記事一覧
渡辺義治さんの演劇活動について
デジタル版の朝日新聞に渡辺義治さんの演劇活動についての記事が掲載されました。自分は渡辺さんの2006年の作品『地獄のDECEMBERー哀しみの南京』のことを『シアターアーツ』の2009年夏号の演劇時評で取り上げたことがあります。もう入手がむずかしい雑誌かと思いますので、該当部分を下に再掲いたします。
(以下、転載)
IMAGINE21という劇団を主宰する渡辺義治もまた、自分が「日本兵であっ
東京乾電池『ヂアロオグ・プランタニエ』(2008年12月)
先日、下北沢のアトリエ乾電池で上演された東京乾電池の『ヂアロオグ・プランタニエ』がとても面白かったので、この劇団が13年前に新宿ゴールデン街劇場で同作を上演したときに書いた拙文をアップしておく。『シアターアーツ』38号に寄せた劇評の一部に少し加筆したものだ。今回の柄本明の演出は、13年前の上演とは大きく異なっているが、意外なことに観劇後の印象はさほど変わらない。どちらも台詞がよく聞こえてくる中身
もっとみる別役実の描く二人組についてのノート
別役実が亡くなって、この3月で1年になる。没後に刊行された『悲劇喜劇』や『ユリイカ』の追悼号所載の年譜を見ていると、登場するのが男二人だけの戯曲で劇作を始めた別役が、絶筆でも二人組の男を主人公に据えているのが興味深い。別役がベケットを、それも『ゴドーを待ちながら』を強く意識していたことはひろく知られている。ウラジミールとエストラゴンに相当する男二人が、彼の戯曲に頻繁に登場したとしても、べつに不思
もっとみる存在と不在:デイヴィッド・グレッグの『蜂』
スコットランド国立劇場が5月末から、『生き抜くための場面集』(Scenes for Survival)と銘打って、サイトに短編動画を定期的にアップしている。すべて新型コロナウイルスの感染拡大により活動の場を失ってしまったスコットランドの演劇人が、きびしいロックダウン生活下で撮影した映像作品である。この原稿を執筆している時点では、およそ20編の動画が視聴可能だが、最終的には50編以上が公開されるそ
もっとみる疫病を主題にした音楽劇:マーク・レイヴンヒル『十の災い』
ここ数週間、政府の外出自粛要請に従って、1日に1回散歩に出かけるほかは蟄居を続けている。酒量が大幅に減った。家では週に1度、ビールの中瓶を1本空ける程度だ。自分は酒そのものよりも酒場に出かけるのが好きだったのだろう。また、いま国内外の多くの劇場が過去の秀作の動画を無料で配信しているが、ほとんど見ていない。パソコンのモニターの前では、どうも腰を落ち着けていられないのである。思っていた以上に、劇場で
もっとみるデイヴィッド・グレッグ脚色『鳥が鳴き止む時』について
パレスチナの作家ラジャ・シャハデ(Raja Shehadeh)の When the Bulbul Stopped Singing が、『鳥が鳴き止む時-占領下のラッマラー』という邦題で近々舞台にかかることになった。作者シャハデも、彼の作品も日本ではよく知られているとは言いがたい。自分はアラブ文学や中東情勢の専門家ではないが、たまたま本作の初演をイギリスで目にしている。おぼろげな記憶を頼りに、作品
もっとみるデイヴィッド・グレッグ『あの出来事』のためのノート5
デイヴィッド・グレッグは、2001年にパレスチナを訪れている。現地の青少年を対象とした劇作ワークショップを開催するためだ。なかには演劇をこれまで一度も観たことがないという参加者も含まれていたため、グレッグは地元の関係者になにか作品を舞台にかけてくれるよう頼んだ。たしかに、まったく演劇について知識のない子どもに戯曲が書けるわけがない。グレッグの依頼は至極当然である。しかし、当時の情勢では実現が容易
もっとみるデイヴィッド・グレッグ『あの出来事』のためのノート4
デイヴィッド・グレッグは、2003年に『ノルウェー人だから』(Being Norwegian)という短編戯曲を発表している。もともとはラジオドラマとして書かれたのであろう。上演記録を見ると、10月にエディンバラのトラヴァース劇場で公開録音され、12月にBBCラジオで放送されている。舞台作品としての初演は、4年後の2007年のことである。グラスゴーのオーラン・モア劇場(Oran Mor)の「プレイ
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