンしたばかりで人が足りてるけど、渋谷の店舗に欠員が出たから良かったら面接する』

こうして俺はSUSに入り、カフェの世界へと足を踏み入れる事になったんだ。

②へ続く。




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