デイヴィッド・グレッグ『あの出来事』のためのノート5

 デイヴィッド・グレッグは、2001年にパレスチナを訪れている。現地の青少年を対象とした劇作ワークショップを開催するためだ。なかには演劇をこれまで一度も観たことがないという参加者も含まれていたため、グレッグは地元の関係者になにか作品を舞台にかけてくれるよう頼んだ。たしかに、まったく演劇について知識のない子どもに戯曲が書けるわけがない。グレッグの依頼は至極当然である。しかし、当時の情勢では実現が容易でない注文でもあった。イスラエル軍のパレスチナへの攻撃が強まり、すでに劇場にも砲弾が撃ち込まれていたからである。
 いつまた砲撃を受けるかわからない劇場で、グレッグたちは観劇することとなった。床には瓦礫が散乱し、屋根の一部は崩落している。壁は弾痕で穴だらけだ。もちろん、電気が使えるはずがない。舞台の周囲に蝋燭を並べて、照明器具の代わりにしていた。このように、とても万全とは言えない条件下で上演された俳優のモノローグに、グレッグは自分の演劇観が変わるほどの深い感銘を受けたという。
 アラビア語での上演だったから、グレッグはモノローグの内容そのものに感心したわけではない。俳優の素晴らしい演技に圧倒されたのでもないという。グレッグの胸を打ったのは、いまにも砲弾が飛び込んでくるかもしれないという緊迫した状況にいるにもかかわらず、ひとたび俳優が舞台で台詞を語り始めると、観客がみな物語に没入していったことだった。これは必ずしも現実逃避ではない。いまいる場所とは別の世界をリアルに想像してみることこそが、現状を批判し、変革してゆく端緒となるからだ。
 1980年代、当時のイギリスの首相マーガレット・サッチャーは、新自由主義政策を推し進めるにあたって「この道しかない(There Is No Alternative)」というキャッチフレーズを好んで用いた。市場経済よりも優れたシステムは存在しないのだから、社会の隅々にまで自由競争を導入しなければならないというわけである。一方、こうした規制緩和や民営化の趨勢に対抗しようとする陣営が掲げたのは、「もうひとつの世界は可能だ(Another World Is Possible )」というスローガンだ。なにも市場経済だけが選択肢ではない。競争とはちがった理念に基づく社会もありうるだろう。強者が押しつけてくる「この道」という現状に対して、「もうひとつの世界」を提示する。パレスチナの半壊した劇場でグレッグが目にしていたのは、こうした営為であった。
 ここまで記してきたことは、ノルウェーのウトヤ島での銃乱射事件を題材にした『あの出来事』を読み解くうえでも有益な補助線となるはずだ。劇が始まってすぐ、政府の多文化主義に不満を持ち、世界に足跡を残せるような大事件を起こしたがっている少年はこう自問する。「芸術か暴力か。どっちを選ぶ」。少年が選ぶのは後者だ。彼は銃を入手して凶行に及ぶ。一見すると、彼は想像を絶することをしでかしたように見えるが、はたしてほんとうにそうだろうか。自分が指導している合唱団のメンバーが撃たれるのを目撃したクレアはまるで映画のようだと思い、当の少年自身の目にも自分の行為は「安っぽいドラマに見えてくる」。少年の暴力が現出させた光景は、実はこの世界で容易に想像がつく範囲を一歩も出ておらず、「もうひとつの世界」には程遠いのである。
 暴力に訴えた少年に対して、劇作家グレッグは言うまでもなく芸術の方を選択する。彼が試みるのは、クレアや合唱団の台詞を通して、観客の目に「もうひとつの世界」を垣間見せることである。少年が銃口をクレアに向けたとき、合唱団はひとしきり霊長類の生態についての説明を始める。もし、人間という種が、攻撃的なチンパンジーのようにではなく、融和的なボノボのように振舞う動物であったならば、このふたりの間になにが起こっただろうかと問いかけてくるのである。その答えは、直後のクレアの台詞によって示される。この一連のシークエンスはきっと、岸辺に近づいてくる外国の船を排斥ではなく歓待する「もうひとつの世界」の有りようへとも観客の想像をいざなってくれるにちがいない。


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