『芥川龍之介俳句集』(岩波文庫)を読む会1

 昨年、岩波文庫の『久保田万太郎俳句集』を読む会(123)を開催したのに続き、今年は『芥川龍之介俳句集』(正式な書名は『芥川竜之介俳句集』ですが、自分はこの表記にちょっと違和感があるので「龍之介」と書くことにします)を読む会を開くことにしました。参加者は久保田万太郎を読む会と同じ顔ぶれです。1月8日に開催した第1回の様子を遅くなりましたがまとめておきます。今回は1901年(明治34年)から1918年(大正7年)までの441句から、各自が気に入った10句を選び、選評を述べるというかたちで進めました(ちなみに芥川は1892年生まれです)。☆は2名、★は3名の選が重なった句です。

 まずAさんの選です。句の後ろの括弧内の数字は、文庫の句の通し番号を示します。

湯上りの庭下駄軽し夏の月 (4)
葡萄噛んで秋風の歌を作らばや (16)☆
灰に書く女名前も火鉢かな (51)
春寒むや御関所破り女なる (105)
木枯や東京の日のありどころ (174)★
凩や目刺に残る海の色 (175)
傾城の蹠白き絵踏かな (310)☆
老骨をばさと包むや革羽織 (360)
飯食ひにござれ田端は梅の花 (376)
睫きもせぬに鬼気あり菊人形 (435)

 「夏の月」の句は1906年、芥川が14歳のときの作です。とくに目立ったところのない句ですが、逆に14歳にして、このように悪目立ちをしない句を詠めたことに感心します。初学のうちは、余計な言葉を足したくなるものですから。
 「葡萄」の句は、Cさんと選が重なりました。「葡萄」と「秋風」で季語が重なり、六八六の字余りの句ですが、おふたりとも「葡萄食べて」ではなく「噛んで」と表現しているところに俳味を感じたとのことです。
 「火鉢」の句は1916年の作です。この年、芥川は『新思潮』に発表した「鼻」が漱石に激賞され、新進作家として歩み出しました。物語性の強さが印象的な句です。
 「春寒」の句からは、「入り鉄砲に出女」という江戸時代の言葉が想起されます。これもまた物語性の強い句です。
 「木枯」の句を三人が選びました。<青蛙おのれもペンキぬりたてか>のような有名句はかえって選びにくいので(実際、誰も選んでいません)、この句のようにほどほどに知られた句に選が集まったのかもしれません。蕪村の<凧きのふの空のありどころ>を上手くふまえた句だと思います。日本文学研究者のBさんから、この句が詠まれたとき(1917年)、芥川は横須賀の海軍機関学校の教官を務めていて鎌倉に下宿していたことを忘れない方がいいとの指摘がありました。鎌倉から「東京の日」を見ているのです。
 次の「凩」の句も、比較的よく知られた句です。「凩」と「目刺」の乾いた感触と「海」との対比の鮮やかさが目を引きます。両句とも上五を「や」で切り、体言で止める端正な句形も印象的です。
 「絵踏」の句は、谷岡と選が重なりました。江戸時代、長崎では春に絵踏が行なわれたそうですが、その様子を芥川はさも見てきたかのように詠んでいます。この年(1918年)、芥川は「奉教人の死」を発表しています。
 「革羽織」の句は、「ばさと」という擬態語が効いています。気骨のある老人の姿が見えてきます。
 「梅」の句は、田端に新居を構えることとなったときの句でしょうか。漱石の木曜会にならって、芥川は日曜日を面会日とし、多くの文士を家に招き入れたそうです。
 「菊人形」の句は、目の付けどころがユニークです。人形がまばたきをしないのは当たり前ですが、芥川はそこに「鬼気」を見ています。

 続いてBさんの選です。

魚の眼を箸でつつくや冴返る (104)
沢蟹の吐く泡消えて明け易き (108)
牡丹切つて阿嬌の罪をゆるされし (111)
われとわが睫毛見てあり暮るる春 (125)
湘南の梅花我詩を待つを如何せむ (128)
園竹のざわと地を掃く野分かな (155)
花あかり人のみ暮るる山路かな (273)
胸中の凩咳となりにけり (353)☆
引き鶴や餓鬼先生の眼ン寒し (370)
孟竹の一竿高し秋動く (431)

  「冴返る」の句は、同じ春の寒さでも客観的な「余寒」ではなく主観の入った季語を配したことが奏功しています。「魚の眼を箸でつつく」という平凡な食事の風景を、作者は非情な行為として見ているようです。
 「明け易き」の句は季重なり(「沢蟹」)ですが、沢蟹の吐く泡の儚さと夏の夜の(夢の)短さがよく照応しています。
 「牡丹」の句は、芥川の小説を彷彿とさせる物語性の強い句です。親友の井川恭宛ての書簡に記された句としか、作句の背景は調べられませんでしたが、まるで武士が牡丹を刀で斬ることをもって、身近な女性が犯した罪を許したかのような光景が目に浮かびます。
 「春の暮」の句については、「われとわが睫毛」を見ている主体は作者と解釈しました。この自意識の強さがいかにも芥川らしく思えるからですが、女性が鏡を覗き込んでいるところを詠んだ句とも解釈できそうです。
 「梅花」の句は鎌倉で詠まれた句でしょう。この句にもまた、自分の詩作行為を俳句の材料にする強い自意識が窺えます。
 「野分」の句は、衒いのない写生句です。中七の「ざわと地を掃く」という措辞が、鮮やかに強風を描写しています。
 「花あかり」の句も、とくにひねったところのない端正な句です。中村草田男は芥川の俳句について、高浜虚子の選を仰ぐようになった1917年からのわずか3年の間で「既に一応の完成に達していると評していい」と書いていますが、この1918年の句からもそうした印象を受けます。
 「咳」の句は谷岡と選が重なりました。咳を「胸中の凩」と見立てるところに芥川の才気を感じます。
 「引き鶴」の句にも自意識が強く出ています。自分のことを「我鬼先生」と少し諧謔味も入れて詠みつつも、やはり自分を離れられない芥川です。
 自分の手許には「秋動く」を季語として立項している歳時記はないので、芥川独自の表現でしょうか。竹のそよぎに、秋という季節そのものが動き、深まってゆくさまを見ているのでしょう。

 続いてCさんの選です。

水松つみし馬の尿や砂の秋 (13)
葡萄噛んで秋風の歌を作らばや (16)☆
花火より遠き人ありと思ひけり (59)
人妻となりて三とせや衣更へ (73)☆
蛇女みごもる雨や合歓の花 (96)
たそがるる菊の白さや遠き人 (119)
山藤や硫黄商ふ山の小屋 (135)
木枯や東京の日のありどころ (174)★
大寺は今日陽炎に棟上げぬ (187)
水槽に寒天浮いて夕さりぬ (237)

 AさんとBさんの選と重なっている「葡萄」「木枯」の句については省略します。
 「秋」の句では、和歌や謡曲で「見る」の掛詞としてよく用いられる水松(みる)が面白く詠まれています。馬の背中に積まれた海藻から海水がぽたぽたと零れているところへ、さらに馬の放尿が始まります。臨場感のある句です。
 「花火」を詠もうとすると、西東三鬼の<暗く暑く大群衆と花火待つ>のように、おのずと人込みの騒々しさが連想されるのですが、芥川のこの句には寂寥感が漂っています。この「遠き人」は故人かもしれません。
 「衣更へ」の句は谷岡と選が重なりました。蕪村の<御手討の夫婦なりしを更衣>がふまえられているのではないでしょうか。物語性の強い句です。  
 「合歓の花」の句は芭蕉の<象潟や雨に西施がねぶの花>をふまえているのでしょう。芭蕉の句では西施の美しさが詠まれていますが、芥川は国を滅ぼす要因となった彼女を「蛇女」に重ねています。
 「菊」の句にもまた「遠き人」が出てきます。菊は供花によく使われますから、ここでも死のイメージが漂います。
 「山藤」の句は登山に出かけでもしたときの嘱目句でしょうか。「山藤」の紫、硫黄の「黄」と色彩が鮮やかな句です。
 「陽炎」の句は、情景の切り取り方が巧みな句です。いま棟上げが行なわれている大寺のお堂が陽炎でゆらめいています。棟上げのときからすでに倒壊が予見されているようで、建築という人間の営為の儚さが感じられます。 「寒天」の句は、天草から寒天を造る作業を詠んだ句でしょう。寒々とした冬の夕景が目に浮かびます。

  最後に谷岡の選です。

水さつと抜手ついついつーいつい (2)
水暗し花火やむ夜の人力車 (43)
蝙蝠に一つ火くらし羅生門 (70)
人妻となりて三とせや衣更へ (73)☆
雲飛んで砧せはしき夜となりぬ (150)
木枯や東京の日のありどころ (174)★
足の裏見えて僧都の昼寝かな (218)
曇天に圧されて咲ける牡丹かな (236)
傾城の蹠白き絵踏かな (310)☆
胸中の凩咳となりにけり (353)☆

 他の方と選の重なった句については省きます。
 文庫の巻末の出典一覧によると、「抜手」の句には「倣惟然坊」との註記が付されているそうで、作句に際して14歳の芥川が惟然の<水鳥やむかふの岸へつういつうい>をふまえていたのは明らかです。芥川の早熟ぶりと器用さに驚きました。
 「花火」の句にはフランス語で fragment de la vie という前書が付いています。ちなみに芥川は1920年発表の「舞踏会」に登場するフランス人に「私は花火の事を考えていたのです。我々の生(vie)のような花火の事を」と言わせています。
 「蝙蝠」の句は、下五の「羅生門」という固有名詞に抗しがたい魅力を覚えます。この句が詠まれる前年の1915年の『帝国文学』に小説「羅生門」が掲載されました。 
 「砧」の句は1917年の作ですが、この時期でも都会ではもう砧の音を耳にするのはまれになっていたのではないでしょうか。回想か空想かはわかりませんが、しっとりとした情感のある景色を描き出しています。
 「昼寝」の句の「僧都」という言葉遣いから、芥川のいわゆる「王朝物」の小説を想起しました。
 「牡丹」の句については、「曇天に圧されて」という措辞に惹かれました。この重みに耐えられる花は牡丹しかないように思います。

 今回、芥川龍之介の俳句を読んでみて、専門俳人の句集を読むのとは違った面白さを感じました。彼の多彩な小説世界への連想が働くからでしょう。さらに続けて、彼の俳句を読んでいきたいと思います。

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