『ガイドブックについて』     1997.5.21

『ガイドブックについて』     1997.5.21

僕が今回の旅行のために持ってきたガイドブックは、多くの日本旅行者がそうであるように『地球の歩き方』です。ただし僕のガイドブックは各国に分かれて書かれた本ではなく『地球の歩き方 東南アジア編』という大きな分類がされたものでした。

その一冊には7冊分の情報が集約されている代わりに一国一国のデータ量は乏しく、それほど有益な情報は載っていないのです。使っていて不便さを感じたため、タイのチェンマイにあった古本屋で別途、『地球の歩き方 タイ』と『ベトナム』を買いました。

その本には読んでとても頭の中には入りきれないくらいの情報が詰め込まれており、その本を購入してからというもの不便は全くなくなりました。


またラオスに入ってからも一緒に旅をしていた重本さんから、『メコンの国』(旅の友社)という本をコピーさせてもらったためかなり快適に過ごせました。どのように書いてかと言うと、まず行くべき町の地図が記されており、またその町の見所が記されているのです。

これにより初めてその町を訪れた場合にもすぐにホテルの場所や、郵便局及びその街がどのくらいの大きさなのかを歩く必要もなく知ることが出来ます。

またガイドブックにはホテルの料金、そして泊まった人の感想が書かれているため、まず失敗がないのです。そのためすでに1ケ月ほど旅をしてきたわけですが、驚くほど順調に旅が進むのです。

 たとえそれが一昔前までは秘境と呼ばれていたラオスでさえ同じです。初めのうちはそのことが快適であり楽しかったのですが、この頃ちょっと気になり始めたことがあります。

僕は今回の旅では一応日記をつけており、だいたい毎日つけてるのですが、この頃は日記をつけていてもつまらないのです。1日の出来事を時系列に置くだけであり、単にそれだけで終わってしまう日が最近多いのです。

旅の当初は結構ハプニングもあり、面白おかしく日々が続きました。でもそれは、偶然にしかもかなり幸運的に起こったハプニングであり、そういう偶然はなかなかその後は起こらないのです。

僕がこんなことを思うのはここ2週間ほど“喧騒”という言葉からは程遠い位置にあるラオスにいるため、少し“退屈”を覚えてきたのかもしれません。

ただし、旅のスタイルというのは僕が今回の旅の中でずっと考えてきたことでもありません。旅を出発する前は、“旅のスタイル”は旅をしている中で自分なりに作り出していけばいい、と思っていました。

そしてガイドブックに従ったままの旅が1か月過ぎ思ったことは、『僕と同じガイドブックを見て旅した人は、ほとんど同じような旅に、なってしまうのではなかろうか』っということです。

別に自分だけが特殊なことをやろうとか、冒険をしようなどという気持ちはないのですが、いい加減に“金太郎飴的な旅はもうたくさんだ”という気持ちは強くなってきました。

そうは言ってもこの1ケ月の旅は充実したものであり、またラオスで山賊に襲われずに済んだのも幸運だったのかもしれません。“金太郎飴的な旅”というのも自分がしてきて旅を卑下しすぎているような気もするのですが、しかし何かが違うような気がしてならないのです。

このままでは僕は“単なる旅行者”で終わってしまう。そのことが僕はたまらなく怖いのです。僕は別にバカンスで旅行してるわけではないのです。ただし、今の僕にはすべてのガイドブックを捨て去ってしまう勇気はありません。

もしかしたらこんな悩みも、ラオスという静かな国を去りベトナムという慌ただしい国に入ってしまえば吹き飛んでしまうのかもしれません。ただ“惰性に流された旅はしたくない”という当初の思いは忘れないように心がけたいと思います。


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