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1997年5月18日 『旅を始めて1ケ月』
1997年5月18日 『旅を始めて1ケ月』
旅を始めてまだ一ヶ月も経っていないが、時に“この旅には何の意味があるのかな?”と考えてしまうことがある。そういう思いに駆られることは本当にたまにであり、だからそんなことを思ったことさえ忘れてしまう。
タイでは毎日は毎日が刺激的だった。自分から特に行動しなくてもいろんなことが起きた。だから自分からは特に何もする必要なかった。
しかしラオスに入ってから
1997年5月12日 『メコン河クルーズ』
1997年5月12日 『メコン河クルーズ』
今日から1泊2日でルアンパバンまでの道のりをメコン河クルーズで進む。このクルーズはラオスでの目玉だった。ラオスなどという国には、おそらく2度とくることはないだろう。ラオスはほとんどの土地を森林に囲まれ、人口はわずか485万人しかいない静かな国である。今回はその広大な土地を木製の大型ボートでゆっくりと下るのである。
船旅には重本さん(26歳、男性)と
1997年5月6日『ややさん一家と』
1997年5月6日 『ややさん一家と』
11時起床。 疲れて疲れてのかどうかわからないが、なかなか起きることができず、ベッドの中で寝たり起きたりと繰り返していたら、いつのまにか11時になっていた。12時にチェーンセン・リバーサイドレストランにて朝食兼昼食をとる。
食後、ゴールデントライアングルへ向け3人で出発。上奈路さんと重本さんとは午前中、早く起きて山(寺)へ行ってきている。ヒッチハイクに成
1997年5月4日 さくら寮とのお別れ(ラフ族の村 番外編)
1997年5月4日 さくら寮とのお別れ(ラフ族の村 番外編)
今日の午後は再びさくら寮へと向かった。ラフ族の村の女の子達がさくら寮へ遊びに来ているのだ。
ラフ族の村に滞在した最終日の午前中、彼女らを乗せたトラックはチェンマイにあるさくら寮へ向かってしまった。そのため俺たちは彼女たちにお別れの挨拶ができないままとなっていたのだ。
美輪さんはでかけてしまっていたが、女の子達は明日にラフ族の村へ帰
1997年3月31日②(サラリーマン最後の日)
1997年3月31日(サラリーマン最後の日)
三井リースで通った最後の日。俺は花束を抱えながら電車の中で考えていた。みんなが、 出会えることができた人たちが、いつまでたっても仲良く人生を共に過ごすことはできないのだろうかって。今日もらった色紙の中にみんなが書いてくれた言葉があった。“夢を叶えてくれ”って。
僕がみんなに語った夢って何だっけ? 旅に出ることと出ることか?農業をやることだろうか?
『シンガポールという街にて』 1997.6.12
『シンガポールという街にて』 1997.6.12
クアラルンプールに3日ほど滞在した後、僕はバスでシンガポールへと向かいました。バスは朝の8時30分に出発しました。シンガポールまでは6時間の道のりでした。距離から行ってもっと時間がかかるのではないかと思っていたのですが、バスが走り始めてしばらくするとその理由がわかりました。
バスはシンガポールへの道のりにおいて高速道路を使いひたすら走りまくる
『クアラルンプールについて(マレーシア)』 1997.6.1
『クアラルンプールについて(マレーシア)』 1997.6.1
マレーシアの首都であるクアラルンプールには、サイゴンから飛行機で来ました。当初はバンコクへ飛ぼうと思っていたのですが、クアラルンプールのチケットがバンコクより安い(150 US ドル)ことから、こちらの方を選びました。
飛行機は2時間ほどで無事着いたのですが、僕のバックパックがいつまでたってもベルトコンベアより流れてきません。しば
『サイゴンの夜』 1997.6.9
『サイゴンの夜』 1997.6.9
サイゴンには3日ほど滞在しました。本当はもっといたかったのですが、僕には絶えず”ヨーロッパに早く近づかなくてはいけない”と意識があるので、サイゴンという街も早めに切り上げることにしました。
3日と言うと、それほど短くはないのではないかと思うかもしれませんが、初日はマレーシアの飛行機の手配、2日目はサイゴンから車で 3時間ほどのところにあるメコンデルタへの