『サイゴンの夜』   1997.6.9

『サイゴンの夜』   1997.6.9

サイゴンには3日ほど滞在しました。本当はもっといたかったのですが、僕には絶えず”ヨーロッパに早く近づかなくてはいけない”と意識があるので、サイゴンという街も早めに切り上げることにしました。

3日と言うと、それほど短くはないのではないかと思うかもしれませんが、初日はマレーシアの飛行機の手配、2日目はサイゴンから車で 3時間ほどのところにあるメコンデルタへの見学、そして3日目は飛行機での出発です。

サイゴンの街もじっくり見るという余裕はまるでありませんでした。ただそれでもあまりサイゴンという街をよく知ることができなかったことへの心残りはありませんでした。それは多分僕が大都市というのがあまり好きではない、ということに起因するのではないかと思います。

今まで何人ものバックパッカーと知り合い言葉を交わしてきましたが、どうも彼らは大きく分けて都市指向型と田舎指向型との二つのタイプには別れるのではないかと思います。都市指向型というのは例えばバンコクのような大都会を愛し、都会の中で知り合う現地の人や、旅人との出会いを楽しむ。彼らにとっては 夜の酒場が重要な活動拠点になります。そしてひとつの地に1週間、2週間と滞在するようになるのです。

田舎指向型というのは「俺はバンコクのようなうるさい街は嫌いだ」と言って、あくまでもその国の田舎を目指すタイプ。タイで言えばチェンマイよりも更に北部へ向かい、見晴らしの良い川のそばにあるゲストハウスなどで、何をするでもなくのんびりするタイプ。

僕はどちらタイプに属するかといえば、やはり田舎指向型になると思います。僕はやはり「バンコクは嫌いだ」と言って、2日で飛び出してきた方であり、田舎で暮らす素朴な人を愛するタイプです。確かに都会での暮らしは快適です。食べ物は美味しい、ものが揃っており日本人旅行者にも会えることで会えるので楽しく夜を過ごせることができます。

そして、僕にとってものすごく重要なことなのですが、都会では日本の本が手に入りやすいのです。一国の首都レベルの街にはたいてい各国の書物を揃えた古本屋があります。たいていは洋書なのですが、その中にも日本の本が少し混じっています。必ずしもその本屋に自分の読みたいような本があるとは限らないので、たいてい都市に着いた次の日は古本屋探しに出かけます。

今までのケースとで言えば、せいぜい探しても2~3件しか見つからないのですが、サイゴンの街には3件ほどの古本屋を見つけたのです。しかし日本の本は少なく、しかも読みたいと思う本は一冊もありませんでした。

どのような本が多いかと言うと、サイゴンでは圧倒的にミステリー小説、推理小説が多くありました。おそらく旅行者は飛行機の中で読むようにと軽い本を選び、そして帰国する際にもういらないと売り払ってしまうのでしょう。もう一度読みたいと思うような本はおそらく日本へ持ち帰るため、結果的には私があまり読みたくない本が残る、という図式がサイゴンにはあるようです。

このようなあまり読みたくない本も、安ければ買って読んでもいいのですが結構な値が付いているのです。それらは本の内容の価値に関係なく、品数が少ないために希少価値が値に上乗せされているのです。

サイゴンでは日本の本はだいたい一冊3 US ドルでした。これは日本と比べても高いと思います。日本で100円でセールで売られているようなボロボロの本が3 US ドルで売られているのです。この値段はベトナムの物価を考えると異常に高い価格です。 僕が止まっていて宿が 3 US ドルであるため、1泊分の宿泊料金と同じなのです。

これではとても買う気にはなれません。結果的には知り合ったバックパッカーに、いらなくなった本を譲ってもらったり、交換したりという方がよっぽどいい本が手に入るような気がします。


初めて訪れた国において何日間か過ごし、そして何人からその国の人と接していると、その国の歴史や文化について、そしてその国で信仰されている宗教などにたまらなく興味を感じます。ガイドブックを持っている場合は、たいていこの程度のことだったら記されているため問題はありません。

ただラオスについてはほとんどと言っていいほど情報がなかったため、苦しい思いをしました。僕はこの国が資本主義をとっているのか社会主義なのかも知りませんでした。ラオスではかなりもどかしい思いもしました。

ベトナムについてはタイの古本屋で、ベトナムのガイドブックを購入したため、おおよその歴史的背景を理解してしました。ただ僕はベトナムに入る前より、“なぜベトナムアメリカに勝ち得たのか”を掴み取ろうと目論んでいたのです。それはタイのチェンライで知り合った日本人旅行者の言葉を発端となりました。

その日本人旅行者はかつてベトナムを旅したことがあり、そして隣国であるカンボジアと比較し、”なぜベトナムがアメリカに勝てたのか”が理解できたと言っていました。

それほどまでにベトナム人は同じアジアの中でも異なっているというのです。僕は彼のこの言葉を聞くまでベトナムにそれほど興味を抱いていなかったのですが、急にベトナムという国に行ってみたくなりました。

そしてベトナムに入ってから一週間たって、その間に毎日考えていても分からないのです。僕は比較的簡単に答えは見つかるのではないかと考えていたのですが、全然答えが見つからないのです。

確かにベトナム人は、今まで僕が訪れたタイやラオスと明らかに違うというのは分かります。狡猾でずる賢いという表現もベトナム人には当てはまると思います。しかしそれだけでは何も見えてこないのです。 よくわからないのです。


そして一週間が過ぎた頃、ニャチャンという街にて一軒の古本を見つけました。これは古本屋というよりビーチ沿いに男の子がいくつかの柵を並べて開いていた、いわば露天形式の古本屋でした。“こんなところに古本屋!”僕は喜んでその本屋に飛びつきました。

まさかニャチャンビーチなどに古本屋があるとは思わなかったのです。柵に並べられている本を、端から端まで目で追って行くと、一番最後に何冊かの日本の本が見つかりました。そしてそこには僕が今までベトナムについて抱いていた疑問のすべてを解決してくれそうな本があったのです

それは『人間の集団についてベトナム訪問記』 著者は司馬遼太郎でした。彼が1973年~74年ぐらいにサイゴンを訪問した際の手記であり、アメリカがベトナムを撤退してからしばらく経った時期に書かれたものです。僕は司馬遼太郎の歴史小説についてはもちろん『この国のかたち』という、いわば日本のさまざまな地域を訪問しながら日本人論を確立していくといった思想書のようなものまで好きで読んでいたため、『人間の集団について』はまさに僕が求めていた本でした。


そして予想した通りこの本を読むことによって僕が抱いていた疑問の大半は解決しました。司馬遼太郎は本の中でこう言っています。『ベトナム人にとって、人の命というものはそれほど重いものではない。彼らの中には輪廻転生の考えが根付いており、今世において苦しく、そして苦しいままに死を遂げたとしても、来世にはまた生を受けることができる。そしてベトナム戦争当時にあって、”正義のもとに死んでいく”ことはそれほど恐ろしいことはなかったのではなかろうか。』 

”死を恐れない”というその思想は宗教から来るものです。宗教がその一国の命運を左右する。今の日本ではまず考え難いことだと思いますが、日本以外の他の国では、人の人生において宗教というものはとても重要なもののようです。

この『人間の集団について』 のように、本と出会った瞬間に喜びのあまり叫び声をあげたくなるような本が簡単に手に入るようだったら、この旅ももっと充実することと思います。


話がだいぶそれてしまいましたが、ベトナム最後の夜はとても楽しく過ごすことができました。サイゴンで知り合った日本人3人と飲みに出かけたのです。メンバーをあげると藤井さん(男24歳)、杉田さん(男23歳)、藤田さん(女24歳)です。みんなそれぞれ個人でサイゴンに旅行できており、サイゴンで知り合ったメンバーです。


藤井さんはハノイで知り合い、そして偶然サイゴンで再会しました。彼は頭を丸坊主に丸めており、そして英語を話さずに旅をするツワモノです。彼は現地の人に対しても日本語で話しかけます。一応のコミュニケーションを取れるようですが、それでもホテルの部屋を探す時には英語を使わない(使えないっていうこともある)ことで、ものすごく 苦労するようです。


藤井さんはハノイであった当時は「ベトナム人はいい奴ばかりだ」などと言っており、僕が首をかしげていたのですが、再び会った時は「ベトナム人は最低だ」などと言っていました。


その理由を聞いてみるとハノイからサイゴンまでバスで来たのですが、その途中の休息場所でトイレに入っていたら、バスの出発時刻なることをベトナム人が彼に知らせてきたそうです。その際にベトナム人はトイレのドアをガンガン蹴っ飛ばした挙句、しまいはトイレの扉の上の隙間から石を投げ込んできたらしいのです。口を尖らせながら「あいつら最低ですよ」と話す藤井さんに対して、僕は“そうだね。君もやっとベトナム人について分かってきたか”、と心の中で思いながらこのにこやかに聞いていました。

杉田さんと藤田さんは藤井さんが昨日知り合ったということで紹介されたのですが、村田さんは1ケ月間サイゴンで暮らすということでした。この人物もよく分からない所があります。実に不思議な男でした。今まで会ってきたバックパッカーとは明らかに違う雰囲気を持っていました。金はたんまりと持っているようでした。どこかの会社の社長の息子のようであり、なんとか会の組長の息子のようでもあり、明らかに常人とは違う雰囲気を持っていました。

そして紅一点の藤田さんは秋田から来た21歳の女の子であり、ツアー旅行で来ているためベトナムには4日間しかいられないと言います。秋田から外国へ出るというのは大変なことなのでしょう。新幹線で大阪まで行き、韓国よりベトナムに来たとのことです。

彼らとはベトナム料理を食べながら、そして夜はバーで酒を飲みながら話し込みました。話題は様々であり、ベトナムのことや日本での生活でのこと、そしてこれからのことなど。

特に変わった話題でもなかったのですが、皆それぞれがどこか普通でないメンバーであることにより、話が面白く、気づくと夜の2時になっていました。僕はここ2ヶ月ほど東南アジアを旅して思ったことなのですが、日本人のバックパッカーは結構物知りが多いということです。


僕は東南アジア旅行している日本人はどちらかと言うと“日本から逃げてきたタイプ”が多いのではないかと思っていました。ところが知り合う日本人は物知りが多く、頭がみな良さそうであり、そして色々なことを考えているような気がします。そしてけっこう“自分”には自信を持っているタイプが多いようです。

英語は皆そこそこにできます。日本人全体の中では“そこそこ出来る”という人あんまりいないと思えるので、旅に出る前にある程度勉強してきているのだと思います。


旅で出会った人は一見普通の人のようでも、話をしてみるといろいろなことがその人の口から出てきます。そして人生についてもそれなりに皆考えてるので、旅先で日本人と話すということはそれだけでものすごい楽しみになります。

彼らとは住所交換し合いそして最後に記念撮影をして別れました。彼らは旅が終わった2年後、3年後に何をしているのでしょうか。日本人のバックパッカーのほとんどは学校卒業後い会社に入り、そして疑問を感じ旅に出てきた人達です。

彼らはレールの上から逸脱することを自ら決断してきたのです。彼らの旅はやがて終わり、そして日本へ帰る日がやってきます。その後どのようにしてみんな生きていくのでしょうか。

彼らの、そして僕の旅が終わった後、もし”自分の人生に自信が持てるような生活ができるようになった”たならば、彼らとはいつまでもいい友達いられるような気がします。


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