デイヴィッド・グレッグ脚色『鳥が鳴き止む時』について

 パレスチナの作家ラジャ・シャハデ(Raja Shehadeh)の When the Bulbul Stopped Singing が、『鳥が鳴き止む時-占領下のラッマラー』という邦題で近々舞台にかかることになった。作者シャハデも、彼の作品も日本ではよく知られているとは言いがたい。自分はアラブ文学や中東情勢の専門家ではないが、たまたま本作の初演をイギリスで目にしている。おぼろげな記憶を頼りに、作品の成立事情や舞台の印象を記しておけば、少しはみなさまの観劇の手助けになるかもしれないと思い、筆を執ってみることにした。
 シャハデは作家であると同時に有能な弁護士だ。1990年代初頭のイスラエルとの和平交渉には一時、法律顧問としてパレスチナの代表団に加わっていたこともある。しかし、交渉が真の和平にはつながりそうもない方向へと進んでいることに失望して、代表団から外れる。実際、彼が危惧したとおり、オスロ合意のもとではイスラエルとパレスチナの関係は改善せず、2000年から第2次インティファーダが始まった。イスラエル軍はその報復として、2002年3月末にラッマラーに侵攻する。『鳥が鳴き止む時』は、約1ヵ月にわたってイスラエル軍に占領されたラッマラーでシャハデがつけていた日記で、翌2003年に出版された。
 日記は侵攻の前日から始まる。イスラエルとの緊張が高まり、ラッマラーから外国人が避難し始めているとの知らせを聞いたシャハデは、あわてて買物に出かける。占領下では自由に外出ができなくなることを見越し、前もって食料品を買いこんでおくためだ――ちょうど、われわれが近づく台風に備えて非常食の用意をするように。もちろん、イスラエル軍の侵攻に対する備えは、台風の接近とは同じではない。シャハデは、必要な加筆の済んでいる原稿を急いで出版社にメールで送信する。送電線が切断されたり、道路が封鎖されたりして外部との連絡手段が確保できなくなることを恐れたからだけではない。イスラエル軍兵士が家宅捜査と称して部屋まで上がりこんできた場合、パソコンなどの電子機器は残らず破壊されてしまいがちだからである。さらに彼は、ガレージに置いてある化学肥料や殺虫剤が兵士に見つかったら、爆弾を製造していると疑われるのではないかとまで心配する。
 このように、シャハデは占領下の日常を日記に克明に書きつけてゆく。パレスチナ情勢に関する報道は日本でもけっして少なくはない。だが、イスラエル軍の砲撃や爆撃を受けて瓦礫と化した自宅を前に呆然と立ちつくす人びとの映像ばかり見せられていては、想像力が硬直化してしまうだろう。「憐れむべき被害者」という画一化されたイメージ以上のものがマスメディアのニュースを通して伝わってくることはあまりない。占領によって、それまでのどのような生活がどのように奪われていくかを、シャハデの文章は抑制された筆致を保持しつつも生々しく読者に突きつけてくるのである。
 本書の舞台版は、出版の翌年のエディンバラ・フェスティヴァルで初演された。脚色を担当したのは、スコットランドの劇作家デイヴィッド・グレッグである。グレッグは2001年にパレスチナで青少年向けの演劇ワークショップを実施しており、アルカサバ・シアターのジョージ・イブラハムら現地の演劇人とも親交がある。シャハデの日記の脚色には最適任者であろう。彼は、日記の内容を俳優が観客に向かって直接、語りかけるという形式のひとり芝居に仕立て上げた。演出には当時、トラヴァース劇場の芸術監督を務めていたフィリップ・ハワードが当たっている。
 もう15年以上も前に1度だけ観た舞台なので、細かな内容については、外出を禁じられた主人公が運動不足の解消のため室内をぐるぐる歩いて回る場面があったことぐらいしか明瞭には思い出せない。ただ、彼のそうした不自由な境遇に観客の同情を誘うというよりは、占領という理不尽な行為への異議を共有する作品だったように思う。文学座の新進気鋭の演出家である生田みゆきが、本作をどのように日本人観客に提示するか楽しみでならない。

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