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【個人】比較・競争の世界を抜け出して。

はじめに

実は数日前に社内の表彰式イベントがありました。1年に1回の大イベントで、全社員が目をギラつかせて受賞を狙う、そんな場です。

昨年、W受賞をして成果を出せた自分が今年はどんな賞を受賞したのか?またその時にどう感じたのか?

実はこのあたりの心境や感じ方に大きな変化があったため、その裏側にある思考や行動、さらには自分のモノの見方・考え方、そして人としての「在り方」を振り返ってみたいと思い、こちらのnoteを勢いで書いてみることにしました。多くの社会人が囚われている「心の平穏や幸せをどこか感じきれない原因」についても触れているので、少しでも今後の軽やかで素敵な皆さんの人生のヒントになれば嬉しく思います。

(疲労で絶賛体調不良気味ですが、こういう思考があふれるタイミングで書きとどめておかないと忘れちゃうので頑張りました(笑))

現実世界での「結果や成功」をトコトン追い求めた2022年

自分には明確な目標やなりたい姿が鮮明にあります。ここに書けないくらいの解像度で未来10年以上をけっこう細かくイメージしており、そんな未来に向けて突き進んできました。

もともと、社会に出るときも「20代はガンガン頑張って自分が望む理想の自分になりたい。理想の現実や未来を自分の手で創り出したい。」そんな風に心の内側は野心をメラメラ燃やしているタイプでした。(炎の色で例えると、誰が見ても燃える赤ではなく、内側で燃える青色の炎のイメージです。)

そのため、自主的に睡眠時間や休日を削っていろいろ時間を作ったこともザラにありましたし、仕事関連のことに時間もお金もかなり自己投資をしてきました。(もともと漠然と「俺には可能性がある」「俺ならなんかできるはずだ」という根拠のない自身は昔からあるのですが、とはいえ才能や実力があるわけでもないと自覚していたので、努力の「量」「質」でカバーするしかない!という短絡的な発想です(笑))

また、実は「幼少期から、学業においてもスポーツにおいても突き抜けた成果を出したことがない」のが強くコンプレックスとしてあり、社会に出るタイミングでは「圧倒的な成果を出せる人材になりたい」と思って社会に出ています。そのため「まずは社内でも成果を出したいし、突き抜けたい」という思いからがむしゃらに頑張り、社内評価になっている「年間の粗利目標」も目標オーバーの結果を創り出すことができ、前年の自分と比較すると社内評価も高く得ることができるようになったと自覚しています。

その結果もあり、2021~2022年を通した昨年の社内表彰の場ではW受賞もさせていただき、ありがたいことに評価をしていただきました。

「比較・競争の世界」で生き、消耗する日々

ただ、実はその後、「お客様からのクレーム」「メンバーの離職」「自分自身の理想と現状の乖離に対する苦悩」「上司の言葉や反応に対してマイナスに解釈をしてしまい気持ちがどんどん落ち込んでいく」…といった良くないサイクルに2022年年末~年明け2023年序盤まで相次いで見舞われました。

その結果、出社に前向きになれずに気持ち的に落ちてしまい、数か月間リモートワークで勤務をさせていただくような働き方になってしまうなど、当時の自分にとっては望ましくない現実が次々と起こっていきました。(リモートでもバリバリ働いていましたが、出社への心的ハードルが高くなっていた感じだったと記憶しています)

僕なりに、当時なぜこのような状況になってしまったのかを振り返ってみると、大きな原因として「比較・競争の世界で生きていた」ということが挙げられると今では考えています。

「比較・競争の世界」とは、例えば「自分と他人」「目標と現状」「理想と現実」「評価される自分と評価されない自分」「成功と失敗」などです。

より詳細で説明をすると、本来であれば仕事をするうえでの目標として意識すべきは「お客様満足」や「お客様の成果」であるにも関わらず、「自分の粗利目標」をどうしても意識してしまっていたことがあります。また、他の社内メンバーの数字結果と自分の数字結果を見比べて一喜一憂していたこともありました。さらには、自分がなりたいと思っていた状態になれていないことへの嫌悪感。上司にかけて欲しい言葉とは異なる言葉をもらった際に上司の人間性を問題と捉えてしまった。なども挙げられます。これは小さなことも含めると挙げればキリがないです。とにかく、自分が望み、期待することと現実の比較をいつもしていたように思います。

今思うと、この状態は「比較対象よりも自分が優位な際は非常に良い精神状態」ですが、「比較対象よりも自分が劣勢な状態になると精神的には不健康な状態」になりやすいと感じます。そして、心と身体は密接につながっていますから、心が不健康な状態になると身体も不健康な状態に陥っていきます。

つまり、現実世界での結果を追い求めるあまり、「比較・競争の世界」に囚われたモノの見方・考え方になっていたということ、そして、そのせいで身体の健康まで損なわれていたのです。

すべての現実は人としての「在り方」や「生き方」が創り出します。ここなくして、幸せな状態は創られないのは自明でしょう。

「救いの言葉」で、スッと肩の荷が下りた

当時、自分が苦悩し、心身共に不健康でリモートワークで引きこもって働いていた期間。ある先輩に相談をしました。

「自分、この会社にいて良いんでしょうか…?もっと他の会社のほうが良いのかもしれないと思っています。」

そんな風に質問というか、相談らしき問いをぶつけてみました。

当時は、自分も心の奥底では「今の会社が好きだし、目の前の現実を創っているのはすべて自分自身のせいである」ことは心の奥底では感じていました。しかし、その心の声に蓋をして見ないようにしていた自分もいたような気がします。でも、「この心の声に耳を傾けることが一番大事であるし、それが今の現実を好転させていくための一番の特効薬である」ことも心の奥底では薄々感じていました。

そこで、自分の心の奥底で響く声の代弁者として、尊敬する先輩から何かのヒントを得たいと本心では思い、最後に賭けてみようと思い、勇気を振り絞って相談を持ち掛けたと記憶しています。

そして、その先輩とのZoom面談の中で言われた言葉が、当時の自分にとっては「救いの言葉」になりました。それが・・・

『足るを知る』

ネットで自分も調べてみたところ、「足るを知る」とは古代中国の思想家、老子の言葉。 「足るを知る者は富む」すなわち「何事に対しても、“満足する”という意識を持つことで、精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていける」ということを表した言葉になります。 どれだけ「今」が恵まれているかに目を向けよう。欠けではなく、今あるものに目を向けよう、という意味です。

試しに例をご紹介します。こちらの画像をご覧ください。

「みなさんパッと見てどこか気になるところがありましたか?」

おそらく、パッと目につくのは「円の欠け」だと思います。人は、無意識のうちに「欠け」に目が向いてしまいます。ですが、視野を広げるとそこには大きな円があり、「素敵」と思えるものがすでに沢山あることに気づけるのです。

当時の自分には、この言葉やその意味がスッと腹に落ち、心が落ち着き、軽やかな気持ちになれた感じがしました。

「比較・競争」の世界に生き、常に満たされることのない心の状態で自分は日々を過ごしていました。それがすべての根本の原因だったのです。今あるものに目を向け、今を大切に、丁寧に、軽やかに生きる世界に目を向けることができ、自分の「在り方」「生き方」に新たな選択肢が加わったように感じました。

「足るを知る」状態は、イメージで例えると「腹八分目でも幸せに満足できるような状態」です。つまり、「欠け」「欠乏」「不足感」に囚われる生き方ではなく、「在るもの」「平穏」「充足感」といった状態に心の軸をもっていく生き方や在り方です。

この「足るを知る」の世界は、当時の自分が競争の世界で疲弊していた中で、心の底から「自分の中で何かを変えたい」と強く願い、信じ、行動したからこそ出逢え、到達することができた世界だったのかもしれません。

そもそも自分と他人は違います。であるが故に、「比較」ではなく「違いを受け入れ、リスペクトと愛を持って相手と共存する」ことが大事なのではないでしょうか。そして、今いる仲間や組織の素晴らしさに目を向けることで、「今」を大事にすること。「自分が自分を愛し、心が平穏で満たされていればそれでよいのではないか」という心持ちで、満たされた状態にあること。こういったモノの見方・考え方、そして在り方を理解できるようになり、自分自身も徐々に進化をしていけたのです。

これらは「言葉」や「概念」としては誰しもが理解できると思います。ただ、「本当の意味で心の底からここに気づけ、人生が変わったと言えるほど腑に落ちている人」はほとんどいない気がします。この違いをどう捉えるかは難しいところですが、「ご自身の心の声に向き合っていく中でいつか出逢えるものなのではないかな?」と現状では感じています。

また当時、「足るを知る」という言葉に出逢えていなければ、もしかすると今は別の会社で、変わらず「比較・競争の世界」で消耗する日々を過ごしていたかもしれません。そう思うと、本当に当時相談に乗ってくれた先輩には感謝してもしきれません。本当にありがとうございます。

大事なことは「バランス」

自分自身の「在り方」を見つめ直す中で、1つの気づきがありました。それは「何事もバランスが大事である」ということです。

この世界は資本主義です。資本主義の世界では、常に比較され続け、消耗する生き方が否が応でも求められます。ですが、資本主義が求めてくる生き方に偏り過ぎると弊害が生じるのです。

大切なのは「バランス」です。軽やかで平穏な心の豊かさや、自分らしい幸せを追求するスピリチュアルな世界も、資本主義で生きる力と併せて持ち合わせることが大事なのです。

こういった素敵なモノの見方・考え方を取り入れ、さらには自らの「在り方」をアップデートすることができたのは、自分のこれまでの人生の中でもとても大きな転換点になったと思います。

実際に、現実世界での成果も追求はしつつも、自分の思考と行動、時間の大部分を自分を満たすための「在り方」にシフトチェンジし始めました。たとえば、人とのコミュニケーションを軽やかで相手も自分も満たされる方法に切り替えたり、常に感謝の気持ちをもって、まずは自分が満たされ、比較・競争から離れた世界で物事を見るように心がけるようになりました。

さらには、現実世界と精神世界を共に極めた知り合いの経営者様とのご縁が引き寄せられてきたり、書籍からのさまざまな学びを取り入れていき、自分自身の中で「比較・競争の世界」だけでなく、「自らの心を満たす平穏で軽やかな幸せの世界」も選択肢として持てるようになった中で、徐々に資本主義の現実世界と、軽やかで平穏な精神世界のバランスを取るようにしていきました。そして、自分の中のモノの見方・考え方がダイナミックに拡張をし、精神世界での自分の在り方に軸を持てるようになってきたのです。

つまり、他者比較の世界から離れ、本当の意味での自分軸を徐々に確立することができ始めたのです。この世界観に生きると、自分の軸に沿って生きることが幸せや成果につながっていくため、そもそも他人との比較や競争をする必要性すらなくなっていきます。つまり、人の目を気にし、自分と他人、自分と理想を比較する人生や世界から離れることができ、軽やかに等身大で、平穏な心で日々を過ごすことができるようになってきたのです。

他人と比較をしても、その先には終わりなき消耗し合う世界しかありません。あくまで「秤」は自分の中にあるのです。

仕事も心も、「余白」が大事

また面白いことに、自分が満たされはじめることで、他人を満たせる余裕も生まれてきました。

分かりやすい例ですと、これまでは下のメンバーに対して、正直イライラすることも内心けっこうありました。「なんでこんなこともできないんだ」「どうしてやらないんだ」「自分がやったら一発で終わるのに」といった、「心のざわつき」「負の感情」が生まれている状態です。

しかし、自分の心が満たされると、心に「余白」が生まれるようになりました。言い換えるならば、「余裕」が生まれたとも言えるでしょう。結果的に、余裕があるので自分のことで手いっぱいにならないため、余白の意識で相手に関心や敬意をもって接することが以前よりもできるようになりました。

自分の肌感覚でも少しずつ下のメンバーともご機嫌で良い状態でコミュニケーションも取れ、結果的にメンバーのパフォーマンスや成果にもつながってきているように、最近やっと僅かながら感じられるようになりました。これはお客様や、自分のプライベートでの身の周りの人との関係性においても同じ現象が少しずつではありますが生まれてきているように感じます。つまり、「余白」が生まれたことで、結果的に関わる人がハッピーな状態に徐々になってきたのです。

「余白」ができると、利己的な発想が減っていきます。結果的に「なるようになるさ」「いいじゃん」「それも素敵だね」といった類いの軽やかでポジティブな思考が生まれやすくなったり、「相手を満たしたい」という利他の心が自然に生まれていきます。

これは仕事でも同じです。常に仕事に追われてせわしない人は次の新たな未来を創造する時間や、大切な人を大切にすることにも使える時間がなくなります。仕事も心も、余白が大事であるということかなと自分なりに解釈しています。

苦悩の時期を乗り越え、満たされ平穏で軽やかな自分に

本noteの冒頭でも書かせていただきましたが、このnoteを書いているのは今年の社内表彰式があったタイミングになります。

昨年はW受賞をした社内表彰式。今年は「M○P」が付く賞を受賞すると予想していたのですが、結果は「時間は命」という項目の、自分でも意外な賞の受賞となりました。(時間は命=相手の時間をいただくことに感謝をして、素早く動き、多くの感動を届けよう、的な行動規範です)

この結果に対して昨年までの自分だったら、「想像と違う賞の受賞」という現実に直面し、「理想」と「現実」のギャップでやるせない気持ちになっていたはずです。

しかし、「足るを知る」という考えのもと、今あるものに感謝し、自分がご機嫌で肩の力を抜いていられることで他を満たせるようになったからこそ、目の前の現実もすんなり受け入れることができ、さらには「この賞を自分がもらったことにはどんな意味があるのだろうか?きっと素敵な運命が待っているんだろうな~(笑)」と自分にとって都合のよい錯覚すら起こせるようになってきました(良くも悪くもですかね(笑))。

また、「自分が予想していたものを裏切られた」という感覚は皆無で、むしろ「ありがたい」という感謝の気持ちすら湧いています。お気軽で、肩の力を抜いて、ゆるーく流れに身を任せるがごとく生きていける状態なのかもしれませんね。

そして、今の自分なりには、今回の「時間は命」という項目での受賞はこのような意味があるのではないか?と捉えています。

「足るを知り、今を満たされ、平穏で軽やかな生き方が徐々に出来るようになってきたからこそ、相手の存在に感謝をし、相手を満たすことに自分の思考と行動を使えるようになってきた。」

「比較・競争の世界」で生きていた自分では、絶対に到達できなかった自分の在り方に、今は少しずつ成長できている感覚があります。これは、自分の人生にとっても"とても意味のある大きな変化"だと感じています。

もちろん、とはいえ僕も資本主義の世界で生きていますので、スピリチュアルな世界にズブズブになってしまうと、それはそれでバランスが取れなくなってしまいます。ですから、僕は現実世界も精神世界もどちらも両取りで満たせるように、今の本業もバリバリやっていきながらも、「足るを知る」の気持ちで満たされた軽やかで平穏な心の世界も自分の中に持っていきたいと思います。最後は自分が一番満たされるバランスをその都度流れに身を任せながら選択をしていけたらいいのかな?と思っています(笑)

最後に

まとめると以下の通りです。

①「比較・競争の世界」に偏って生きると、終わりのない消耗し続ける世界に身を置くことになり、関わる人をも消耗させる生き方になってしまう。
②「足るを知る」生き方を取り入れ、「比較・競争の世界」と「バランス」をとる生き方も選択できるとさらに素敵な状態になる。
③自分が満たされはじめ、心に「余白」が生まれると、他者を満たせるようになれ、結果的に理想的な現実が創られやすい。

こんな感じかな~と思います。僕が歩み、気づいてきたプロセスが、少しでもみなさんの参考になれば幸いです。

また、余談ですが最近面白いなと感じるのは、心の状態や在り方は、その人の発する「オーラ」や「表情」に如実に表れるということです。

例えば、現実世界に振り切って生きる人は、一見するとすごく覇気を纏い、すごそうな人に感じますが、どこか目の奥はさみしさや自信のなさが見える感じがします。表情もどこか硬い印象の人が多いです。こういう人はどちらかというと、他者を寄せ付けないような「硬さ」「トゲ」「ガード」のオーラを感じます。

逆に、精神世界に振り切っている人も、独特なオーラを放っていますが、現実世界での成功や名声とは少し離れた場所で生きている印象です。こういう人はどちらかというと、「柔らかさ」「布」「包み込む」ようなオーラを感じます。

表情や目つきは、その人の生き方や在り方をそのまま反映しています。表情、顔つきを見れば、だいたいその人の状態が分かります。自分もやっと最近、少しづつこの領域が本当の意味で分かるようになってきました。

僕自身はどう見えているかはわかりませんが、少なくとも今の在り方にさらに磨きをかけていった先には、自分がハッピーで幸せな状態が待っているはずですし、余白があるので表情がこわばることも以前よりは少ないと思います。結果的に、良い表情の自分にさらになっていけるのだろうなと、素敵な妄想をしてしまっています(笑)こう考えられるのも、心に余白がある証拠かもしれませんね。

ということで、「比較・競争の世界を抜け出して。」というタイトルで本noteを書かせていただきました。(正確には「抜け出す」という感じよりは、「新たな世界を追加し、両取りできる状態になった」方が正しい気もしますが、伝わりづらいのでタイトルは「抜け出して」と簡易的に表現させていただきました。)

こちらのnoteをお読みいただいた方の中でも、ご自身の心や幸せの状態にモヤっとしたり、よく心がざわつく方もいらっしゃると思います。そのような方にこちらのnoteの内容が何か少しでも参考となり、未来が好転するきっかけに少しでもなっていたらとても嬉しい限りです。

ちょびっとでも共感いただけたり、こちらの内容についての感想などあれば、ぜひX(旧Twitter)やリンクトインなどでシェアをいただければ嬉しいです^^

改めて、最後までお読みいただきありがとうございました!

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