渡辺義治さんの演劇活動について

 デジタル版の朝日新聞に渡辺義治さんの演劇活動についての記事が掲載されました。自分は渡辺さんの2006年の作品『地獄のDECEMBERー哀しみの南京』のことを『シアターアーツ』の2009年夏号の演劇時評で取り上げたことがあります。もう入手がむずかしい雑誌かと思いますので、該当部分を下に再掲いたします。

(以下、転載)

 IMAGINE21という劇団を主宰する渡辺義治もまた、自分が「日本兵であった父の子ども」であることを背負い、その事実と向き合い続けている演劇人である。渡辺の父親は、一九三四年に「満州国軍」に志願して入隊し、満州各地で抗日運動をしている中国人を捕えては殺害していた。そのため、戦後、GHQにC級戦犯として裁かれ、三年間の公職追放処分を受けたという。また、終戦間際には、満蒙開拓団の人びとを現地に残したまま、自分はひと足先に家族を連れて中国大陸から引き揚げたらしい。根津公子教諭とほぼ同年代の渡辺は(一九四七年生まれ)、妻でもある女優の横井量子とともに、父親のこうした過去を直視する劇を作り上げてきた。自分の父親にもその責任の一端がある中国残留婦人の問題を主題にした『再会』という作品を、一九九三年から一〇年以上にわたって国内外の舞台にかけた後、二〇〇六年には南京大虐殺を描いた『地獄のDECEMBER-哀しみの南京』という朗読劇を書き上げている。すでにこの作品は、国内四〇ヵ所以上のほか、上海や南京、ニューヨークでも上演されているらしい。わたしは、二月二三日(註:2009年2月23日)に市川市文化会館でこの舞台を見た。
 この朗読劇は、笠原十九司『南京事件』や本多勝一『南京への道』などの資料をもとに事件の状況を再現する場面と、渡辺と横井が自らの生い立ちと南京大虐殺に関心を寄せるようになったいきさつを語る場面とが、交互にくり返されるかたちで進行する。日本軍兵士や中国人被害者、さらには中国人女性の保護に力を尽くしたアメリカ人大学教員にいたるまで、多角的な視点から語られる南京陥落後の凄惨な光景には、強く観客の感覚に訴えかけてくるものがあるが、劇的なのはむしろ渡辺・横井夫妻の個人的な告白の部分の方だろう。この劇の主眼は、歴史家が取るような客観的な立場から南京事件の全貌に迫ることよりも、夫妻がそれぞれの父親から背負わされたものの重みを見きわめることに置かれているように思われるからだ。
 渡辺の語るところによれば、渡辺の父は戦後も、戦時中の記憶が甦るのか(ただし、渡辺の父は南京攻城戦には参加していない)、夜中に突然、うなされるようにして飛び起きることが何度もあったそうだ。そのときの様子を、渡辺は「油汗を流し、眼はランランと恐怖に引きつり、鬼の形相だった」と回想する。ふだんの暮らしの中でも、ささいなことで母に激しい暴力をふるう父を見て、渡辺は物心ついたころから「自分は生まれながらに『罪』がある」、「私のみならず、私たち家族は何か大きな『罪』を抱えている」と思うようになったらしい。それでも、「二〇代の頃は、前向きに生きさえすれば、必ず未来には希望が訪れるんだと言い聞かせて」生きてきた渡辺だが、一九八九年、テレビから流れてきた中国残留婦人の「私の戦争は、今も終ってはいない」という言葉が彼を変える。「自分の中でこれまで抑え込み、沈殿させていた心の闇と罪の意識が、うずき始めた」というのである。
 渡辺は、父親の足跡を追うようにして、妻の横井とともに旧満州へと足を運ぶ。そこで目にした一枚の写真、軍刀を手にした日本軍の将校が中国人青年の生首とともに写っている写真は、渡辺をして、父親が戦後なににうなされていたのか、自分たちの家族が抱えている大きな「罪」とはなんだったのかを悟らせるのに十分であった。以後、渡辺は「生涯をかけて、その罪をあぶり出」してゆくことこそ、自分に課された使命だと考えるようになる。木下順二は戯曲『沖縄』に、「どうしてもとり返しのつかないことを、どうしてもとり返す」という印象的な台詞を書き込んでいるが、渡辺の生き方にはこの言葉とどこか重なるものが感じられよう。彼は、戦争犯罪人の子どもとして生まれたという動かしようのない事実を厳粛に受け止め、それを正面から見すえ続けることで、ありえたかもしれない日中関係を誠実に模索しようとするのである。
 こうした渡辺の真摯な姿勢は、まず妻の横井量子の意識から変えてゆく。ときどき、罪があるのは自分の家族だけなのだろうかと問いかけてくる夫に対して、当初、横井は口にこそ出さないものの、心の中では「失礼ね。戦犯のあなたの家と一緒にしないでよ」と腹を立てていたという。しかし、あらためてよく考えてみれば、目黒にある彼女の生家は、戦時中、軍に日用雑貨を納入することを商売にしていたのだった。記憶をたどれば、戦後、彼女の父親の口からふと「戦争に負けなんだら、今頃、儲けて、楽して……」という言葉が漏れたのも思い出される。軍相手の商売が成功したおかげで、横井の家は終戦直後の混乱期にも比較的余裕のある生活ができたらしいが、彼女は、子どものころのそうした暮らしが、父親が戦争で吸った甘い汁に支えられたものであったことに後ろめたさを覚えるようになるのである。そして、ある日、彼女は南京の戦場を写した写真集の中に、目黒輜重連隊の兵士が撮影した写真が交じっているのを見て、愕然とする。この連隊こそ彼女の父親の商品の納入先であり、この連隊の兵士は、彼女の父親が売った日用雑貨を身につけて南京へと赴いていたのだ。渡辺だけでなく横井の家族もまた、侵略戦争の罪とは決して無縁ではなかったのである。
 この劇で興味深いのは、一九四七年生まれの渡辺の半生が、ある時期まで、戦後日本の歩みにほぼ重なることだ。渡辺が「前向きに生きさえすれば、必ず未来には希望が訪れる」と自分に言い聞かせることができた二〇代、日本経済は驚異的な高度成長を遂げていた。また、彼が中国残留婦人の声を聞き、抑え込んでいた罪の意識がふたたびうずき始めたという一九八九年は、昭和天皇の崩御の年、世界史的に見れば、ベルリンの壁の崩壊を皮切りに、戦後四〇年以上にわたって続いた冷戦にもいよいよ終止符が打たれようとしだした年である。冷戦期に長く宙吊りにされたままになっていた歴史がまた動きだし、米ソ対立の陰で後景に退いていたアジア諸国との関係が、外交の表舞台に浮上してきた。いわゆる「従軍慰安婦」問題をはじめとして戦後補償の問題が一挙に表面化したわけだが、いまからふり返れば、このとき近隣諸国の声に真摯に耳を傾けることができていれば、その後の日本とアジアの関係もずいぶんちがったものになっていたのではないかと思う。しかし、日本はこの機会を生かせなかった。戦後処理問題に誠実に対応すると約束した一九九五年の村山談話は、保守勢力のバックラッシュもあって、なし崩し的に空文化され、二〇〇一年、靖国神社への公式参拝を公約にした小泉純一郎が首相の座に就くと、日中関係は急速に冷え込んでしまう。
 一方、中国残留婦人の言葉をきっかけに、自分の家族の後ろ暗い過去をあらためて意識するようになった渡辺は、ちょうど小泉政権が誕生したのと同じ二〇〇一年、初めて南京を訪れる。長江のほとりの虐殺現場に立つと、まるで犠牲者の声が聞こえるような気がして、割れるような痛みが彼の頭を襲ったそうだ。彼は、このときの経験が彼を南京大虐殺へといやおうなしに向き合わせることになったと述べている。南京大虐殺をめぐる渡辺の思いは、それから五年あまり後に、この『地獄のDECEMBER』という朗読劇として結実するわけだが、作品制作途上の二〇〇五年、調査のために夫妻がふたたび南京を訪れた際、南京大虐殺記念館の庭に佇む老いた中国人の姿を目にして、横井は思わずその前に跪いて赦しを乞うたという。もちろん、客観的に見れば、この老人が犠牲者の縁者であるかどうかすら定かでないのだから、横井の振舞いは自分の思い入ればかりが先走ったものとしか言いようがない。しかし、そのように冷静さに欠ける点は認めつつも、彼女のこの姿に、かつてワルシャワのユダヤ人ゲットー跡の慰霊碑の前に跪いて祈りを捧げた西ドイツ首相ブラントの姿を重ね合わせ、そこに「ありえたかもしれない日中関係」を垣間見ようとするのは、あまりに穿ちすぎだろうか。
 渡辺と横井は、上演台本のタイトルのわきに「告白と懺悔」という言葉を添えている。カトリックの教会における告解の儀礼を意識してのことだろう。この劇で渡辺・横井夫妻が自らの「罪」を包み隠さず語るのは、たんに観客に事実を伝えるためだけでなく、神に向かって赦しを求めるためでもあったのである。このように宗教儀礼の形式が借用されていることで、この劇の上演には通常の朗読劇にはないひねりが加わっている。観客は自分の立ち位置をより鮮明に意識させられるのである。つまり、渡辺と横井の告解に客席で耳を傾けている観客は、儀礼で言えば司祭の位置にいることになるわけだが、よほど図太い神経の持ち主でもないかぎり、この役割を引き受けることに躊躇せざるをえないだろう。自分もまた、夫妻と同じく加害国の国籍を持つ者なのだ。赦しを与える側に立つ資格があろうはずがない。彼らの告解に立ち会うことで、観客は「戦犯のあなたの家といっしょにしないでよ」と言ってばかりもいられないことに気づかされるのである。
 この舞台を見ながら、渡辺・横井夫妻のあまりの倫理的な潔癖さに、息苦しさを感じることがなかったと言えばウソになる。また、すでに台詞そのものに強い感情が書き込まれているのだから、それを伝える口調はむしろ、もっと淡々としたものであった方がいいのではないかと思うところもいくつかあった。しかし、こうした小さな不満はあるにせよ、本作が忘れがたい舞台であったのは間違いない。それは、あつかっている題材の深刻さもさることながら、渡辺と横井の語りが、他人の前で言葉を語るというシンプルな行為の力強さ、演劇という芸術形式の持つ根源的な強みをあらためて確認させてくれたからでもあるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?