『芥川龍之介俳句集』(岩波文庫)を読む会2

 岩波文庫の『芥川龍之介俳句集』を読む会の記録です。5月7日に開催したのですが、まとめが遅くなりました。前回、1918年の句まで読みましたので、今回は1919年から1922年までの421句を取り上げました。各人が自分の気に入った句を10句選び、その選評を述べるというかたちで進めています。参加者は前回と同じです。
 まずはAさんの選です。句の後ろの括弧内の数字は、文庫に記されている句の通し番号を示します。☆は他の参加者と選が重なった句です。

世の中は箱に入れたり傀儡師 (443)☆
遠火事の覚束なさや花曇り (456)
主人拙を守る十年つくね藷 (560)
木犀や夕じめりたる石だたみ (678)
燃えのこるあはれは榾の木の葉かな (685)☆
クーリーの背中の赤十字に雨ふる (742)
五月雨や玉菜買ひ去る人暗し (767)
象の腹くぐりぬけても日永かな (823)☆
葛水やコツプを出づる匙の丈 (829)
茶の色も澄めば夜寒の一人かな (855)

 「傀儡師」の句は谷岡と選が重なりました。1919年の作です。さすがに当時もう東京で正月に傀儡師の門付けを見る機会はなかったでしょう。この年の1月、芥川は同名の短編集を刊行しています。いま芥川の短編は「王朝物」「開化物」といった具合にジャンルごとにまとめて本になっていることが多いですが、芥川自身はなるべく多彩な作品が一冊に収録されるよう工夫していました。まさに「世の中を箱に入れ」ようとしていたわけです。
 「花曇り」の句は、芥川にしてはあっさり詠まれた句です。「覚束なき」「遠火事」と季語との距離の頃合いがよいように思います。
 「つくね藷」の句は、夏目漱石の〈木瓜咲くや漱石拙を守るべく〉をふまえているのでしょう。文学上の師への芥川の敬意が感じられます。
 「木犀」の句は1920年の作です。「夕じめり」「石だたみ」など、漢字を使わずに平仮名に開いた表記が醸す柔らかさが目を引きます。
 「榾」の句は谷岡と選が重なりました。俳句で「あはれ」のような心情を直截に表す言葉を用いると失敗することが多いですが、この句は嫌味がありません。久保田万太郎の〈たかだかとあはれは三の酉の月〉が頭をよぎります。
 「クーリー」の句は1921年の作です。この年、芥川は大阪毎日新聞社の海外視察員として中国旅行に出かけており、岩波の『俳句集』の690番から742番にかけて海外詠がたくさん並んでいます。無季自由律の句ですが、芥川が意図してそう作ったのか、旅先で頭に浮かんだ初案をとりあえず句帳に書きとめておいただけなのか判断がつきかねました。ただ、いずれにせよ、リズムの面白い句です。
 「五月雨」の句の「暗し」を、Aさんはキャベツを買った人の心理描写と解釈しました。たしかに、たんに梅雨時の町の様子の形容と見るよりも、句の物語性が強まるようです。
 「日永」の句は、Cさんと選が重なりました。「象の腹くぐりぬけても」という突飛な措辞はどのようにして得られたのかわかりませんが、「日永」と取り合わされることで駘蕩とした雰囲気を醸し出しているように感じます。
 芥川はいくつか「葛水」の句を詠んでいますが、Aさんはこの句を選びました。形が端正ですし、余計な主観が入っていない句です。
 「夜寒」の句は、中七の「澄めば」が効いています。秋の夜が深まっていき、ひとり机に向かって執筆する芥川の寂しげな後ろ姿が目に浮かぶようです。

 続いてBさんの選です。

三日月や二匹つれたる河太郎 (638)☆
烏瓜とどけずじまひ師走かな (658)
山畠や日の向き向きに葱起くる (688)
海原や江戸の空なる花曇り (691)
月の夜の落栗拾ひ尽しけり (716)☆
元日や手を洗ひ居る夕心 (718)
草の家の柱半ばに春日かな (761)
ひと籠の暑さ照りけり巴旦杏 (764)
かげろふや猫にのまるる水たまり (820)
雨に暮るる軒端の糸瓜ありやなし (854)

 「三日月」の句は谷岡と選が重なりました。河童を詠んだ芥川の句を無視するわけにはいきません。この年(1920年)の4月には長男の比呂志が生まれていますから、妻と子の「二匹」を連れている河太郎は芥川自身かもしれません。
 「師走」の句には「歳末青蓋翁へお歳暮一句」という前書があります。この青蓋翁については、荻原井泉水の「層雲」系の俳人である平野多賀治だと、Bさん自身が調べてくれました。「烏瓜」を贈ることはできず、ただ俳句だけをお歳暮にしたというのもユーモラスです。また、「層雲」系の俳人との交流があったことは、上に述べた芥川自身の無季自由律の句の解釈のヒントにもなりそうです。
 「葱」の句は素直な叙景句です。中七の「向き向き」という言葉遣いは、芥川にしては拙く見えます。ただ、芥川は〈桐の葉は枝の向き向き枯れにけり〉(769)という句も作っています。
 「花曇り」の句もまた1920年の中国旅行の折の句です。「留別」という前書があります。芥川は生まれ育った「江戸の空」を船上から感慨深く見ていたことでしょう。
 「落栗」の句は谷岡と選が重なりました。前書に「井月の句集成る」とあり、幕末から明治にかけての俳人、井上井月の〈落栗の座を定めるや窪溜り〉をふまえているのは明らかです。芥川は主治医の下島勲(俳号:空谷)を通して井月の句業を知り、句集の刊行に力を尽くしました。散逸していた井月の句を「拾ひ尽し」た感慨が詠まれています。
 「元日」の句は、他の誰とも選が重ならなかったのが不思議です。あまりによく知られた名句なので、あえて選ばなかったのでしょう。元日の夕方の情景をみごとに捉えた句です。たいていの歳時記には〈元日や手を洗ひをる夕ごころ〉の形で採録されています。
 「春日」の句には「一游亭来る」との前書が付いています。一游亭とは、画家で俳人でもあった小穴隆一のことです。この句では芥川も画家のような目で写生に徹しています。ちなみに芥川は子どもたちに宛てた遺書に「小穴隆一を父と思へ」と記しています。
 「巴旦杏」の句は、籠に盛られた巴旦杏の様子を「暑さが照っている」と捉えて表現した感覚が非凡です。
 「かげろふ」の句に描かれているのは、猫が水たまりの水を飲んでいるだけのことなのですが、季語に「かげろふ」を配し、「水たまりの水が飲まれる」と主客を逆転させたことで、どこか幻想的な情景が出来しました。
 「糸瓜」の句の前書には「子規忌」とあります。亡くなる直前の子規の頭にあった「糸瓜」を、芥川も雨の伝う軒端に見ようと目を凝らしています。

 続いてCさんの選です。

夏山や幾重かさなる夕明り (513)
夕立や土間にとりこむ大万燈 (553)
春の夜や小暗き風呂に沈み居る (613)
時雨るるや層々暗き十二階 (644)☆
雪竹や下を覗けば暮るる川 (652)
春に入る柳行李の青みかな (690)
家鴨真白に倚る石垣の乾き (714)
時雨るるや犬の来てねる炭俵 (817)
象の腹くぐりぬけても日永かな (823)☆
びいどろに葛水ともし匙のたけ (839)

 「夏山」の句で、芥川は大景を詠んでいます。「幾重」と「かさなる」で字が重複してしまうのが気になったのか、〈夏山やいくつ重なる夕明り〉という句も残しています。このような表現の細部へのこだわりが芥川らしいと思えます。
 「夕立」の句も、芥川らしい端正な姿の句です(芥川は上五に季語を置いて「や」で切り、句末を体言止めにすることを好みます)。急に降り出した雨に、あわてて大万燈を取り込む様子が見えてきます。
 「春の夜」の句には「酒間運坐あり」との前書があります。酒席の余興として詠まれた句でしょう。「春の夜」という題から、「小暗き風呂に沈み居る」自分を想像する芥川が面白く感じます。
 谷岡と選が重なった「時雨」の句は、浅草の凌雲閣を詠んだ句です。1920年の作ですから、この3年後には震災で倒壊してしまいます。「層々暗き」が悲運を暗示しているかのようです。
 「雪竹」の句は、静謐ながら動きを感じさせる句です。雪の重さで撓っている竹が、雪を振り落として真っ直ぐに戻る。そのとき、ふと下を覗けば川が流れている。一句の中で視点が上下に移動します。
 「春に入る」の句も1920年の中国旅行の句で、「旅立たんとして」という前書があります。まだ新しい柳行李なのでしょう。行李の「青み」に、春の到来と旅への出発に浮き立つ気分が出ています。
 「家鴨」の句も同じく中国での旅吟です。独特のリズムが印象的な句ですが、定型で詠むときでさえ句の姿を整えるのに腐心していた芥川が、このような無季自由律の句を残していることに戸惑いも覚えます。
 「時雨」の句には「閑庭」という前書があり、嘱目吟のように見えますが、「時雨」と「炭俵」を取り合わせれば、芥川の敬愛する芭蕉を想起せざるをえません。中七に「犬」が出てくるのは、「猿蓑」の猿からの連想のようにも思えます。
 「日永」の句についてはすでに述べました。
 「葛水」の句は、Aさんの選んだ829番の句と似たような情景を詠んでいますが、こちらは「びいどろ」に「ともす」と少々主観的な表現になっています。

 最後に谷岡の選です。

世の中は箱に入れたり傀儡師 (443)☆
夜桜や新内待てば散りかかる (455)
べたべたと牡丹散り居り土の艶 (498)
曇天の水動かずよ芹の中 (602)
三日月や二匹つれたる河太郎 (638)☆
時雨るるや層々暗き十二階 (644)☆
黒船の噂も知らず薄荷摘み (667)
燃えのこるあはれは榾の木の葉かな (685)☆
月の夜の落栗拾ひ尽しけり (716)☆
つるぎ葉に花のおさるるあやめかな (842)

 すでに他の方の選でふれた句については省きます。
 「夜桜」の句は、新内流しと取り合わせたところに惹かれました。江戸の町人文化になじみが深い芥川らしい句だと思います。
 「牡丹」の句は、上五の「べたべたと」という擬態語が的確です。土に散り敷く牡丹の花びらを油彩で描いたような感じがします。水原秋櫻子の〈べたべたに田も菜の花も照りみだる〉を想起しました。
 「芹」の句には「即席の句」という前書があります。見たままの景色を詠んだ句でしょうが、その計らいのなさがかえって春の物憂い気分を伝えています。
 「薄荷摘み」の句に、芥川は「文壇の近事を知らず」との前書を付けています。細やかな気配りをする芥川が「文壇の近事を知ら」ないはずがないとも思いますが、それを「黒船」まで持ち出して、ちょっとした物語に仕立てる手つきに芥川の才覚を感じました。ちなみに、「薄荷摘み」を詠んだ句はあまり見かけませんが、夏の季語で、収録されている季語数の多いことで知られる角川の『季寄せ』はこの句を例句に挙げています(「薄荷刈」で立項)。
 「あやめ」の句は、細やかな観察眼が光る句です。葉の先が花に当たっている様子を「おさるる」と捉えたところが出色です。

 以上、4人の選をまとめました。ここまで芥川の俳句を読んできて感じたのは、彼の実人生が意外と見えてこないことです。久保田万太郎は、小説や戯曲には書けない自分の心情を俳句に吐露していましたが、芥川は俳句でも虚構を組み立てている印象を受けます。もちろん、晩年の作品では事情が変わるのかもしれません。次回が楽しみです。

 


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