『クアラルンプールについて(マレーシア)』  1997.6.1

『クアラルンプールについて(マレーシア)』  1997.6.1

マレーシアの首都であるクアラルンプールには、サイゴンから飛行機で来ました。当初はバンコクへ飛ぼうと思っていたのですが、クアラルンプールのチケットがバンコクより安い(150 US ドル)ことから、こちらの方を選びました。

飛行機は2時間ほどで無事着いたのですが、僕のバックパックがいつまでたってもベルトコンベアより流れてきません。しばらく経っても出てこないので係の人に聞いてみると、「もう荷物はすべて流れてたはずだ」と言っています。「クアラルンプールにはあなたの荷物が届いていない」というのです。


実は最後の空港で嫌な予感がしたのです。フライトの搭乗手続きの際、ベトナム空港の社員の女性に荷物を預けたのですが、その女性はいつまでもすぐに荷物にあるはずの番号のついたシールをなかなか貼らなかったのです。僕もちょっと気になって彼女に何か言おうと思ったのですが、“英語で何て言えばいいのかな”、などと考えているうちにと面倒くさくなってきて、“まあ大丈夫だろう”と何も言わずに行ってしまったのです。それがどうやらこの結果となったようなのです。


係の人は「今日はもう荷物届かないので、明日また来てくれ」と言います。「明日の何時頃に来ればいいか」と聞くと、「今晩空港に電話してくれ」と、紙切れを渡されました。仕方なく僕は軽いナップサックひとつで街へと出かけました。

市街地はバスで30分ほどのところにあります。バスは夕方ということもあったのでしょう、満員でした。僕はベトナムのこともあり、財布をスラれはしないかと周囲の人に目を配り、“俺に手出しをするなよ”と目で訴えておきました(少し人間不信になっていたようです)。


予定していた宿はバスを降りて5分ほど歩いていた所にありました。「シングルルームは空いてます?」と聞くと、「いっぱいだ。でもドミトリーなら空いている」と言います。(ドミトリーとは相部屋のことです)。「いくら?」と聞くと、「7 RM」、 日本円にして大体350円ぐらい(1997年当時)です。「オーケー」。

部屋は日本のユースホステルと同じように上下2段式のベッドになっていました。綺麗なホテルではなかったのですが、ベトナムよりは落ち着いて眠れそうです。

夜に街を少しブラついてみました。マレーシアという国は主にもあれ人と中国人とインド人が混じり合って暮らしています。このことは単一民族である日本人からすると、かなり異様に見えます。

例えば近くのデパートに入ってきた時のことなのですが、小学生でしょうか、仲に良さそうな二人の男の子が肩を組んでエスカレーターを登っていきました。これだけなら日本でもよく見かける場面だと思います。

ただこの時の場合、男の子のうちの一人が、黒い顔をした痩せたインド人の男の子であり、もう一人の子がぷっくり太りメガネをかけた中国人の男の子だったのです。でもこの時の組み合わせは後から考えてみると、やはり少し珍しい組み合わせです。

仲の良い友人のグループましてやカップルなどとなると、やはり同じ民族の組み合わせによるものがほとんどでした。この異なった3民族を政府はどのように統治しているのでしょうか。日本のような単一民族からなる国家の国からすれば、おそらく考えないようないくつもの問題が生じるに違いありません。

しかるにマレーシアという国をもう少しで先進国の仲間入り(これは1997年当時の手記です)というところまで持ってきた政府と国民には強い興味を抱きました。

マレーシアという国は東南アジアの国々の中では、比較的日本人からすると地味な部類に入るのではないかと思います。それでもマレーシアと言って思い出されるのは“マレー急行”ではないでしょうか。シンガポール・マレーシア・タイを結ぶ国際列車です。

しかしこの列車を利用した際もマレーシアに滞在するというよりは、通過するにすぎない人の方が多いのではないでしょうか。言い換えれば、それほど魅力のある国ではないと僕は思っていました。しかしクアラルンプールで同じ部屋(ドミトリー部屋)になった21歳の女の子はマレーシアが大好きで、できればマレーシアに何ヶ月か住み込みマレー語習いたいと言っていました。

僕ははじめ彼女は外国ではマレーシアしか来たことがなくて、それゆえに“井の中の蛙”状態でマレーシアが好きなのではないかと思っていました。ところがそんなこと思ってる時に、僕のベッドの下にいたオランダ人が彼女に話しかけました。「英語を話せますか?」 彼女は自然な素振りで「ええ」。と答えていました。

このとき僕は意外な感じを受けました。というのは今まで出会った日本人の中で、“英語を話せるか?”と聞かれて、彼女ほど自然に「はい」と答えた人はいなかったからです。大抵は「少しだけ」とか「一応」とか少し照れながら答える人がほとんどでした。


オランダ人からの問いに対して彼女は、流暢は英語で答えていました。「どうしてそんなに上手に英語を話せるの?」 僕は彼女に聞いてみました。すると「英語は好きで前から熱心勉強していた」と言いいます。そしてアメリカでもホームステイもしたが、一番上達したのは旅先で知り合ったカナダ人と3週間ほど一緒に旅した時だと言います。


その時は全く日本語は使わず、カナダ人の女の子とは英語で喧嘩もしていたようです。外国は、アメリカやアジア以外にもヨーロッパへ行ったことがあるようです。


そんな彼女が“何故マレーシア”で“マレー語”なのでしょうか。彼女に聞くと、「理由はよくわからないが好きなのだ」と言います。


彼女以外にもこのホテルには20歳前半の日本人の女の子も泊まっていました。その子はマレー語が話せました。そして以前に何ヶ月かマレーシアに住み、マレー語の学校に通っていたとのことでした。


マレーシアとは日本人にとって、言葉を覚えたくなるほど魅力的な国なのでしょうか。それともどこの国にも、その国に魅力を感じ、引き込まれてしまう人がいるのでしょうか。今の僕にはどちらなのかは分かりません。


でも、どちらにしろ彼女らは、“随分と面白そうな人生を生きているな”と思いました。自分も“同じようにしたい”というわけではないのですが、『何かに魅力を感じ、そこに没頭する人生』というものは僕にはひどく魅力的なものに映りました。

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